第十四話 父親
思えばおかしかった。
ずっと、この人はジドールと繋がっていた。
『すぐに追いかけられなかったばかりに、死に別れることにまたなりたいのか?』
だから、今誰よりも信用出来る。
「どうすればいい」
ユミルは涙を拭って、エイデスを見上げた。
「ルードルール領へ行って、国王が王太子暗殺を命じたという証拠を見つけてきてくれ。
俺はそれまで、処刑を引き延ばすよう掛け合う」
「わかった」
「ユミル、俺も行く」
「はい」
エイデスの言葉に頷いて、ユミルとルドルフは地下牢の階段を上っていく。
エイデスはそれを見送って、地下牢の通路を歩き出した。
コツコツと靴音が鳴る。
「いるんだろう? エイデス」
不意に一番奥の牢屋から、ジドールの声がした。
「全く、すぐ気づくあたり可愛げがない」
エイデスはため息を吐いて、ジドールがいる牢屋の前に立った。
「馬鹿な真似などするなよ。
迂闊な介入でもしてみろ。お前まで巻き添えだ」
「それはそうだろうな。国王は、お前も俺も邪魔だろうから」
「……あの子は、ちゃんと逃がしたか」
不意に顔から笑みを消して問うてきたジドールに、エイデスは、
「お前の養い子なら、お前が無実の証拠を見つけに行ったよ」
と事実を告げる。
「な、」
ジドールが普段の余裕が嘘のように息を呑んだ。
すぐに立ち上がって、格子を掴んで身を乗り出してくる。
「どうして逃がさなかった!」
冷静さを失った声が地下牢に響く。
「あの子は解呪の赤目を持つ子だぞ。
私という壁がなくなったら、国王は必ずあの子も殺す!
どうしてあの子を逃がさなかった!」
「あの子どもがそれを望まないからだ」
ジドールと間近で見つめ合って、エイデスは痛んだ声で答えた。
「なあ、どうしてわからない?
我が身が可愛いなら、俺だってとっくに隣国にでも逃げているさ。
それをしないのは、誰がいるせいだと思ってる?」
擦れた声で吐いて、間近にあるジドールの胸ぐらを掴んだ。
「お前が、この国にいて決して逃げ出さないからだろう!」
普段決して出すことのない悲痛な叫びが喉を突いた。
「お前が、あいつの仇を討つことを誓って、逃げ出さないからだ!
あいつが亡くなった後、証拠を死に物狂いで探して、見付からないとわかったら復讐のために爪を研ぎ始めたお前を、俺はわかっていて遠ざかった。
お前は俺が裏切ったと思っているだろう。
あいつを見捨てたと思っているだろう。
どうしてわからない」
泣きそうに顔を歪めたエイデスを、ジドールは茫然と見上げている。
「お前を死なせたくないからだと、お前まで失いたくないからだと。
お前を死なせない術を、模索するしか、俺には手段がなかった」
「エイデス……」
「だから、」
腕を伸ばして、格子越しにその身体を抱きしめる。
「死ぬな」
腕の中で息を呑む身体を抱いて、エイデスは必死に願った。
「死ぬな。ジドール。
お前まで死んだら、俺はもう立ちゆかない。
お前を助けるためなら、俺はなんだって利用するし、なんにだってなってやる」
そう耳元で擦れた声を響かせて、エイデスはジドールを抱きしめていた腕を離す。
「覚えていろ。ジドール。
死んで楽になど、絶対させるものか」
捨て台詞を吐いて大股で地下牢を歩いていく背中を見やって、ジドールは格子に額を押し付けた。
「……大馬鹿者」
零した声は、ろくに響かずに冷えた空気の中に溶けた。
馬車では間に合わない。馬を飛ばして、ユミルとルドルフはルードルール領に赴いた。
証拠があるとしたら、領主の館しかない。
正面から入ったら証拠を隠されてしまうかもしれないと、窓から館の中に侵入し、領主の部屋に入る。
机の上の書類や、引き出しを探すが見付からない。
「全部燃やしてしまったか!?」
「わかりません。違う場所にあるのかも…!」
焦った二人だったが、不意に部屋の扉が開いて、一人の青年が姿を見せた。
彼はユミルとルドルフを見て驚く。
「だ、誰ですかあなたたち!」
「お前は、ネイギス・ルードルールか?」
「誰?」
「投獄されたルードルール領主の跡を継いだ遠戚だ」
低い声で青年の名を呼んだルドルフに、ユミルが問う。
ルドルフは端的に答えると、ネイギスに向き直った。
「証拠を知らないか」
「証拠……?」
「ルードルール領主が国王から暗殺の命令を受けていたという証拠だ」
その言葉にネイギスはハッと息を呑む。
「知っているんだな」
「あ、」
「答えろ」
ルドルフは素早く剣を抜き放ち、ネイギスの首筋に切っ先を突きつける。
「答えないなら、ここで死んでもらうが構わないな?」
「こ、答えます!」
ルドルフが本気だと悟ったネイギスは慌てて叫んだ。
「証拠ならあります!
