第八話 夜会
ユミルが王宮で暮らすようになって、少し経ったある日のことだ。
私室の机の前、椅子に腰掛けて憂鬱そうにため息を吐いたルドルフに、ユミルは不思議そうに視線を向けた。
「あの、ルドルフ殿下」
「なんだ?」
「少し休憩されてはいかがですか?
飲み物を持ってこさせますよ」
「…………ああ」
ルドルフは王太子として政務を行っていたから、それで疲れたのかもとユミルは思ったのだろう。
部屋の外に出て、使用人に声をかける。
程なくメイドが飲み物を用意してやってきた。
「殿下、失礼致します」
「運びます」
「ありがとうございます」
メイドは少し青い顔をしていたので、ユミルがメイドの押していたワゴンを引き受けた。
ルドルフを呪いの王太子と恐れる使用人を、ルドルフに近づけたくはない。
ユミルはワゴンを机の前まで押してくると、ポットの中身をカップに注いで机の上に置く。
「どうぞ」
「ああ、ありがとう」
「それで、なにか悩み事ですか?」
差し出された良い匂いのする紅茶で口を潤したところで、ユミルが尋ねてきた。
「……やはり隠しきれていなかったか」
「はい。生憎と。
憂鬱そう、と苛々してます、の中間みたいなお顔をされてました」
「ああ、そうだろうな……」
ルドルフは憂い顔で零す。
「一週間後、夜会が王宮で開かれるんだ」
「夜会ですか」
「そうだ。当然王太子も出席しなければならないが……」
ああ、そうか。呪いの王太子だから、どういう扱いされるのか今は察しがつくな。
「大丈夫ですよ。僕がおそばについていますから」
「……お前は変わらないな」
「え?」
「いや、それなら心強い。頼む」
かみしめるように呟いたルドルフに、ユミルは目を瞠る。
誤魔化して頼んだルドルフに、ユミルは「はい」と頷いた。
そして迎えた夜会当日。
王宮のホールには、大勢の貴族たちが集まって賑わっている。
それぞれダンスを踊ったり、数人で集まって情報交換をしたりする貴族たち。
だが、そんな中ルドルフの周囲にはユミルしかいない。
うわあ、やっぱり遠巻きにされてるなあ。
そう思ってユミルは遠い目になる。
「あの騎士は誰?」
「ローゼンベルク公爵家の跡継ぎよ。養子だそうだけど」
「先日、王太子殿下が攫われた時にも一番に救出に駆けつけたとか」
「ローゼンベルク宰相閣下のご子息なら、剣の腕は立つのよね」
「養子でも、ローゼンベルク公爵家の跡継ぎなら」
貴族たちが、ルドルフの傍らに立つユミルを見てひそひそと囁く。
「どうやらお前のほうがモテそうだな」
「いやいやいや、僕は興味ないんで」
「それはそうだろう。お前は……」
ルドルフは「お前は女なんだから」と言いかけて、口をつぐむ。
誰に聞かれるともわからない場で言えることではない。
「お前はダンス踊れるのか?」
「はい、それは教わりましたから」
「じゃあ手を貸せ。
どうせ壁の花なんだ。お前が付き合え」
誤魔化して、代わりにユミルの手を取る。
「いいですけど、大丈夫ですか?
殿下。
モテない大人みたいな言動になってますよ」
「実際そうだろうが、ほら、来い」
そう誘って、ホールの中央まで歩いていくと、互いに一礼して手を取り合い、踊り始めた。
「なるほど。確かに慣れているな」
「男性パートも女性パートも踊れるよう教わったので」
迷いのない動きで踊るユミルに、ルドルフは感心したように呟く。
「本当にスパルタだったんですよ?
僕、何度も父上の足踏んじゃって」
「お前、それはわざと、じゃないんだろうな」
「はい?」
不意にルドルフが口にした言葉の意味がわからず、ユミルは目を瞠る。
「自覚なしか?
最初の頃は自分のことは『私』。宰相のことは『宰相閣下』と呼んでいたのに、最近じゃ自分のことは『僕』だし宰相のことは『父上』だ」
「あ」
「本当に自覚なかったんだな」
「いや、本当に無意識で、あれ、ちゃんと気をつけてたつもりなんですけどおかしいな」
本当に無意識だった。自覚がなかった。
あれ、おかしいな?とユミルは慌てる。
「それが、俺の前では気を許せるんだったら、いいんだがな」
だから、不意に落とされたルドルフの呟きが耳に入って動きが止まりそうになった。
「……殿下?」
「いや……。
……そういえば、根付けはちゃんとつけているだろうな?」
「はい。殿下のくださったチェーンに繋げて」
あれ? 誤魔化した?
