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第一話 復讐の始まり


 13歳の頃、自分の世界はあの夕焼けに似た瞳一色だった。


 賑やかな街の中を走る。

 使い古した洋服。同じように使い古した靴。くすんだ薄紫色の髪。

 自分のような孤児は、この街にはありふれていて、街の住民もちらっと見ただけですぐ視線を外す。

「グレイ!」

 一目散に走って向かった先に、一人の少年が立っている。

 自分と同じように使い古した洋服と靴の、13歳の少年。

 灰色の髪、夕焼けのような瞳の彼は、自分を見て明るく笑った。

「ユミル」

 彼に呼ばれて、自分はその前で足を止める。

 嬉しそうに笑って、グレイの手を取った。

「グレイ、お使い終わった?」

「今終わったところ。ユミルは迎えに来てくれたのか?」

「うん」

「じゃあ帰ろう」

 頷いたグレイがユミルの手を握り返す。

 そのまま並んで歩き出した。

「グレイ。今日のお使いって買い物?」

「そう。マザーが腰痛めてるだろ。

 それで代わりに」

「あ、じゃあそれ重たいよね。

 手は離したほうがいい?」

 ユミルは紙袋を抱えたグレイから手を離そうとしたが、すぐ強く手を引かれる。

「大丈夫!」

「グレイ……」

「そんなこと気にすんなよ。お前の手を引くのはおれの役目だろ?」

「……うん」

 にかっと笑われ、胸に湧き上がったくすぐったさからユミルははにかんだ。

 同じ年に孤児院に捨てられた者同士で、ユミルは孤児院の子どもの中でも特にグレイと親しかった。

「あれ、それ本?

 グレイ、私と一緒で文字の読み書き出来ないよね?」

「ああ、これはマザーの。

 ほら、小さい奴らのために絵本読んでやってるだろ?

 でもうち、絵本なんて一冊しかないから小さい奴ら飽きちまって、一番安いのでいいからなにか買ってきてくれって」

「ああ」

 納得したようにユミルは声を漏らす。

「おれが読むならもっと分厚い本がいいな。

 文字の読み書きが出来るようになったらさ、いろんな本が読みたい」

「グレイ。博士にでもなるつもり?」

「いやそういうんじゃないけど、あ」

 ふとグレイがなにか思い出したように声をあげた。

「博士で思い出した。

 なあユミル。お前、ジキル博士って知ってるか?」

「知らない。誰それ」

「そういう人がいたんだと。

 自分の中の悪を滅ぼそうとして、逆に飲み込まれた博士。

 悪の名前はなんだったかな。

 そうだ、ハイドだ」

「……ふうん?」

 初めて聞く話だ。全く知らない。

 ユミルが興味なさそうにしているのを見て、グレイは「まあそういう人がどっかにいたんだって話だろ」と話題をまとめた。

 そんな話をしている間に、街の外れにある孤児院に到着する。

「おかえりにーちゃんねーちゃん!」

「はいはい。ただいま」

「グレイ。私、この本マザーに渡してくる」

「おう」

 孤児院の中から出て来た小さな子どもがグレイに抱きつく。

 ユミルは絵本を手に取って、孤児院の中に向かった。

 マザーに本を渡し、マザーの部屋から出ると玄関のほうが騒がしい。

 廊下から遠目で開きっぱなしの玄関を見ると、玄関に立ったグレイが誰かと話している。

「あら、お客さんかしら」

 マザーが腰に手をやりながら歩いてきて、玄関に向かった。

 追いかけようとしたところで、不意に玄関に立っていたグレイと目が合う。

 瞬間、その唇が早く動いた。


『待ってろ』


 グレイはそう言った。足がその場で止まる。

「まあ、この子を貴族様が養子に?」

「ええ、是非にと旦那様が」

 姿の見えない来客と、マザーの会話が聞こえた。




 その日の夜、ユミルは部屋の粗末なベッドに横になって、考えていた。

 貴族がグレイを養子に欲しいと言った。

 貴族様が孤児なんかを養子に欲しがるはずはないから、もしかしたらグレイは元々貴族家の息子だったのかもしれない。

 なんらかの理由で捨てられたのだとしたら、辻褄は合う。

 グレイはなんて答えたんだろう。

 もし、頷いていたら、

「やだなぁ」

 ぽつりと呟いた時だ。

 窓を叩かれ、ベッドの上に飛び起きる。

 窓のほうを見ると、家の中にいるはずのグレイが庭で笑っていた。




「グレイ。どうしたの?

