第九話 自分の気持ち
「殿下に好きだと言われた?」
夜会の翌日の昼過ぎ、宰相の執務室で昨夜あったことを話したユミルに、ジドールは目を丸くした。
「うん」
「……………………」
「やっぱり、まずいよな」
「まずいって言うか」
ジドールはなんだか、困惑しているかのような反応で腕を組む。
「なに」
「お前、よくそんな話を私に相談する気になるね?
私はお前の仇なんだよ?」
「……あ」
諭すように言われて、間の抜けた声が口からこぼれた。
「なんで忘れてたみたいな声出すかなあ」
「いや、忘れてないしあんたのことは憎らしいけど」
「けど?」
「あんたは、こういう話を茶化さないし、利用する気ないんだろ」
そう、別にジドールが仇であることを忘れていたわけじゃないし、憎悪がなくなったわけでもない。
ただ、こういう話を茶化すような男ではないとこの四年間で知っていたし、おそらくそれをこの男は利用しないだろうと思ったのだ。
「よく私に利用する意思がないってわかるね?」
「僕のことを利用するくらいだったら、とっくに自分の娘を嫁がせようとしてるだろ」
「まあ、確かにね」
ユミルの言葉をもっともだと思ったのか、ジドールは背後の窓枠にもたれて口元に手をやる。
「でも好きだと言われたか」
「やっぱりまずいか?」
「まずいって言うか、お前は?」
「え」
急に質問を向けられ、ユミルは目を瞬いた。
「お前はどうしたいの?」
「僕?」
「そりゃそうだろ。お前が主体だよ。殿下が好きなのはお前なんだから」
「……そうか。……どうしよう」
思わず、弱った声が出た。
「どうしたいんだ?」
「わからない。殿下のことは嫌いじゃないけど、僕は」
「グレイって子と重ねてるから?」
「知ってたのか?」
核心を突かれて、思わず息を呑む。
「気づいてたよ。前からね」
「…………殿下は、それ知ったら傷つくかな」
「だろうね」
「……う」
はっきり言われてまた迷いが浮かぶ。
「でも、お前が隠したままでいても傷つくんじゃないかな」
「え」
「あの方は、呪いの王太子だからさ。
隠し事をされて、突き放される。そういうお立場の方だからね」
「あ……」
そうだ。ルドルフは呪いの王太子と呼ばれて、遠ざけられてきた。
ルドルフが自分に気を許してくれていることを、知っている。
そんな自分が隠し事をしているなんて知ったら、きっと傷つく。
「だから、お前が殿下を傷つけるのが嫌なら、本当のことを言いなさい」
ジドールは組んでいた腕をほどいて、机に片手を突いて、諭す。
「それじゃあ、殿下が傷つくんじゃ」
「そうだよ」
「そうだよって」
「だから言わないでおく? それでも傷つくのに?
殿下が傷つくのはなんでだと思う?」
問いを重ねられて、返答に迷う。
「お前がそこまで、殿下の心の中に入ってしまったからだよ」
そんな自分を仕方なさそうに見下ろして、ジドールは優しく言った。
「だから、絶対傷つけたくないなんて都合の良い優しさを振りかざすのはやめなさい。
少しでも殿下自身を大事に想ったなら、自分も傷つく覚悟で傷つけなさい」
その真っ直ぐで容赦のない言葉に心が揺らぐ。
「殿下が大事なら、お前もちゃんと傷つきなさい」
それが、正しいと知っていたからだ。
なんか、全然反論出来なかった。
だって、痛かったけど、ジドールの言うことは間違ってない。
ジドールって、本当に悪人なんだろうか。
自分の前では悪者ぶってるけど、実際凄いことを成した武人で、でもグレイの仇で。
なんか、よくわからない。
「殿下、お待たせいたしました」
ルドルフの私室に戻ると、ルドルフは片付けた政務の書類の山を一瞥してから、扉のそばに立ったユミルを見た。
「図書館に行くんですよね」
「ああ」
ルドルフは頷いて立ち上がると、ユミルのそばまで歩いてくる。
そのまま一緒に部屋の外に出た。
長い廊下を歩きながら、斜め前を行くルドルフの横顔を見やった。
殿下は、いつも通りだな。
あの告白は、自分の聞き間違い?
