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第四話 私が育てた

 ユミルが王太子にルドルフという名を与えてから一週間が経過した。

「リュイシュン、立っていて暇ではないか?」

「いえ、それがお役目ですから」

 朝食をとっているルドルフの傍らに立って微動だにしていなかったユミルに、不意にルドルフが話しかける。

「俺は一人で食べていても退屈だ」

「はあ」

「だから一緒に食べないか」

「……あの、殿下。私のことなんだと思われてます?」

 いくらなんでも、王太子と相席して食事をとる護衛騎士はいないだろうと思うのだが。

「王太子を猫の名前で呼ぶ恐れ知らずの命知らず」

「……すいませんね命知らずで」

「そういうところが気に入ってるんだ。気にするな」

「はあ」

 あれ、今気に入ってるって言われた?

 まあ、護衛騎士としては良いことなのかな?

「お前も一緒に食べよう。明日から席と料理を用意させる」

「い、いえ、さすがにそれは」

「嫌なのか?」

「……嫌、というわけではないんですが」

 これは本心だ。ただ困るだけで。

「じゃあ頼む」

「……えぇ」

「その顔はなんだその顔は。嫌なわけではないんだろう」

「嫌ではありません。割と『マジかよ』みたいな感じで引いているだけです」

 うん、結構引いてる。護衛騎士にそんなこと命じるなよ。

「どのみち失礼だな」

 そう笑ったルドルフが、不意に顔を引き締め眉を寄せた。

 部屋の扉がノックされ、一人の中年の男性が入室してきた。

「殿下」

「なんだ、ミゲル大臣」

 どうやらこの頭髪の貧しい男は大臣らしい。

 勘だけど、ジドールのことよく思ってなさそう。

 あの若さで宰相になること自体、異例だろうし。

「いえ、心配になり、ご尊顔を拝謁しに参りました」

「心配?」

「どこぞの馬の骨を護衛騎士に迎えられたと」

「どこぞの馬の骨ではない。ローゼンベルク宰相の養子だ」

 にやにやと嫌な笑みを浮かべた大臣に、ルドルフは食事の手を止めて眉をしかめた。

「養子、ではありませんか。

 宰相閣下はその子どもを『ローゼンベルク公爵家の遠縁』と仰っていますが、実際のところはどうか怪しいでしょう。

 赤の他人を殿下に近づくつもりで養子に迎えたのかもしれない」

 当たり。割と鋭いなこのおっさん。

「この金色の髪と紫寄りの瞳はローゼンベルク家由来のものだろう。

 ほかの血統でこの色の瞳を見たか?」

「……まあ、それはそうですがね」

 まあ、そこは見破れないだろうな。

 自分の髪と瞳の色を変えているのは魔法じゃない。

 ローゼンベルク家に伝わる秘伝の魔導具の効果によるものだ。

 秘伝と言われる通り、その魔導具の存在は王家の者ですら知らないらしい。

 だから、この大臣らしいおっさんが知らなくても当然。

 通常、魔法で髪や瞳の色など、容姿を変えるのは不可能とされている。

「ルドルフ殿下、私はなにを言われても気にしませんが」

「……“ルドルフ殿下”?」

 口を挟んだユミルの言葉に大臣が眉を寄せる。

「お前、まさか恐れ多くも王太子殿下に勝手に名を付けたか!?