領主が、自分が殺されないようにと保管しておくよう言い含めておいたんです!」
「どこにある」
「こ、こっちです!」
書斎から続いている寝室のほうを指さしたネイギスに、ルドルフは剣を下ろし、ネイギスは急いで寝室に向かった。
その翌日だ。
王宮の宰相の執務室を訪れていたエイデスは、室内をゆったりと歩く。
ジドールがいるときも何度となく足を運んだ執務室。
けれど、すぐに逃げ出せないような宰相という地位に就いたジドールを、本当は詰りたかった。
机を撫でた時だ。ガチャ、と扉が開いて衛兵が戸口で立ち止まった。
「誰だ」
「……コルトゥール公爵」
「なんの用だ」
「……陛下がお呼びです」
思い悩んだような声で言われて、エイデスは短く息を詰めた。
「陛下。なにか御用でしょうか」
いつも国王がいる中庭の四阿。
そこに足を運んだエイデスが跪くと、国王は静かに口を開いた。
「コルトゥール公爵。そなたはローゼンベルク宰相と旧知の仲だったな」
「はい、ご存じの通り」
「だからそなたには知らせておく。
本日夕刻に、ローゼンベルク宰相の処刑を執り行う」
その言葉に呼吸が止まった。
「お待ちください、陛下。いくらなんでも早すぎます」
「だが相手は王太子の暗殺に関わった容疑者だ」
「それは早計です。証拠はあるのですか」
「自分の跡継ぎをルードルール領に送った。それこそが証拠」
結論ありきの言葉に、舌打ちしたくなる。
「わかったな。逆らえば反逆罪でそなたも処刑されると心得よ」
それだけ告げて、国王は椅子から立ち上がると背を向けた。
歩いて行く背中を見送って、エイデスは跪いた姿勢のまま拳を地面に叩きつける。
「クソ……!」
吐き捨てた声は、余裕のない苛立ちに満ちていた。
陽が暮れていく。橙色の空が流されて、端に青紫色が顔を覗かせた頃だ。
鐘の音が王宮に響く。
地下牢の通路に立っていた衛兵が、牢屋の扉を開けて短く言う。
「出ろ」
その声に中の人間がゆっくりと通路に足を踏み出した。
「待て」
不意に制止したのは、今し方地下牢に降りてきた男だ。
「これは、コルトゥール公爵。なぜここに……っ!?」
衛兵はエイデスを振り返って名を呼びかけ、首の後ろに手刀を食らって床に倒れ込んだ。
「ジドール」
エイデスは静かに目の前の親友の名を呼ぶが、虚ろな瞳がこちらを見るだけだ。
「……気付け薬を使われたか」
感情をそぎ落とした声で呟いて、エイデスは手を伸ばす。
「こんな真似をする俺を、お前は正気ならば咎めて怒っただろうな。
だが、俺はお前まで、失いたくないんだ」
そう告げて、ジドールの身体を抱き寄せると鳩尾に拳を叩き込んだ。
倒れ込んだ身体を支える。
「お前を死なせないためなら、悪にだってなってやるさ」
もう処刑の時間だ。だが、ユミルたちは帰って来ない。
だから、こうなったらジドールを連れて国外に逃げるしかない。
そう覚悟を決めたエイデスは不意にハッとした。
地下牢に降りてくる靴音が、二人分。
「その必要はございません」
響いたのはユミルの声だ。その声に全身から力が抜けそうになって堪えた。
「……証拠は?」
振り返って尋ねたエイデスに、ユミルは手に持った書状を見せる。
「こちらに。国王の印章が確かに」
「なにをしている?」
ユミルの声に被せるように響いたのは国王の声だが、もう恐れることはなかった。
「これはこれは、国王陛下がわざわざ地下牢になんの御用でしょう?」
「罪人が処刑場に来ないのを訝しんだまで。
なにをしている?」
おどけて問うたエイデスに、国王は地下牢の階段のすぐ下でこちらを見据える。
「先にこちらを。陛下。
私の暗殺を命じた書状です。
こちらに、その印章が」
「………………」
ルドルフがユミルから書状を受け取って国王の前に掲げた。
「これ以上、ローゼンベルク宰相を処刑するとお命じになるなら、これを公にしても構いませんな?」
「…………」
「ローゼンベルク宰相の処刑を、その容疑を、撤回していただきたい。
そうすれば、この書状は処分致します」
「……好きにせよ」
感情の読めない顔のまま、国王は答えるとそのまま地下牢の階段を上っていく。