いや、でもキスされたし。
ぐるぐる悩んでいたら、足を止めたルドルフが自分の頬に手を当てた。
「ひゃっ」
その感触に、思わずひっくり返った声をあげてしまう。
「な、なんですか」
「すまない。びっくりさせたな」
「い、いえ、ぼうっとしてたせいなので」
嘘だ。ルドルフに急に触れられたから、驚いたのだ。
「本当に?」
「は、はい」
「そうか……」
ぎこちない返事になってしまったが、ルドルフは追求しては来なかった。
そのまま図書館に行き、目当ての本を探すルドルフのそばに付き添う。
棚と棚の間で、ルドルフは手に持った本を読んでいたが、不意にユミルに視線を向けた。
「すまない」
「え? なんです? 急に」
声がひっくり返りそうになって、どうにか平静を装う。
「嫌だっただろう。突然あんな。
お前には、好きな奴がいるのに」
「それは、その」
「でも、俺は」
ルドルフが真っ直ぐにこちらを見て、必死な表情で口を開いた時だ。
「でさ、本当に隙がないよな。
ローゼンベルク宰相閣下も、コルトゥール公爵も」
不意にそばを通り過ぎた男たちの話し声に、ルドルフは話すのをやめた。
男たちは身なりからして、王宮で働く使用人だろう。
本来なら彼らに傅かれるはずの王太子は、彼らに見付かることを恐れるように息を潜めていた。
呪いの王太子。その呼び名は、この王宮に、ルドルフの心に根深く巣くっている。
「でも、一体いつ王太子を廃嫡にするんだろうな?
実際、国王になるなんて無理なのに」
男たちの片方が不意にそうこぼした。
「おい、あんまり大きな声で言うなよ。
聞かれたらどうする」
「みんな思ってることだろ?
呪いの王太子を嫌いじゃない奴なんか、王宮にいないよ」
「でも、陛下には王子が一人しかいないんだから廃嫡には出来ないんじゃないか?」
そうだ。今代の国王には、息子が一人しかいない。
もしほかに王子がいれば、ルドルフは早くに王宮を追われていたかもしれない。
「公爵家の男児を養子にもらえばいいだろ。
実際、昔男児が流行病で死に絶えた時に、公爵家から養子をもらって王にしたことがあったんだから、無理じゃないだろ。
ローゼンベルク公爵家には女児しかいないから無理としても、ほかの二つの公爵家には年頃の子息がいるんだから。
そうしたら呪いの王太子は用済みだ」
心ない言葉と、笑い声が響く。
「ひどい。よくもあんなこと平然と。
ひっぱたいてやる」
怒りに身を震わせ、飛びだそうとしたユミルの服をルドルフがくい、と引っ張った。
「止めないでください殿下…………殿下?」
視線を向けて息を呑む。
ルドルフの顔が真っ青だ。
「どうしたんですか? 顔色がひどい」
心配になってその手に触れたら、きつく握りしめられた。
「行くな」
余裕のない声が耳を打つ。
「俺を、置いて行くな」
泣きそうな声で、ルドルフが縋る。
ああ、やっぱり言えない。あんな心ない言葉一つでこんなに傷ついて怯えるこの方を、更に傷つける言葉なんて。
あなたに面影を重ねていましたなんて、言えない。
腕を伸ばして、ユミルは震えるルドルフの頭を抱きしめた。
「大丈夫です。
僕がここにいます」
勇気づけるように、優しい声で囁いた。
「殿下が要らないって言うまで、僕はおそばにいます。
だから、怖くなんてないですよ」
「……リュイシュン」
ぎゅう、とルドルフの手がユミルの服を掴む。
そのままきつく抱きついてくる身体を抱き返して、何度も背中を撫でた。