そう思ったけど、なんだか聞かないほうがいいような気がしてルドルフの話題に乗っかる。
「そうか。こんな会場で落としたらまず見付からないからな」
「ご心配ありがとうございます」
「……………れは?」
「はい?」
小さな声で、一瞬聞き取れず聞き返してしまう。
「あの、十字架の」
「ああ、殿下のくださった十字架のペンダントもつけてますよ。
あ、それは服の上に出しちゃってもよかったかもしれませんね。
公爵家の後継がああいうペンダント持っててもおかしくないでしょうし」
「……お前、それは他意なしか?」
「……はい?」
困ったような顔をして、ルドルフが聞いて来る。
少し、その頬が赤い。
「いや、他意はないんだろうな。お前のことだ」
「なんか失礼な言い方の気がする」
「そんなことはない。
……よかった」
「へ?」
安堵に緩んだ唇で、ルドルフは話す。
「お前がいてくれて。
いつもは、こういった夜会は針のむしろなんだ。
どこにも逃げ場がなくて、苦しくて。
でも、今夜はお前がいる。……よかった」
「殿下……」
自分を頼りにしたような言葉に、じわりと胸がうずいた。
「あの、今夜ももしまた同じような無礼な人がいたら言ってくださいね。
そのときは僕がすっ転ばせてやります」
「はは、頼もしいな。
……本当に、お前みたいな奴が以前からそばにいれば、ハイドになりたいなんて思うこともなかったかな」
ぽつりと呟いたルドルフに、その言葉の内容に既視感を覚えてユミルは尋ねた。
「あれ、もしかしてそれってジキル博士とハイド?」
「そうだ」
「それ、昔、人から聞いた話なんですけどどこの書物にも書いてなかったんですよね。
殿下、どこで聞きました?」
四年前、グレイから聞いた話。でも、その話をほかの誰も知らなくて、どこの書物にも書いてなくて。
「ああ、ジキル博士とハイドの話をこの国に持ち込んだのは俺たちが生まれる前に異世界から召喚された勇者だ」
「異世界の勇者?」
「そういうお話がある、と話したんだそうだ。
だから知っている奴は知っているが、知らない人間のほうが多いだろうな。
なにしろ、書物としては残っていないものだ」
「へえ……」
グレイは、孤児院のお使いでいろんな人と話してたからな。
それで誰かから聞いたのかもしれない。
「……僕は、ハイドになりたくありませんよ」
「それはそうだろう。お前は」
「例え、世界中を敵に回すほどに、他人を憎んでも」
ダンスの途中なのに足を止めて、ユミルは低い声で呟くように言う。
その顔に、ぞっとするような色をにじませて。
「僕なら、ジキルのままで復讐を果たす。
そうじゃないと、大切な人と同じ天国に行けないから」
その初めて見る表情に、ルドルフは呼吸も忘れて立ち止まった。
ダンスが終わったあと、王太子として他国の要人との話に向かったルドルフを見送って、ユミルは壁際に立つ見慣れた人物に近寄った。
「やあ、見事なダンスだったよ」
「あんたが珍しいな。壁の花なんて」
つんとした態度で壁の花になっていたジドールに言うと、ジドールは笑みを浮かべたまま、
「妻が亡くなって長いとはいえ、既婚者だからね。
年頃の娘も参加している夜会で、その父親をダンスに誘う女性はいないかな」
と返した。
「ああ、そういえば……」
目に映る範囲に姿は見えないけど、この夜会にはジドールの娘たちも参加してるはずだ。
「そういえば、あの夜なんでコルトゥール家の私兵が来たんだ?
ローゼンベルク家のじゃ駄目だったのか?」
ふと気になっていたことを尋ねたら、ジドールは微笑んだまま答える。
「それをやったら私とお前が疑われるからだよ」
「あ」
「まあ、私もあいつに貸しを作るのは不服だったんだが」
「もしかして、仲悪い?」
ずっと思っていたことを口にすると、ジドールはいい笑顔を向けてきた。
「良いと思ってる?」
「一方的にあんたが嫌ってると思ってる」
「はは、…………はあ」
ジドールは最初は笑ってみせたが、ややあって疲れたようにため息を吐いた。
もしかして本気で嫌いか、もしくは苦手なのかな。
「一応はお互い表向きは反目しあってるふりをしてるんだけどね」
「そうなのか?」
「ただ、エイデスは平然と話しかけてくるから、私が一方的に嫌ってると思われてるかもね」
「一方的に嫌ってるのは事実だろ?」
「うるさいよ」
そのぞんざいな言葉に少し驚く。
ジドールがこんな態度になるのは珍しいからだ。
少なくともほかの話題では、こんな態度は絶対出さないから、それだけジドールにとってあのエイデスが苦手な存在なのか。
「ほら、殿下が呼んでいるよ。行きなさい」
「え、もう?」
意外そうな声を漏らして視線をルドルフのほうに向けると、彼が手を振っている。
「他国の要人も、殿下の呪いのことはご存じだから」
「ああ……嫌な感じ」
そう呟いて、ユミルはルドルフのほうに向かった。
その姿を見送って、小さく息を吐いた時だ。
「やあ、我がライバル殿」
ジドールに声をかけてきた低い響きに、つい胡乱な目つきになった。
「一番見たくない顔が来たな」
「相変わらずつれないことだ」
「お前相手で私が愛想が良い時があったか?」
「ないな」
ジドールの隣に並んだエイデスに、ジドールは自分より少し高い位置にある彼の顔を見上げた。
「ならなんで親しげに話しかけてくる」
「だって、いざというときは一番俺を信頼してくれるだろう?
