第五話 わからないことが増えていく
その日、ユミルが王宮に出仕すると、ルドルフは王太子の私室にはいなかった。
どこに行ったのだろう、と考えていると部屋を掃除するために使用人が入室してきたため、尋ねた。
「殿下はどちらに?」
「図書館です」
「ありがとうございます」
使用人の返答に礼を言って、部屋を出て王宮の一階にある王宮図書館に向かう。
図書館に入ると、高い天井と所狭しと並んだ本棚が見えた。
「ええと」
どこにいるだろう、と通路を歩いて、ルドルフの姿を探す。
不意にある棚と棚の間に、踏み台に載っている姿を見つけた。
「殿下!」
「うわ」
「あっ」
呼んだ瞬間、ルドルフが体勢を崩す。
反射的に腕を伸ばして、その身体を抱き留める。
そのまま二人して床に座り込んだ。
「あ、ぶな~~~……」
ルドルフの背中に腕を回したまま、安堵に深い息を吐く。
「申し訳ありません。殿下。お怪我はありませんか?」
「いや、大丈夫だ。あと、お前のせいじゃない。
今のは踏み台が壊れたんだ」
「あ、本当だ」
言われて視線を横に向けると、ルドルフが載っていた木製の踏み台が壊れているのが見えた。
「新しい踏み台を用意するよう、伝えておきますね。
あと、本当に怪我してませんか?」
「ない」
「でも足とか、後から痛くなったり腫れたりするんですよ。
ほら」
「ちょ、おい」
ユミルはルドルフの声を無視して、ルドルフの片足に触れる。
「これとか痛くありません?」
足首を押して尋ねると、ルドルフが首を横に振った。
「……ない」
「じゃあこれ」
「痛くない、から」
「じゃあ、大丈夫かな……」
安心したように呟くと、ルドルフが困ったようにこちらを見る。
「おい、いつまで人の足を掴んでいる」
「あ、申し訳ありません」
「はあ……」
ルドルフはなんだか、複雑そうな顔をしながら立ち上がる。
「それにしても驚いた。俺より随分小柄なのに、随分軽々と俺を支えたな?」
「それは鍛えてますから。
宰相閣下も持ち上げられますよ?」
「本当か?」
「本当です」
ユミルも立ち上がって少し得意げな声で言うと、ルドルフは驚愕と感心の合間のような表情になった。
「そう、なのか。……まあ、あの人が鍛えたならそのくらいは出来るか」
「コツがあるんですよ」
「コツか」
「それで、なにか借りるおつもりでしたらお運びしますが」
「ああ、じゃあこれとこれを頼む」
手を差し出すとルドルフが二冊の本を載せてきた。
それを抱えて頷く。
「はい」
「本当は自分の部屋の本棚に欲しいんだがな。
絶版になってる隣国の専門書の原書なんだ」
「あれ、これ……」
「どうした?」
ふとユミルはその本の表紙を確認して、見覚えがあることに気づいた。
「うちにありますよこれ」
「本当か!?」
「はい。この本で勉強させられたので」
「ということは、お前、隣国の言語は」
「話せます。我が国に関連のある国の言語は叩き込まれたので」
そう、ユミルは孤児院にいた時こそ文字の読み書きすら出来なかったが、今は複数の国の言語の読み書きが出来る。
ジドールが「公爵家の後継を名乗るなら、これくらい出来ないと」と叩き込んだのだ。
「……そうか。お前、意外に多才……意外でもないな。
宰相ならそれくらいの教育は課すだろう」
「でしょう? あの人本当にスパルタで」
「娘には甘いという噂を聞いたことがあるが」
「そうでもないですよ?
さすがに剣術などを教えたりはしませんが、王太子の婚約者になっても不足がない程度には教育していらっしゃいますし」
自分に対するほど厳しかったわけではないが、娘二人にも充分な教育を課していたことは知っている。
「……そうなのか?」
「なぜ半信半疑? そういう人だとご存じでは?」
「いや、宰相から娘を婚約者に勧められたことがないからな」
「……そうなんですか」
それは少し意外だ、と考えてから、疑問を感じた。
そもそも、ジドールの野心ってなんだ?
ジドールの目的すら知らないユミルには、ジドールにそんな人並みの野心があるかどうかすらわからない。
「うーん、殿下の呪い云々のことはよく存じ上げませんが、それを気にして……いや気にする人ではないような」
「そもそも、俺が呪いをかけられる前から、宰相からそんな話を持ちかけられたことがない」
「……なるほど」
やっぱり奇妙だな。なにがジドールの目的なんだ?