 なんと礼儀知らず、不敬な!」

「やめろ」

「しかし殿下!」

「そう俺への忠誠心を示すようなそぶりをしながら、俺に一定距離以上近づいて来ない男がなにを言う」

 冷淡な声音で言われ、大臣が息を呑んだ。

「この恐れ知らずの命知らずは、平気で俺の傍らに立って息をしているがな。

 ほら、これは美味いぞ」

「へ?」

 不意にルドルフはパンをちぎって、シチューにつけるとそれをユミルの口に押し込んだ。「むぐ」

「どうだ。美味いだろう」

「美味いですけども……、なんですか急に」

 少し眉を寄せながらも、怯えなど一切浮かんでいない顔でもぐもぐとパンを咀嚼し飲み込んだユミルに、大臣が青ざめる。

「こういうことだ。

 文句を言うなら、こいつの代わりに同じことが出来る人間を連れて来い。

 いいな?」

「……っ、御前を、失礼致します」

 勝ち誇ったように告げたルドルフに、大臣は悔しげに顔を歪めながら一礼し、退室した。

「なんだったんですかあのハゲチャビン」

「ブフッ」

 率直な感想を口にしたついでに大臣にあだ名をつけたユミルに、ルドルフが吹き出す。

「え? 駄目でした? ハゲチャビン」

「い、いや、お前、なかなかネーミングセンスいいな……っ」

「悪口に関しては自信あります」

「あったら駄目だろ」

 そう返しながらも、ルドルフはくつくつと愉快そうに笑っている。

 まあ、あの大臣の言いたいことはわからないけどルドルフが楽しそうだからいいや、とそのときは思った。




 昼過ぎ、ユミルは宰相の執務室の前に来ていた。

 毎日一度の報告を義務づけられてるけど、これなんの意味があるのかわからないな。

 王太子の護衛騎士とはいえ、まだ完全に信頼を得てないから、住んでる家はローゼンベルク公爵家の屋敷なので夜には同じ屋敷に帰るし。

 そう考えていたら、部屋の扉が中から開いた。

「おや」

 出て来た背の高い男は、ジドールではなかった。

「これはこれは、随分と可愛らしい護衛騎士もいたものだ」

 そう楽しそうに笑う男を見上げ、ユミルは思案する。

 誰だろう。長い銀髪に水色の瞳の、貴族らしい立ち振る舞いと装束の男性。

 ジドールと同世代くらいの外見だけど。

「ふうん? 赤紫色の瞳か……」

「わ」

 不意に顔の横に手を突かれ、身を寄せられる。

「もっと近くへ」

 そう囁いた男に息を呑んだときだ。

「エイデス!」

 焦った声が廊下に響いた。

 執務室から血相を変えた顔をしてジドールが出て来る。

「どうした。ジドール。そんな焦った顔をして。

 心配せずとも、お前の養子になにかしたりしない」

「そういう問題じゃない」

 ユミルから身を離した男──エイデスという名前らしい──は楽しそうに、余裕を失った顔をしたジドールを見やる。

「ならどういう問題だ?」

「いいから、もう用事は済んだだろう。

 立ち去れ。エイデス」

「……やれやれ、つれないことだな。我がライバル殿は」

 そう大仰に肩をすくめたエイデスは、終始愉快そうな笑みを形の良い唇に刻んだまま、背を向けて立ち去った。

 その場に残されたユミルは、少し離れた場所に立つジドールの顔を見上げる。

 ライバル?

 冷や汗を掻いてる。少し、顔が青い?