 こんなとこまで来て」

「いいからいいから」

 グレイに手を引かれ、こっそり孤児院を抜け出して来たのは孤児院の近くの湖前の草原だ。

「ねえ、グレイ。……養子に行っちゃうの?」

「うん」

「……そっか」

 ぽつりと零した声が震えないように気をつけた。

 本当は行って欲しくない。

 ずっと、ずっと、一緒にいたい。

「言っとくけど、おれはお前の手を引く役目を忘れたわけじゃねーからな」

 グレイは慌ててそう言って、少し照れたように笑った。

「ただ、おれが養子になったら、この孤児院や近くのほかの孤児院にも寄付して、教育受けられるようにしてくれるってさ」

「え」

「だから、行く。遠く離れても、おれはお前の手を引いていくから」

 そう、明るく笑った彼を見たら、行かないでなんて言えなくて。

「あ、そうだ。ユミル。これ」

 不意にグレイがポケットからなにかを取り出し、こちらに拳を突き出す。

 疑問符を浮かべながら手を差し出したら、手のひらに小さなものが落ちた。

「……これ」

 小さな根付けだ。安物の水晶がついた。

 おそらく、今日の外出で買ってきたのだろう。

「それ、お守りな。どこにいても一緒にいるように」

「………………ん」

「じゃ、戻って寝るか」

 そう照れくさそうに言って立ち上がったグレイが背を向ける。

 その背中に手を伸ばしかけて、引っ込めた。

 呼び止めちゃ駄目。引き留めちゃ駄目。やっとグレイが幸せになれるの。

 だから、


(好きだからいかないで)


 そんなこと、言っちゃ駄目。

「グレイ」

「ん?」

「私、少し涼んでいくから、先戻ってて」

「……そうか? わかった」

 ユミルの言葉にグレイは不思議そうにしながらも、あまり疑問も持たずに頷いた。

 グレイが歩いて森の中に入っていく。

 小さな森を抜ければすぐ孤児院だ。

 ユミルは草原の上に残って、手に持った根付けを月明かりにかざした。

 水晶がきらりと輝く。

 浮かんだ涙を拭って、戻ろうと視線を戻した時だ。

 なにかが、見えた。

「……?」

 空に昇っていく、薄汚れた色。

 それが煙だと理解して、息を呑んだ。

 煙が上っている方角は、孤児院のある場所だ。

 地面を蹴る。走って孤児院まで向かう。

 ユミルが孤児院の前に到着した時には、孤児院は炎に包まれていた。

「……うそ」

 擦れた声が漏れる。

「みんな! マザー!」

 叫んでも返事がない。

 じゃあ、待って。先に孤児院に戻ったグレイはどうしたの?

「グレイ! グレ……!」

 不意に炎に焼けた玄関の木の扉が落ちる。

 燃えさかる炎の中、玄関の向こうの赤く染まった床に、それが見えた。

「あ」

 頭がある。

 胴体から、切り落とされた頭。夥しい血がその場に流れている。

 炎に照らされたその灰色の髪は、自分の大好きな色をしていた。

「グレイ!」

 駆け出そうとした瞬間、二階の屋根が焼け落ちて、グレイの頭ごと一階の玄関を押し潰した。

 それを茫然と見つめる。足が崩れた。

 涙がぼたぼたと頬を流れる。

 いやだ。うそだ。グレイ。みんな。どうして。

「わあああああああああああああああああああ!」

 炎に包まれた孤児院の前にうずくまって、絶叫を上げた、そのときだ。

「なんだ。殺し損ねた子どもがいたのか」

 不意に頭上から、冷徹な声が響いた。

 成人した男としては少し高めの、落ち着いた声質の響き。

 地面に横たえていた身体を起こすと、少し離れた場所に見慣れぬ男性が立っていた。

 孤児院を覆う業火に照らされて光る金色の髪、襟足は首を覆う程度には長いが、顔の横の髪は耳のあたりで切り揃えられている。

 静謐な印象の紫の瞳に、なんの感情も映さずにユミルを見下ろしている。

 仕立ての良い装束を身に纏っていることから、この男があの日、グレイを探しに来た貴族だとわかった。

「お、前、は」

 熱い煙で焦げたようにひりつく喉から声を絞り出す。

「『お前』? 社会の底辺で生きているような貧民が、呼び捨てていい相手だと思ってるのかい?」

 滑らかな声が冷淡に自分を、背後の孤児院で殺され、遺体すら焼かれている兄妹たちやマザーを侮辱する。その瞬間、脳裏に無惨に殺され、首だけにされた恋しい人の姿が、血まみれになった兄妹たちの姿が弾ける。

