第二話 王太子の護衛騎士
目映い陽射しが照らす廊下を歩く。
三階建ての、いっそ城と呼ぶべき豪華な屋敷は王都の王宮からそう離れていない場所にある。
その三階の廊下を歩いているのは肩で切り揃えられた金色の髪に、宝石のような煌めきの赤紫色の瞳を持った17歳ほどの青年、に身をやつした少女だ。
年相応に育った胸を布で押し潰し、貴族令息らしい装束を身に纏った男装の少女に、背後から走ってきた同い年くらいの少女が抱きついた。
「リュイシュン!」
「リーリアお嬢様」
長い金色の髪のリーリアと呼ばれた少女は、スカートの裾をひらめかせて笑う。
「リーリアでいいって言ってるのに、つれない」
「僕は養子ですから」
「跡継ぎとしてお父様が迎えた、でしょう?
じゃあわたしより偉いじゃない」
「偉いなんて、そんな」
「だって」
無表情に近い顔で否定した男装の少女に、リーリアは少し拗ねたような表情になる。
「お父様ったら、わたしたちの教育は家庭教師任せなのに、リュイシュンの教育は全部ご自分でやられてるんだもの。
その特別扱いが、跡継ぎに対する期待以外のなんだって言うの?」
そう言われると答えに窮する。
男装の少女──ユミル自身、養父となったジドールがそこまでするのかわからないからだ。
ユミルはあれから、ジドールに男児として引き取られた。
目の前にいるリーリアはジドールの娘だ。
ジドールには娘が二人いたが、息子はいなかったため、ユミルを男装させ、男児と偽ってローゼンベルク公爵家の後継として迎えた。
あの業火の傍らで魔法契約を交わした夜から、四年が経っている。
喉が炎の煙を吸い込んだ影響で痛んでしまい、女子特有の高い声が少年らしい高めながらも低い声に変質したのは、男装する上でちょうど良かったのだろう。
だが自分のような孤児を養子に迎えるなんて、ジドールの妻も娘も良い顔をしないだろうと思ったのだが、どうやら自分は遠縁から迎えた子ということになっているらしく、ジドールの娘たちは気にしていない。
ジドールの妻は娘二人を残して病で亡くなっており、男と偽った自分を養子に迎えるのは自然と言えた。
栄養価の高い食事を惜しみなく得られるおかげで、自分の身長はだいぶ伸びた。
おそらく栄養不足で初潮が来るのが遅れていたのも功を奏したのだろう。
おかげで、17歳の男としては少し小柄だが、女としては背が高いと言える程度の身長はある。
それからローゼンベルク家で、一から貴族のマナーや処世術を学び、それ以外にも国の歴史や文字の読み書き、貴族なら一通り学んでいて当然の美術、音楽、社交ダンス、魔法や医学の勉強まで受けた。
それらを全て自分に教えたのは他ならぬジドールだ。
自分が文字の読み書きも出来ない孤児とバレては困るのだから当然かもしれないが、実際ジドールほど貴族男子としての所作の手本となる人物はいなかった。
それほどジドールの立ち居振る舞いは洗練されきった、優雅なものだった。
一番驚いたのは、ジドールから剣術を教わったことだ。
宰相自ら剣を振るって孤児なんかに剣術教えていいのか、と思っていたが、ジドールの護衛騎士をしている男に「自分ですら剣術でジドール様に敵わないのだから、ジドール様自ら教えるのが理に適っている」と言われて驚いたことがある。
その上、国でも随一の魔法の使い手なのだから、それは確かに魔法契約でもなければ自分に殺せる隙はない。
そう考えると、そのアドバンテージを投げ捨てるような魔法契約を自分と結んだのはなぜだろうと不可解になるが、今のところジドールの「役に立つ」ようなことを命じられていない。
「あ、そうだ」
少し考え込んでしまっていたら、リーリアがふと思い出したように声を上げた。
「わたし、リュイシュンを呼びに来たんだ。
お父様が呼んでるわよ。書斎においでって」
「父上が?」
聞き返したユミルに、リーリアは笑顔で頷いた。
ユミルが二階にあるジドールの書斎を訪れると、ジドールは書類の積まれた机の前に座っていた。
そのくすみのない白磁の肌も、煌びやかな金糸の髪も、すみれの花弁を思わせる紫の瞳もどれもが優美だ。実際二人の子がおり、四十代の男性だというのに初めて出会った日から変わらず若々しく、二十代の若者にしか見えない傾国の美貌の持ち主だ。
もっとも、これだけ若い見目で宰相では、舐められることも多そうだから良し悪しだろうが。
「来たか」
「来たよ。なんの用事?」
人前で使う敬語も取り繕った態度も投げ捨てた口調で聞けば、ジドールはくくっと笑った。
「相変わらず、私と二人きりになると全く擬態をしないな。
正直でよろしい」
「そういう無駄な会話はいい。
なんの用事かって言ってんの」
「なに、薄々察してるんじゃないのか?