 こんな様子の、ジドール初めて見た。

 四年間、同じ屋敷で暮らしてきたけど、いつでも悠然とした顔で笑っている男なのに。

「ジドール」

「その名で呼ぶな」

 思わずいつものように呼んでしまうと、ぴしゃりと拒絶された。

 だがすぐにジドールはハッとした顔をして、気まずそうに口元を手で覆う。

「いや、すまない。名が悪いわけじゃない。

 しばらく、あの男と同じ呼び名を聞きたくないだけだ」

「……わかった」

 弱み、と思えれば良かったけど、なんかそういう感じとは少し違う。

 こう、迂闊に踏み抜けば殺されかねないような、そういう、逆鱗みたいな感じ。

 孤児で死にかけたこともあったからか、そういう嗅覚というか、人の顔色で感情を探る勘は聡いほうだ。

 そのまま執務室の中に入ると、ジドールは平静に戻ったような顔で椅子に腰掛けた。

「……ふ、」

「なに?」

「いや、お前の勘が聡くて良かったよ。そこで弱みを掴んだと思って喜ぶような浅慮な人間でなくて」

 笑みを浮かべるだけの余裕は戻ったらしいジドールに、ユミルは眉を寄せる。

「あんたがそんな簡単に弱み見せると思ってないだけ」

「まあ、それでいいよ」

「それで、この一日一回の定期報告ってなんか意味ある?」

 机の正面に立ったユミルはため息混じりに尋ねた。

「あの護衛騎士は毎日一回は宰相閣下の執務室に通ってます、って噂になったらあんた困らない?」

「その程度のことには考えが回るようでなによりだ」

「馬鹿にしてる」

「褒めているんだよ。その程度のことすら気づかない馬鹿を相手にさせられるからね。

 お前にわざわざ報告をさせてるのは、報告の内容が問題なんじゃないんだよ」

 机の上で手を組んだジドールに、ユミルはうっすら意味を察して「ふうん」と呟いた。

 つまり、一日一回王太子の護衛騎士が宰相閣下の執務室に赴いてるって知って、それを弱みだと考えるような人間をおびき出したいってことかな。

「そういえば、お前は随分と皮肉めいた名前をつけたね?」

「ルドルフって名前のこと?」

「そう」

 ジドールはすっかりいつもの調子に戻ったようで、こちらを見て微笑んでいる。

「皮肉かな。そんなつもりないけど」

「ああ、そうだろうね。お前にそんな他意はないだろう。

 だから、殿下の懐にも入り込めるのかな」

 そう少し感心したような声で言って、ジドールは満足そうに口角を上げた。

「まあいい。充分身の回りには気をつけなさい」

「意味深忠告」

 そう呟いて、ユミルは部屋の扉へと向かって手を伸ばした。

 そのまま執務室を出て、廊下を歩きルドルフの私室に戻る途中だった。

「おい、お前!」

 不意に廊下で数人の腰に剣を差した騎士たちに呼ばれ、眉を寄せる。

「王太子殿下の護衛騎士をやめろ」

「あんた、誰?

 なんの権利があってそんなことを?」

「お、お前には関係がない!

 いいから来い!」

 全く怯まず見返したユミルの気迫にわずかに怯んだ騎士だったが、手の中に握っていたものをぶら下げる。

「来なければこれを燃やすぞ」

「あれは……っ」

 ユミルは息を呑む。

 男の手の中にあったのは、安物の水晶の根付け。

 あの夜、グレイにもらったたった一つの。

 おそらくどこかで落としてしまったのだ。

 あれだけは、なくしたくない。グレイの想い出が詰まった、たった一つの。

「……わかった」

 拳を握りしめて、ユミルは低い声で答えた。




 その頃、私室で書物を読んでいたルドルフは、扉をノックされ顔を上げる。

「リュイシュンか?

 ノックなど要らないと言ったのに」

「失礼致します」

「ローゼンベルク宰相?」

 扉を開けて室内に足を踏み入れたのはジドールで、ルドルフは意外そうに目を瞬く。

「どうした?

 リュイシュンは?」

「随分と懐かれたようで」

 くす、と笑ったジドールにルドルフはかすかに眉を寄せる。

「実は、リュイシュンを気に入らない貴族令息の騎士たちが、彼を鍛錬場に連れ出したようで」

「……そうか」

 だが続いて告げられた内容に、かすかに息を呑んで表情を険しくした。

 早足で扉に向かうルドルフに、ジドールは余裕を保った顔のまま、

「本当に、随分と気に入られたようだ」

 と呟く。

「あなたは、随分余裕だな」

「知っていますから」

「……?」

 端的に答えたジドールに、ルドルフが眉をひそめる。

「あれは、私が鍛えた。私が育てました」

 ジドールは胸に手を当てて、優雅な笑みで答える。

「そんじょそこらの貴族のガキが寄ってたかろうが、倒せるわけがないんですよ」

 そう、揺るぎない自信をにじませて。




 そのままジドールと共に鍛錬場に赴いたルドルフは、鍛錬場に広がっていた光景に息を呑む。

「ああ、ほら、言わんこっちゃない」

 そう、予期したままの光景だとジドールは笑った。

 地面に倒れて呻いている何人もの騎士たちの姿がある。

 その中央で剣を握って立つのはユミルで、その装束には汚れ一つない。

「もう終わりか?