どれくらいそうしていただろう。
腕の中の身体の震えが収まったのを確認して、ユミルはほっと息を吐く。
あの男の声は聞こえないから、どこかに行ったのだろう。
「殿下」
「……ん」
「落ち着きました?」
「……まだ、ちょっと」
か細い声が腕の中から聞こえてくる。
それでも怯えているというより、幼子の甘えのような響きだったので安心した。
「はい、じゃあまだこのままで」
「なあ」
「はい?」
不意に腕の中から顔を上げたルドルフが、恋しがるような顔で言う。
「今夜、一緒に寝てもいいだろうか?」
「へ?」
思いも寄らない言葉すぎて、間の抜けた声しか出なかった。
そのころ、宰相の執務室で政務を行っていたジドールは、不意に扉をノックされて顔を上げる。
「誰だ」
短く声をかけると、すぐに扉が開いた。
「やあ、我がライバル殿」
「帰れ」
いい顔をしたエイデスを見上げて、ジドールは胡乱な目つきになる。
後ろ手に扉を閉めたエイデスに、椅子から立ち上がってため息を吐いた。
「全く、人前では反目しあった振りをしようとお前が言ったはずだが?
エイデス」
「そんなことをしなくても、お前は俺の前ではいつだって不機嫌だろう?」
「それを台無しにしてるのがお前の態度だと言っているんだ」
そう言いながらも仕方ない、という空気がにじんでいたジドールを見下ろして、エイデスは口角を上げる。
「つれない奴だな。あいつが居た頃は、俺たちはとても仲が良かったのに」
「あいつの話はするな」
つい口が滑った。即座に返ってきた冷え切った声に、エイデスは口をつぐむ。
「あいつより日々の安寧を取った、お前が呼ぶな」
嫌悪。もしくは憎悪。そんな感情がにじんだ紫の瞳に、エイデスは軽く肩をすくめた。
「それで?」
「は?」
「大丈夫なのか?
お前の養子は、どうやら今晩殿下と同衾するようだが」
本題を口にしたら、その紫の瞳が丸くなった。
「はあ? そんな話になってるのか?」
「ああ、そう殿下の部屋を整えている使用人から聞いた」
「……本当にあの子は」
さっきまでの剣呑さが嘘のように、純粋に我が子を案じるかのような反応だ。
「なにかあったらどうするんだ」
「なにかあったほうがいいんじゃないか?」
「なんだって?」
「そうすれば、お前の悪巧みに利用されずに済む」
エイデスは腕を組んで、どこか諭すように言う。
「あの子どもにとって、お前は仇なんだろう?
なのに、あんなにお前に懐いている。
そんな子どもを利用して、お前は平気か」
「……知ったことか」
かすかに息を呑んだジドールが、エイデスから視線を逸らして零した。
「私を仇と知りながら、絆されたほうが悪い」
「ジドール」
「呼ぶな」
なにかを振り切るような言葉に、静かに名を呼べば拒絶が返ってくる。
「ジドール」
「呼ぶなと言って」
もう一度己を呼んだエイデスに、睨むように視線を向けたジドールがハッと息を呑む。
自分を見下ろすエイデスの瞳は、ぞっとするほどに真剣だ。
「俺がいつ、あいつより日々の安寧を選んだ」
怒っている、わけではない。ただ、ひどく真摯なまなざしに呼吸を忘れる。
「二度と言わせるな。
お前まで、失わせるなよ」
低い声で告げて、エイデスはジドールの瞳を真正面から見つめ返す。
「引き返せ。いいな」
それだけ釘を刺して、エイデスは執務室から出て行った。
遠ざかる靴音を聞きながら、ジドールは拳を握る。
「人の気も、知らないで」
その呟きは淡く空気に溶けた。