そろそろ、約束通り私の役に立ってもらおうと思ってな」
ジドールの言葉にやっとか、と前のめりになりそうな気持ちを堪える。
この四年、獲物を前にしながらずっとお預けをされている獣の気分だった。
ジドールの目的がわからないから尚更だ。
「なにを、すれば」
「お前にはこれから、王宮に入り王太子殿下の護衛騎士となってもらう」
「王太子殿下の護衛騎士?」
「そうだ」
ジドールの言葉は簡潔だった。
王太子の護衛騎士。だから剣術を学ばせたのかと納得はする。
だがわからない。自分の息のかかった人間を王太子のそばに置きたいなら、いくらでもジドールの意のままになる人間はいるはずだ。
なによりジドールには王太子と年の近い娘がいる。
公爵令嬢ならば、身分に不足はない。
新たに養子を迎え、一から教育を施す手間暇をかけてまで、自分である必要はないはずだ。
「それって、僕に王太子殿下の暗殺を命じたいってこと?」
思いついたのがそれだった。
王太子を暗殺させる捨て駒。それならば自分みたいな孤児を利用するのもわかる。
「それがあんたの目的?」
「お前は馬鹿なの?」
優美な笑顔で辛辣な言葉を吐かれた。
「うーん、そういうおかしなこと聞く馬鹿にならないよう教育したつもりなんだけど、育ちの悪さは直らなかったかな?」
「ほかに、僕を王太子の護衛にするあんたの目的が思いつかなかっただけだよ」
「馬鹿だね」
「また言った」
どうやら盛大に外したらしい。だからって馬鹿はないだろう。
「馬鹿だから馬鹿だと言ってるんだよ。
その程度のことが目的なら、お前と魔法契約なんかせずにとっくに自分でやっている」
優雅に微笑んではっきり言い切ったジドールに息を呑む。
「その程度のことが目的じゃないから、お前と魔法契約をして養子にして、沢山の教育を施したんだろう?