自分が殿下に気に入られたのを満足げに見ているかと思いきや、それが目的ではなさそうだし、そもそもそれが目的ならどこに出しても恥ずかしくない淑女に育てた娘を婚約者として宛がおうとするだろうし。
そもそも殿下の呪いってなんなんだろう。
「そういえば、さっきのは体験談か?」
「はい?」
「後から痛くなったり腫れたり、というの」
「体験談というか、聞いた話ですね」
「誰に」
本を持って、ルドルフの斜め後ろを歩いて私室に向かいながら話す。
「父上に。鍛錬の時に『身体のどこかに違和感があったらすぐ言いなさい。すぐ悪化するから』と。隠してもすぐ気づかれました」
「あの人らしい」
「……あの、」
「なんだ?」
「父上って、そんなに有名な武人なんですか?」
そうだ。そんなことすら、自分は知らないのだ。
「知らないのか?」
「知らないです」
「そうか。まあ、養子だものな」
ルドルフは納得したように呟いてから、話し始めた。
「『第一防衛線の奇跡』という話があってな。
俺たちが生まれる前、隣国二国から攻め入られた時のことだ。
伝令が遅れて、王都までその報が届くのに時間がかかった。
だがそれより早く隣国二国の侵攻の前触れを察知して、隣国二国の国境線に防衛線を張っていた者が二人いた。
二人は自らが最前線で戦いながら、腕利きの部下たちを指揮して見事敵軍の軍勢を押し返し、国の国境を守り切ったという話だ」
「へえ……、凄い武人がいたんですね」
「なにを他人事のように言っている。
その二人の武人の片方がローゼンベルク宰相だぞ」
「そうなんですか!?」
真顔でルドルフに言われて、思わずひっくり返った声が出た。
「そうだ」
「うわあ……そんな戦場で最前線に立って軍を勝たせた傑物なのかあの人。
そりゃ不意打ちしてもことごとく防がれるはずだ……」
「あの『煉獄のローゼンベルク』に不意打ち仕掛けたのかお前。息子じゃなかったら生きていないぞ」
「今実感してます」
いや、本当に魔法契約してなかったら速攻殺されてる。
本当にジドールが自分と魔法契約をする気になってなかったら、復讐を望んでも自分みたいな孤児、簡単に排除されていただろう。
「あ、」
「ん?」
「もう片方は?
そんな戦場でもう片方の国境を任せるくらいなんだから、父上にとって信頼が置ける人なんでしょう?」
ふと気になった。あのジドールが信頼を置いている相手を知っておいて損はないはずだ。
「そのはずだ。
そのもう一人はエイデス・コルトゥール公爵。
『氷点のコルトゥール』と呼ばれる氷魔法の使い手で、剣の腕も随一。
唯一この国で宰相と並ぶ武人だ」
「へえ………………」
あれ、エイデス? どっかで聞いた名前……。
『エイデス!』
あ、そうだ。この前、宰相の執務室前で会った人だ。
なんか、やけにジドールと険悪というか、一方的にジドールが嫌ってるような感じがしたけど。
でもその話が本当なら、国の危機に際して、一番信頼出来た武人ってことだよな?
うーん、駄目だ。ジドールのことはまだ謎が多すぎる。
「そういえば、お前はいつ王宮務めにになる?」
不意にルドルフに聞かれて、目を瞠る。
「? なってるじゃないですか」
「なってないぞ。夜には公爵邸に帰っているだろう。
本来の王宮務めは王宮で寝泊まりするものだ」
「ああ、それは父上が、僕がルドルフ殿下の信頼を得るまでは先延ばしで、と」
そういうことか。なら確かに、まだ王宮務めにはなってない。
「ならもういいだろう」
あっさりと、ルドルフに返される。
「へ?」
「お前はとっくに俺の信頼を得ている。だから夜も俺のそばにいろ」
そう言われた瞬間、ユミルは自分がどんな顔をしてしまったか自覚がなかった。
「それでそんな形容しがたい顔してるんだ?」
宰相閣下の執務室に赴いてその話を報告したら、ジドールが笑ってそう聞いた。
「いや、そんな顔するつもりはないけど」
「よかったじゃないか。私としては予想以上に早く、あの殿下のお心に入り込んだんだ。
称賛したいほどだよ」
ジドールは満足そうに微笑んで、うんうんと頷く。
「うん、本当に早い。なんせあの呪いの王太子だから、下手すると一、二年かかるんじゃないかって長期的に見てたのに」
「それ」
「それ?」
「呪いの王太子って、そもそも、ルドルフ殿下に呪いをかけた奴って誰?