その足音が聞こえなくなって、ユミルはホッと息を吐いた。
だが振り返った先、エイデスの腕の中で抱えられているジドールの姿を見てハッとした。
「ジドール! ジドールは!?」
「安心しろ。気を失わせただけだ。
気付け薬を使われていたからな」
「……よかった」
安堵のにじんだエイデスの言葉に、ユミルは胸をなで下ろす。
「ローゼンベルク家まで運ぶ。
今夜は、親子水入らずで過ごせ」
ローゼンベルク公爵邸の二階にある当主の寝室。
その奥にある豪奢な寝台にジドールは寝かされていた。
先ほどまでリーリアたちも心配して様子を見に来ていたが、処刑は白紙になったと伝えたら安心していた。
ルドルフも今夜はこの屋敷で過ごすことになった。
一人で王宮にいるのは危険だからだ。
すっかり窓の外は暗くなって、月が空に昇っている。
ユミルはベッドのそばに置いた椅子に腰掛け、その目が開くのを待っていた。
不意に、小さく声が漏れる。瞼が震えた。
「ジドール」
「……あれ」
安堵した声で彼を呼んだら、戸惑うような響きが零れる。
「なんで私の部屋に…………リュイシュン?」
「ユミルだよ。
よく考えたらあんた、ろくに僕の名前呼ばなかったね。
僕があんたに情が移らないようにするためだった?」
「…………処刑は」
「白紙になった。証拠持って来たから」
ユミルが答えると、ジドールは起き上がって嘆息を吐いた。
「……エイデスのやつ、余計な真似を」
「あの人は、本当にあんたが心配で大事だったからあそこまでしたんだよ。
あんただって、本当はわかってるくせに」
「……」
ベッドの上に座って、なにかを抱え込んだような顔をしているジドールを見上げる。
「教えて。
なんで仇だなんて嘘吐いてたの」
「おや、エイデスが適当な嘘でも吐いたかい?
私を助けさせるために」
なのにそう聞いた途端、すぐ取り繕ったような笑顔を見せる。
この人は本当に嘘つきだと思った。
「生憎だけどね、私は自分の目的のために」
「それがもう、嘘だって知ってるよ。
あんたがくれたものは、全部、全部、僕にとって優しいものばかりだった」
確信を宿した瞳。今更、半端な嘘は通用しないとわかる、強い意思のにじんだ赤紫色を見て、ややあってジドールは深いため息を吐いた。
「………………はあ。
全く、人選を誤ったかな」
そう、弱ったように零して、額に手を当てる。
「どうして最後までそんな都合の良い嘘を信じられるような、賢い子を選ばなかったんだろうね。私は。
……馬鹿だよ。お前は」
最後は、苦々しい響きだった。
「答えて」
真っ直ぐジドールを見つめて尋ねたユミルに、ジドールは視線を向けて、逸らせないとわかると観念したように目を伏せた。
「……止められなかったからだ」
「止められなかった?」
「あの孤児院が、あの子どもが、殺される理由も知っていたのに、止められなかった。
間に合わなかった。
私が間に合えば、あの孤児院の誰も、死なずに済んだのに」
そう、苦悶に満ちた声でジドールは話す。
四年間、決してユミルに気取らせなかった真相を。
「見殺しにしたも同然なんだ。仇を名乗ってなにが悪い」
そう、捨て鉢になったように答えたジドールに、ユミルはややあって小さく息を吐く。
「ほんと、あんたって馬鹿」
そう呼吸と一緒に吐き出した。その顔は、柔く綻んでいる。
ユミルは椅子から立ち上がると、ジドールの胸にきつく抱きついた。
「もう、いいから。
あんたの嘘は全部許すから」
いつだって優しかったこの人の手を、温もりを、全てを、やっと信じられる。
「死なないで、……父様」
「本当に、馬鹿だなあ」
初めて素直に彼を親と呼んだ。その声に、ジドールは息を呑んで目を見開いて、ベッドの上に置いた手をきつく握った。
「なんで、本当に、こんな、私をそんな」
震える腕を持ち上げて、躊躇って、そっと抱きしめた。
「お前は本当に、馬鹿なところが私に似たね」
「仕方ないだろ。親子なんだから」
「そうだね。……仕方ないね」
そう諦めたように零して、ジドールは今度こそ力一杯に腕の中の我が子をかき抱いた。