 いい加減にしろ。あんたたちのくだらない用事に付き合ってられないんだ」

 ユミルはため息を吐いて、剣を一閃させると自分をこの場に連れてきた代表格の騎士を睨む。

「わかったら、あの根付けを返せ」

「う、うるさい! お前、どうせ宰相閣下からなにも教わってないんだろう!

 王太子殿下をなぜ皆が恐れるか!」

「っ」

 騎士の言葉にかすかにルドルフが息を呑む。

 そのことをユミルには知られたくないと恐れるように。

「王太子は解けない呪いに侵されている! 近づく者は全て命を落とすんだ!」

 唯一の切り札とばかりに叫んだ騎士だが、ユミルの表情は揺らがなかった。

「は? それが?」

「は」

「それがなに? くっっっっっっっっっっっだらない」

 心底呆れたという風に、怯えなど欠片もない顔で言い放ったユミルに、騎士が呼吸を失う。

「もっとマシな理由で恐れろよ」

「う、嘘じゃないぞ。本当に、あの方の周囲で何人もの人間が死んで」

「だからくだらない」

 はっきり言い切って、ユミルはその騎士に大股で近寄って根付けを奪い取る。

「命も懸ける覚悟なしに、護衛騎士なんてやってない」

 きっぱり告げて、騎士に背を向けたユミルを見て思わずジドールが吹き出した。

「ふふ……っ。

 おわかりですか。王太子殿下。

 あれは、ああいう子です」

 どうだ見たか、と言いたげなジドールの言葉にルドルフはずっと、ユミルから目を離せないでいた。

「リュイシュン」

 その唇が、思わずその名を呼ぶ。

「宰相閣下……」

 不意にユミルがこちらに気づいて、ジドールを呼ぶ。

「と、殿下」

「と!? 俺のほうが『と』!?」

「すみません。『と』のほうでした」

「もう少し申し訳なさそうにしろ!」

 ついでのように呼ばれて、ルドルフは思わずツッコんだ。

「すいません。宰相閣下のほうが背が高かったので」

「悪びれず俺がチビだと言うな!」

「チビだとは言ってません。ちゃんと立派な身長がおありじゃないですか。

 ただ宰相閣下のほうが高いだけで」

「こいつは縦に長いだけだ!」

 そんな気の抜けたやり取りを平然とするユミルに、先ほどまで試合を見ていた騎士たちが顔を見合わせる。

 なんだか参った、という顔だ。根付けを持っていた代表格の騎士も、茫然としている。

「それで、なんの御用ですか。ルドルフ殿下。

 あ、すみません。僕が護衛騎士なのに一人にしちゃってたんだ」

「全く……お前は」

 そう零したルドルフの表情は、安堵のにじんだ泣き笑いだった。

「そうだ。早く一緒に行くぞ」

「はい」

 そのまま歩き出した二人を見送って、騎士の一人が呟く。

「ルドルフ、って」

「あの子がつけた殿下のあだ名らしいよ」

 答えたのはジドールだ。

「宰相閣下」

「恐れ知らずの命知らずだろう?

 そういう子じゃないと、殿下の護衛騎士は務まらないだろうね」

 思わず畏まった騎士たちに、ジドールは満足そうに微笑む。

「あの子に勝てると思うものを見つけてから、私に文句を言いに来るといい」

 そう言い残し、手をひら、と振ってジドールは鍛錬場を後にした。


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