あの防衛線のときのように」
「……それはな」
自信たっぷりに言うエイデスに、ジドールは苦虫を噛み潰したような顔になりながらも肯定した。
「だから、一応苦言を呈しに来た。
いや、大切なライバル殿に忠言を申し上げに来た、か」
「なんだ、一体」
改まった口調で言ったエイデスに、ジドールがユミルの姿を探して視線を前に向けたときだ。
「やめておけ。今ならまだ間に合う」
その響きに、思わず息を呑む。
「……なんの話だ」
擦れた声が口を吐いた。
「あの可愛い護衛騎士を使って、お前がやろうとしていることだ」
エイデスはジドールと同じように、ルドルフのそばにいるユミルを見ている。
「やめておけ」
「お前にはわからないさ」
「いや、気持ちはわかる。だから、止めているんだ」
茶化そうとしても、エイデスの声は怖いほどに真剣だった。
「ジドール」
その手袋を嵌めた手が頬に触れる。
涙を拭うような仕草でなぞって、離れた。
「俺は、お前まで失いたくはない」
そう真摯な声音で告げて、一度気遣うようにジドールを見つめたエイデスが、背を向けて離れる。
残されたその場所で、ジドールは手袋に覆われた手で顔を覆う。
「……お前に、……なにがわかる」
その血を吐くような呟きを、誰も聞く者はいない。
バルコニーに出ると、涼しい空気が肌に触れた。
「疲れた」
手すりに寄りかかって息を吐いたルドルフに、ユミルは気遣うように話しかける。
「飲み物持って来ましょうか?」
「いや、いい。ここで休む。空気が気持ちいい」
「そうですか」
ルドルフの返事に、バルコニーとホールを繋ぐ窓を閉めたユミルが隣に立つ。
「なにか言われましたか?
僕が転ばせて来ましょうか?」
「ふふ」
当たり前のように隣に並んで尋ねる、その案じる声にルドルフは柔く笑った。
「やっぱりいいな。お前。
お前といると、気が楽だ」
そう呟いて、ルドルフは手すりに腕を乗せて、顔を埋める。
「はいはい、殿下はよく頑張ってらっしゃいますよ」
その頭を撫でたユミルの手を、ルドルフがそっと掴んだ。
「リュイシュン」
「はい?」
「お前は、本当にその名か?」
「……え?」
気になっていたという口調で、ルドルフが尋ねてくる。
「いや、リュイシュンというのは男の名だから、お前が女なら、本当は違う名なんじゃないかと」
「それは」
「お前の本当の名はなんと言う?」
「なんで、そんなこと聞くんですか?」
その真剣な問いかけに、ユミルの声が少しうわずった。
「呼びたいからだ」
はっきりと告げられた思いに、息が少し止まる。
「本当の名で、俺はお前を呼びたい」
「そんなこと言ったら、僕だって殿下を本名で呼んでないですが」
「逸らすな」
ぎゅうっと、その大きな手が、自分の手を握る。
自分を映す真剣な視線に、なぜか既視感がした。
思わず後ずさる。
「教えてくれ。俺はお前をリュイシュンと呼んでいていいのか」
「その、名が、僕の名です」
「嘘を吐け」
「嘘じゃ」
嘘だ。自分の本当の名はユミル。
じゃあ、なんでこんなに怖い?
彼に、ユミルと呼ばれるのがなぜか怖かった。
どうして。
とん、と背中が窓に当たる。その顔の横にルドルフが手を突いた。
「教えてくれ」
『ユミル』
不意に脳裏に、自分をそう呼んで笑うグレイの笑顔が浮かんだ。
その笑顔がそのまま、目の前の王太子の顔に重なる。
あ、そうだ。やっとわかった。
似てるんだ。
その真っ直ぐなまなざし。色素の薄い髪。弱者を思いやるその優しさも。
(グレイにそっくりだから)
『お前の心に巣くってるものは根深いねって話だよ』
だから、助けたかった。いつだって守りたかった。大事にしたかった。
なんてことだろう。自分はずっと、殿下を真正面から見てなかったんだ。
不意に、ルドルフが途方に暮れたような顔になる。
「どうして泣く」
「え……?」
「泣いているぞ。お前。……そんなに嫌だったのか?」
悲しそうなルドルフの顔と声に、心が揺らぐ。
頬を伝う涙の感触を、止められないのに。
「ち、ちがくて、その、殿下が嫌なんじゃなくて。
僕が、最低で」
「どこがだ」
「嫌です。言ったら殿下、僕のこと嫌いになる」
「ならない」
「嘘です。だって、こんなに醜い……」
今までずっと、こんなに近くにいたあなたを、見ていなかったなんて。
嗚咽になりそうな息を、不意に重なった唇が封じた。
キス、している。されている。
グレイとは、したことがない。だって、自分の片思いだったから。
「ならない」
間近で告げる声。真剣な表情。息が止まるほどに。
「お前が好きなんだ」
四年前、自分の声にならない告白に返事はなかった。
今、目の前で面影の重なるあなたが、自分を好きだと言った。




