サッカー教室
彰吾は、三つ編みも送り迎えも、食事の準備も普通にこなせるようになっていた。
以前はスマートフォンで見本を確認しながら結んでいたマリアの髪も、今では会話をしながら整えられる。
親権争いに備えて始めた日記にも、結局はマリアとの出来事しか書いていなかった。
『初めて三つ編みを褒められた』
『嫌いだったピーマンを一口食べた』
『夜、一人でトイレに行けた』
◇
休日。
幼稚園主催の親子サッカー教室が開かれた。
父親と子どもが一緒に参加するイベントで、香織は観覧席から二人を見ていた。
「パパ、サッカー上手なの?」
「高校までやってたからな。パパはキャプテンだったんだぞ」
「すごーい」
彰吾が得意げにリフティングをしていると、コーチが近づいてきた。
背が高く、爽やかな顔立ち。
登場したときから、母親たちの視線を独占していた。
「もしかして、彰吾先輩ですか?」
「えっ?」
「高校のサッカー部で、二年後輩だった木村です」
彰吾はしばらく顔を見つめ、ようやく思い出した。
「ああ、木村か。ずいぶん久しぶりだな」
「先輩は、すっかりお父さんになりましたね」
そう言って、木村は白い歯を見せた。
練習が始まると、母親たちは自分の夫より木村へ大きな声援を送っていた。
木村が華麗なドリブルで、父親たちを次々と抜いていく。
「コーチ、頑張って!」
「木村先生、格好いい!」
彰吾も正面からボールを奪いにいったが、あっさり股を抜かれてしまう。
香織は観覧席で頬杖をつきながら、その様子を眺めていた。
「やっぱり、十五年のブランクは厳しいですか?」
木村が振り返り、笑いながら声をかける。
その瞬間、ふと嫌な記憶がよみがえった。
高校サッカー部で、レッドカードの最多記録を持っていた選手。
「あれって、確か彰吾先輩だったような……」
彰吾の身体が低く沈んだ。
次の瞬間、真後ろから膝裏を狙うような鋭いタックルが炸裂する。
「うわっ!」
木村はボールを奪われ、芝生の上へ転がった。
「こ、子どもたちの前でなんてことを!」
彰吾は聞こえないふりをして、高々と右手を上げる。
「マリア、パスいくぞ!」
「パパ、格好いい!」
マリアは大喜びでボールを追いかけた。
観覧席の香織は、呆れた顔で呟く。
「あれの、どこがキャプテンなのよ」
◇
休憩時間。
マリアが、一人の男の子と手をつないでやってきた。
「パパ、この子、リオン君」
「こんちは」
「はい、こんにちは」
彰吾は笑顔を返しながら、リオンをじっと見る。
娘と仲のいい男の子。
五歳とはいえ、油断はできない。
「マリアとは、いつも何して遊んでるの?」
「おままごと」
「ほう……」
彰吾がリオンを警戒していると、遠くから女性の声が聞こえた。
「リオン!」
振り返ると、ショートカットの美しい母親が歩いてくる。
「いつもマリアちゃんに仲良くしてもらってるみたいで」
「いえ、こちらこそ」
「さっきのタックル、格好よかったですね。サッカー経験者なんですか?」
「まあ、高校のときに少しだけ」
彰吾は急に背筋を伸ばし、照れたように笑った。
「パパ、顔が変だよ」
マリアが不思議そうに見上げる。
その様子を観覧席から眺めていた香織は、冷めた目を向けた。
彰吾への恋愛感情など、もう残っていないはずだった。
そう思っていたはずなのに、ほかの女性へ笑顔を向ける姿は、なぜか少しだけ面白くなかった。
◇
帰宅後。
彰吾がマリアの泥だらけの靴を洗っていると、スマートフォンに一件のメッセージが届いた。
送り主は、以前同じ会社で働き、彰吾に仕事を教えてくれた先輩だった。
現在は、海外の大手企業に勤めていると聞いている。
『久しぶり。彰吾に相談したいことがある。時間があるときに連絡をくれ』
「珍しいな。何の用だろう」
「パパ! マリアのパンツないよ!」
風呂から出たマリアが、大声で叫んだ。
「分かった。すぐ持っていく!」
彰吾はスマートフォンと靴をその場へ置き、タンスへ走っていった。