普通に暗殺するんじゃ駄目だったの?」
気になって尋ねると、ジドールは顔に笑みを刻んだまま緩く首を横に振る。
「駄目だったんだろうね。
おそらく、相手の目的は呪いを撒くことだった」
「撒く……?」
「要するに、殿下の呪いは他者に伝染する呪いだってことだ。
だから誰も近寄りたがらないんだよ」
「……ふうん」
そんな厄介な呪いなのか。でも、自分は今のところなんともないけど。
「そこを突いたからうまく行ったのかな?
まあ、お前は今更呪い程度怖がったりしないものね」
そもそも死を怖がってないんだから、とジドールはわかりきったことを口にする。
「で?」
「どういう意味?」
「これで、あんたの目的通りに行ってるの?」
「ああ、過不足なく」
未だに、ジドールの目的はわからない。
だから、確認しておきたかった。
「安心しなさい。この分ならお前はちゃんと、私の命を得られる」
「……ならいいけど」
そう答えながらも、なんかどうにも安心しきれないな、と思う。
ジドールのことがなにもわからないからだ。
「じゃあ、殿下に王宮に部屋をもらうってことで承諾してきていいんだね?」
「ああ、そうしなさい」
それでもこれは確かに復讐の一歩になっているはずだと、そう信じた。
「殿下」
ユミルがルドルフの私室に戻って声をかけると、ルドルフがぱっと読んでいた本から顔を上げた。
なんだろう。落ち着かない様子で待っていた、みたいな反応だ。
「宰相はなんと?」
「良いそうです。正式に殿下の護衛騎士として、おそばでお守りしなさいと」
「……そうか」
ユミルの返事に、ルドルフは安堵した笑みを浮かべる。
「そんなに安堵することですか?」
「ああ、いや、宰相がそれは許さないかもしれないと思ってな」
「なぜ?」
「だって、お前は公爵家の跡継ぎになるために養子になった子だろう?」
あ、そうか。対外的には自分はそういう立ち位置だから、そんな後継を王太子の護衛として消費しないだろうと思ってたってことか?
「どうでしょう。息子の僕が言うのもなんですけど、あの人変わり者なので」
「ふっ」
思ったままを口にしたらルドルフが吹き出した。
「お前、本当にはっきり言うよな」
「それが取り柄です」
「本当にはっきり言う…………………。
いいな。お前がそばにいると、俺は少し息がしやすいんだ」
表情を緩ませて零したルドルフに、ユミルは首をかしげる。
「……換気したほうがいいのでは?
酸素が部屋に足りなくなってますよ?」
「ブフッ」
率直に言っただけだったのだが、なんか更に笑わせてしまったらしい。
「本当に、……参った」
ルドルフは、なんだか気の抜けた表情をして呟く。
「そこでそういう返しをするお前だから、俺は良いんだよ」
「……はあ」
「今日から王宮に部屋をもらうか?」
「いいえ、今日は帰ります。
荷物を持ってこないといけませんし、部屋を整える使用人の仕事を今から増やすのも悪いので」
まあ荷物と言っても、自分にとって大事なものなんてあの根付けくらいだから、精々勉強に使った本とか、着替えくらいだけど。
「そうか。……じゃあ、また明日」
「はい、また明日」
名残惜しそうに微笑んだルドルフに、ユミルも返事をした。
そしてそのまま部屋を辞する。
一人残された部屋の中で、ルドルフは自分の胸に手を当てる。
そして、かみしめるように、
「……リュイシュン」
そう、その名を呼んだ。
それから視線を動かした時に、不意になにか光るものが床に落ちていることに気づく。
立ち上がって拾うと、それは手のひらに収まる小さな根付けだった。
「これは、あいつが忘れて行ったものか?
水晶の根付け……。こんな安物を公爵家の後継が……?」
どこからどう見ても安物だ。こんなものを王宮まで持ってくるなら大事なものなのだろう。
「いや、養子になる前にもらったものだろうか。
そういえばあのとき、騎士から奪い返していたな」
以前、騎士に因縁をつけられた時、騎士の手から奪い返していたものだ。
おそらくあの騎士は、根付けを人質に呼び出したのだろう。
「……大事なものか」
そう考えると、胸のあたりがしくりと痛んだ。
だがノックの音が響いて、反射的に顔を上げる。
「なんだ?」
「王太子殿下、宰相閣下がお呼びです」
「無礼だぞ。向こうから訪ねてくるべきだ」
扉の向こうからの声に答えて、すぐ違和感に気づいた。
いや、奇妙だな。リュイシュンが帰ったなら、宰相も帰ったはず。
そう考えた矢先、扉が開いた。