 気づけば字面を蹴ってその男の服を鷲掴んでいた。

「お前が! 殺したのか!」

 ありったけの声で、慟哭と激情を吐き出すように叫んだ。

 男の汚れ一つない服を掴む手が震えている。冷静そのものの男を見上げて睨む瞳に涙がにじむ。

「お前がグレイを! みんなを殺したのか!!!」

「無礼だな」

 憎悪を煮詰めたようなこんな声が、自分の喉から出せるのかと平時なら驚いただろう。

 なのに、目の前の男は相変わらず感情を見せない瞳で自分を見下ろし、ユミルの手を振り払う。

 大の大人の男と、年端もいかない少女の力の差は歴然だ。

 それだけで、突き飛ばされたようにユミルは背後に倒れる。

「そんなに汚い手で触れないでくれないか。

 折角仕立てた服が汚れてしまったじゃないか。

 これだから貧民は嫌いなんだ」

「…………っ」

「でも、いい目をしているな」

 不意に男はそう面白そうに口にして、近寄るとユミルのそばにしゃがんで、ユミルの髪を掴むと強引に顔を上げさせた。

「ふうん。混じりけのない真紅の瞳か。……いい目だ」

「……お、前、が、グレイ、を、みんなを」

「私を殺したいか?」

 小気味良さそうに笑んだ男が、そう聞いた。

「私を殺したいか?」

「……やる」

 擦れた声が喉からあふれた。ひりひりと痛む喉、いっそ焼けただれてしまえばよかったのに。

「殺してやる」

「本当に、いい目だ」

 男は冷淡な微笑を浮かべると、ユミルの髪を掴んでいた手を離す。

 そして立ち上がった。

 急に手を離され、体勢を崩しかけたユミルが顔を上げると、男は目の前に立ってこう言った。

「なら、私の利となれ」

「……は?」

「今のお前では、私を殺せないと言う話だ。

 一対一でも、お前に私を殺す力はない。

 まして私は貴族だ。私を守る護衛が、お前の復讐を許さない。

 ならどうすればいいと思う?」

 愉悦をにじませて問いかける男を睨み付けたまま、頭の中で考える。

 慟哭と怒りで真っ白になった頭の中でも、自分では目の前の男を殺せないことはわかった。

「……どうすれば」

 だが、男の問いかけ方は、まるで「お前に権利をやる」とでも言うようだ。

 だから声が無意識に零れていた。手を握りしめると、地面の砂が爪の間に入る感触がした。

「私の役に立つことだ」

 男の返答は端的だった。

「お前の全てを懸けて、私の役に立て。

 そうすれば、お前に私を殺す権利をやろう」

 男は到底、自分の生殺与奪権を他者に委ねるようには見えない、背筋が凍るような笑みを浮かべて告げる。

「その、保証は」

「魔法契約をしてやろう。

 しかるべき時が来た暁には、私の命をお前に委ねる。

 そう契約してやって構わない」

 魔法契約。

 孤児のユミルは聞きかじった程度の知識しかないが、魔法を依代に成す契約。

 発動した瞬間から、魔法の契約の楔が契約を結んだ相手の心臓に食い込むとされる、破った瞬間に死ぬ契約。

 そんなものを結んでいいと言うなら、この男は自分になにをさせるつもりなのか。

 いや、この男の野心などに興味はない。問題は自分がこの男を殺せるかどうか。

 自分がこの男を殺すには、どう考えてもほかの術はないのだ。

「……」

「どうやら、異論はないようだな」

 満足そうにユミルを見た男を、再度見上げた時には涙は止まっていた。

 もしやり直せるなら、きっとあの瞬間に戻って、グレイに行かないでと言って想いを伝えていただろう。でも、そんな奇跡の魔法などない。

 手を握りしめて、立ち上がる。

「お前の名は?」

「ユミル。姓はない。ただのユミル」

「なら、私が相応しい名をやろう」

「……あんたの、名前は」

 これから生涯刻みつけることになるだろう男の名を聞いた声は、ひどく冷え切っていた。

「ジドール・ローゼンベルク。

 ローゼンベルク公爵家の当主であり、この国の宰相だ」

 そう芳香を閉じ込めたような声で名乗って、男は、ジドールは手を差し出す。

 その手に、遙かに小さい手を重ねた。

 瞬間、二人の身体を中心に周囲に円状に風が走り、互いの手の甲に紋が刻まれた。

 熱い。これが、魔法契約。

「では、役に立ってもらおう。

 新しい我が娘」

 ジドールはそう囁いて、口角を上げる。

 燃えさかる炎の赤が、どこまでも鮮やかな夜だった。


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