そもそも、誰かの暗殺が目的ならお前を養子にはしないし教育もしない。
養子にしたら、迂闊に捨て駒に出来なくなってしまうじゃないか」
それはそうだ。自分を養子に迎え、時間を掛けて教育を施す。
そこまでして誰かの暗殺を命じるメリットは、確かにジドールにはない。
そもそも宰相であり公爵。その気になれば娘を王太子妃に出来る立場で、王族の暗殺を望むというのは考えにくい。
「じゃあ、一体なんの目的で」
「それは自分で考えなさい。
私がわざわざ目的まで教える優しい大人に見えるかい?」
「見えない」
不承不承答えた。
ジドールは自分への教育という面では時間も手間も惜しまなかったが、目的は一切話さず、気取らせもしなかった。
そんな親切な人間のはずがない。
「よろしい。もしそう見えていたなら、目の悪さを疑うところだ」
この男、本当に自分の前では口が悪いな。
ほかの人間の前では本当に外面の良い温厚な紳士って感じなのに。
ただ、宰相となるに相応しい傑物なのはもう理解している。
そうでなければこの若さで一国の宰相になどなれない。
「とにかく、僕は余計な真似はせず、王太子の護衛をすればいいんだな?」
「理解したならいい。それがお前の役割だ」
「わかった。あんたの役に立つ」
考えるのはなしだ。目的は四年前から決まっている。
「それで、あんたの命をもらう」
グレイやみんなの仇を取る。そのためだけに、生きながらえたのだから。
その翌日、ユミルはジドールに伴われ、王宮に赴いた。
召使いから国王が中庭の四阿にいると聞いたジドールは、自分を連れて中庭に向かう。
色とりどりの花が咲き誇る中庭の、奥に見える四阿。
そこに四十代の男性が座っていた。
「クロード国王陛下」
「……ジドールか」
微笑んで話しかけたジドールに、国王は静かな視線を向ける。
「王太子殿下の護衛騎士となる息子を連れて参りました」
「息子か」
国王はジドールの隣に立つユミルを見て、少し目を細めた。
「養子と聞くが」
「ええ。私には男児がいないため、遠縁の子を養子に。
ですが教育は全て私自ら施しました。
必ずや王太子殿下の矛と盾となることをお約束します」
「知っているのか?」
国王の問いは端的すぎて、ユミルにはなんのことかわからない。
だがジドールは笑みを浮かべたまま、
「問題ありません。彼はその程度、意に介する人間ではありませんから」
と即答する。
「その程度と言うか。大した男だ」
国王はふっと笑って、ユミルを見つめる。
「名は」
「リュイシュンと申します」
「そうか。では、今よりリュイシュン・ローゼンベルクを王太子の護衛騎士に任ずる」
威厳ある声に告げられ、ユミルは短く承諾の返事をする。
それきり、国王は興味を失ったように視線を前に戻す。
ユミルはジドールに促され、その場を離れるとジドールと共に王宮内のある部屋の前まで向かった。
「王太子殿下」
ジドールが扉をノックし、声を掛けると中から応答があった。
「ジドールです。殿下の護衛騎士を連れて参りました」
「入れ」
返事は、父親である国王に負けず劣らず、感情がそぎ落とされた声だった。
ジドールが扉を開ける。
広々とした空間に見事なしつらえの調度品が並ぶ部屋の中央、ソファに腰掛け本を手に持っていた青年がこちらを向いた。
国王と同じ銀髪碧眼の、ユミルと大して年齢の変わらない青年は豪華な装束に身を包み、こちらを見た。
「それが俺の護衛か」
「はい。リュイシュン・ローゼンベルクと申します」
ユミルを一瞥し尋ねた王太子に、ジドールが答える。
「お初にお目にかかります。リュイシュンと申します」
王太子に向かい一礼したユミルに、王太子ははちり、と瞬きをした。
「なるほど。王太子の護衛に相応しいだけの教育は施されているということか」
その一礼だけでそれを見抜いた王太子は、それが当然とばかりに視線をユミルから外した。
まるでそれで興味を失ったかのような態度は、やはり父王に似ている。
「では、これで私は失礼致します」
ジドールはひと言告げて、部屋を出ていく。
ユミルの背後で扉が閉まった。
それきり室内に沈黙が落ちる。
ちょっと、気まずい。なにか話したほうがいいんだろうか。
いや、護衛騎士って王太子とおしゃべりする仕事じゃないだろうし、いいのか?
気配を絶って王太子のそばにいれば。
あれ、そういえば。
「王太子殿下。発言をお許しください」
「許す。なんだ」
「私は父より、王太子殿下の御名をお聞きしていないのですが」
「ない」
端的に答えられ、ユミルは戸惑う。
「ない、とは?」
「ない」
「………………」
それきり、王太子は黙ってしまった。視線も合わない。
ええ、ない、とはどういう……?
