シングルマザー
日曜日。
彰吾は幼稚園の講堂で、演劇会に使う背景セットを作っていた。
木材を床へ並べ、金槌で釘を打ち込んでいく。
作業をしているのは彰吾だけではない。
保護者会で声をかけたところ、十人ほどの父親たちが集まってくれた。
「せっかくのお休みにすみません」
彰吾が言うと、アイリの父親が頷く。
「まあ、家にいても嫁さんから嫌味言われるだけですから」
「うちもですよ」
一人が言い出すと、次々に妻への愚痴が始まった。
――部屋は汚くて当たり前。
――夕飯は準備できてなくて当たり前。
――スマホを見る暇があったら子どもを見ろ。
どこの家も、似たようなものらしい。
「彰吾さんは、奥さんが怒ったときどうしてます?」
金槌を持ったまま、彰吾は少し考えた。
「目を合わせない。背中を向けない。刺激せず、ゆっくり距離を取る」
アイリの父親がつっこんだ。
「それ熊に遭遇したときと同じ」
父親たちが一斉に笑った。
「間違いではないな」
◇
昼を過ぎた頃、講堂の扉が開いた。
リオンと、その母親の紗季が紙袋を持って立っている。
「皆さん、お疲れさまです。差し入れを持ってきました」
「ありがとうございます」
父親たちは作業を止め、飲み物を受け取った。
彰吾は紙コップを持ちながら、何気なく尋ねる。
「リオン君のお父さんは、今日は仕事ですか?」
その瞬間、周囲が静かになった。
紗季は少しだけ目を伏せたあと、明るく笑う。
「うち、一昨年に離婚して、シングルマザーなんです」
「あ……すみません」
「大丈夫ですよ。隠しているわけじゃないので」
紗季は笑いながら、リオンの頭をなでた。
「こういう作業は参加できないので、せめて差し入れくらいはと思って」
「一人だと、やっぱり大変ですか?」
「そうですね。私が体調を崩したら、送り迎えを頼める人もいませんし、仕事を休めばその分お給料も減ります」
紗季はリオンへ目を向ける。
「何かあっても、相談する相手はいない。全部一人で決めないといけないんです」
先ほどまで妻への愚痴で盛り上がっていた父親たちは、黙って話を聞いていた。
「でも、子どもがいるから頑張れるんですけどね」
最後はいつもの笑顔に戻った。
彰吾は紙コップを握りながら、その生活が一本の細い糸で支えられているように感じた。
◇
作業を終え、彰吾は、紗季とリオンと途中まで一緒に帰った。
「リオン君は、将来何になりたいの?」
「サッカー選手」
「じゃあ、おじさんの後輩になるかもな」
「マリアちゃんのパパみたいに、格好いいタックルができるといいね」
紗季が笑う。
リオンは紗季と手をつないで歩いていた。
しばらくすると、反対側にいる彰吾の手も、そっと握った。
紗季が驚いてリオンを見る。
「こら。マリアちゃんのパパが困るでしょ」
「大丈夫ですよ。マリアと同じですから」
彰吾は、その小さな手を握り返した。
ほんの少しの間だけ、三人は親子のように並んで歩く。
分かれ道で二人に手を振り、遠ざかる背中を見つめた。
親が離婚すれば、夫婦は別々の生活へ進める。
だが、子どもの中にできた空白は、誰が埋めるのだろう。
マリアにも、同じ寂しさを味わわせることになるのかもしれない。
◇
翌日。
彰吾がトイレのドアを勢いよく閉めると、向かいの壁に立てかけてあった、マリアの室内滑り台が入った段ボールが倒れた。
段ボールは、ドアと壁の間につっかえ棒のようにはまる。
用を済ませた彰吾がドアを押すと、わずかに開いたところで止まった。
「ん?」
もう一度、力を込める。
しかし、ドアに押された段ボールの反対側は、向かいの壁にぶつかっている。
中には滑り台が入っているため、潰すこともできない。
何度押しても、ドアは数ミリしか開かなかった。
「やばい。本当に開かないぞ……」
そのとき、玄関のドアが開いた。
香織とマリアが帰ってきたらしい。
「香織! マリア!」
トイレの方から彰吾の叫び声が聞こえる。
「どうしたの?」
香織が声をかける。
「なんかつっかえててドアが開かないんだよ」
香織が下を見ると段ボールが倒れ、壁とドアの間にすっぽり挟まっていた。
「ああ、これが原因ね」
香織が段ボールへ手をかける。
その後ろで、マリアが楽しそうに話し始めた。
「今日ね、リオン君が言ってたよ」
「パパとリオン君のママが、手をつないで帰ったって」
香織の手が止まった。
そして無言で段ボールから手を離した。
「マリア、アイス食べようか」
「うん!」
二人の足音がキッチンへ遠ざかっていく。
「えっ? ちょっと待って。どこに行くの?」
返事はない。
彰吾がドアを何度も叩く。
結局、しばらくの間、誰にも助けてもらえなかった。