孤児だって名前くらいはあるのに、まさか王太子に名前がないはずないだろう。
でも自分の役に立てと言うくらいだから、役に立つために必要なことをあのジドールが教えないとは思えないし。
「ではあだ名をおつけしてもよろしいでしょうか?」
「は?」
あ、今すっごい頓狂な声が出たな。思いも寄らないことを言われたって声だ。
「いえ、呼び名がないと不便ですので」
しれっと答えたユミルに、王太子はこちらを向いて絶句する。
それはそうだろう。王太子に向かって、あだ名を付けるなんて言い出す護衛騎士はまずいなかったはずだ。
「……本気で、言っているのか?」
「本気で申しております」
「…………………」
だって本当に、名前ないと不便じゃない。
孤児だって親から名前をもらえなかった子はほかの人間がつけるし、孤児同士で名付けてもらったりもするんだから。
「呼び名がなくては、孤児以下でございますよ」
「……お前、俺が孤児以下と言ったか?」
「申しました」
はっきり言い切ったら、王太子が眉を寄せた。
悪びれずにいると、勢いよく立ち上がった王太子がそのまま扉に手を掛ける。
「殿下。どちらへ?」
「ついてくるな」
短く拒絶の言葉を吐いて部屋を出ていった王太子に、ユミルは悩む。
「いや、放っておくわけにいかないでしょう」
護衛騎士なんだから、と独りごちて、その後を追いかけた。
王太子を探して廊下を歩いていたが、見失ってしまった。
王宮内を案内されていないので、自分のいる場所がわからない。
しまった。なんたる失態だ。そう思った矢先だ。
「おい」
不意に頭上から声がした。だが、王太子の声ではない。
見上げると、見知らぬ貴族らしき若者の姿があった。
「お前だろう。王太子殿下の新しい護衛騎士ってのは」
「……お前は?」
端的に問い返せば、貴族の男はわずかに気圧されつつ、
「なんだよ。まだまだガキみたいじゃないか。
むしろ女みたいに小さいな。
そんなので王太子殿下の護衛なんか務まると思ってるのか?」
と下品に笑った。
「僕はお前の名を聞いている。
それから、僕の師匠はジドール・ローゼンベルクだ。
それに不足があると?」
「……っ」
全く臆さないユミルの鋭い眼光と低い声に鼻白んだ男は、「この…っ」と悔し紛れにこちらに手を伸ばしてきた。
さすがに貴族の手は切り落としたらまずいよな、と対応に一瞬迷った、時だ。
横から出て来た手が、男の首根っこを掴んで床に引きずり倒した。
「てめ、なにす……っ!?」
「それは俺に対する口の利き方か?」
目をつり上げて起き上がった男は、頭上から見下ろしてくるのが王太子だと気づいて青ざめた。
「お前は、俺の護衛騎士になにをしている?」
「い、いえ、その」
「なにをしている?」
「し、失礼致しました!」
王太子の低い声に怯えたように、男は震え上がってそのまま走って立ち去る。
王太子はそれを見送ってため息を吐いた。
「あの、殿下。助けていただいて……」
「お前の度胸は、どうやら本物らしいな」
ぎこちないながら礼を言おうとしたユミルに、王太子は困ったように呟く。
「俺のあだ名をつけると言うのも、本気か」
「本気です」
「……知らないのか」
短く、少し不安げに尋ねられる。
その目に、直感した。昔、孤児院にいた、親に捨てられ虐待を受けていた兄妹の目だ。
相手を探るような、自分を害さないか疑うような、その目。
「知りませんが、それでも私は殿下には人が呼ぶ名が必要だと思います」
「………………」
よどみなく答えたユミルに、王太子は悩んだように黙り込む。
そして、
「……わかった。好きに呼べ」
そう、嘆息と共に許可を与えた。
「はい、承知しました」
はっきりと頷いた自分を見て、王太子は少しだけ、どこか期待するような目をした、気がした。




