第十三話 ジドールの危機
ふっと意識が浮上する。
眩しい陽射しが窓から差し込んでくるのが見えた。
「無事か?」
ふと、自分を覗き込む碧眼と目が合う。
「殿下……」
夢うつつの中で彼を呼んでから、気を失う前になにがあったかを思い出し、飛び起きる。
「ご無事ですか!?」
「ああ、俺は無事だ。傷も癒やしてもらった」
余裕なく尋ねたユミルに、ルドルフは頷いて答えた。
「……よかった」
ユミルはほっと胸をなで下ろす。こうしてルドルフを見ても、怪我を隠している様子はない。
「お前のおかげだ。ユミル」
そっと瞳をまろやかにしたルドルフの言葉に、ユミルは目を瞬いた。すぐ、笑いがこみ上げる。
「あはは」
「どうした?」
「いえ、殿下に名前で呼ばれたら、余計グレイと重なっちゃうと怯えてたんですけど、全然そんなことなかったです」
急に笑い出したユミルを案じるようにルドルフが問いかけたが、ユミルの胸は安堵にあふれていた。
「殿下の呼ぶ声は、殿下の声にしか聞こえないや。
なに怖がってたんだろ」
全く、あの恋しい少年と重ならない。どうやら、自分は無用の心配をしたらしい。
そう笑いながら考えていたら、ルドルフが目を丸くして、それから頬を赤く染める。
「お前、それは殺し文句か?」
そう、うわずった声で零した。
「はい?」
「いや、別に。
その、……これからもユミルと呼んでかまわないか?」
「あ、……はい」
おずおずと尋ねられて、ユミルは頷く。
「あ、あの、ただ、王宮では」
「わかってる。二人のときにしか呼ばない」
「はい」
ユミルがほっとして笑った時だ。部屋の扉がノックされて、一人の男が入室してくる。
「起きたか」
「あ、コルトゥール公爵」
入ってきたのはエイデスだ。ユミルはなぜエイデスがここにいるのかわからないが、ルードルール領までの馬車を用意してくれた人だからそれでだろうかと思った。
「馬車を用意した。それに乗って王宮に戻りなさい」
「あ、でも、王宮に戻ったら、国王に、殿下が」
ユミルは擦れた声を漏らし、胸に手を当てる。
きっとルードルール家当主に、ルドルフ暗殺を命じたのは、あの人だ。
王宮に戻ることは、ルドルフの身を危険に晒すことにならないか。
「問題ないだろう。しばらくは」
だがエイデスは涼しい顔でそう答えた。
「王子の暗殺未遂のことなどなに食わぬ顔でしらばっくれるぞ。あの国王は」
きっぱり言い切ったエイデスに、ユミルはルドルフの心を案じて視線を向けたが、ルドルフは察していたのか神妙な表情をするだけだった。
「それに、王宮には我がコルトゥール家のメイドたちを潜り込ませてある。
そう簡単に殿下を暗殺などさせん」
「……そう」
「むしろ……、いや、なんでもない」
エイデスはなにかを言いかけ、そのままやめた。
「そういえば、どうしてコルトゥール公爵がここまでしてくれるんですか?」
「ユミル、おそらくコルトゥール公爵は……」
ふと湧いた疑問を口にしたら、ルドルフが制止するようにユミルの肩に手を伸ばす。
「なに、ただのお節介だ」
「はあ」
明らかに嘘だとわかる返答をエイデスに返され、ユミルは間の抜けた声を漏らすしかなかった。
だが王宮に戻ると、やけに騒がしい。
「どうした」
賑やか、とは違う。まるでなにか事件が起こったかのような騒がしさだと感じたルドルフが廊下を通りがかった使用人を呼び止める。
「なにがあった」
「あ、王太子殿下……っ」
使用人はルドルフを見て、怯えた反応で身を引いた。
いつものことだが腹が立つな、とユミルは思う。
「そ、その」
「答えろ」
「は、はい。実は、ローゼンベルク宰相閣下が投獄されました」
「な」
使用人から返ってきた言葉にユミルとルドルフは息を呑む。
二人の背後に立つエイデスは顔から表情を消した。
「な、なんで」
「ルードルール領で起こった王太子殿下の暗殺未遂は、ローゼンベルク宰相閣下のご命令だったと、確かな証拠があると国王陛下が」
「そんな馬鹿な」
そもそもルドルフが王宮に帰ってくる前に容疑者を確定し、投獄するなんて行動が早すぎる。
二人の後ろで、エイデスが舌打ちした。
「先手を打たれたか」
忌々しげに吐き捨てたエイデスの声を背に受けながら、ユミルは焦った様子で使用人の肩を掴む。
「ジドールはどこ!?」
「え、」
「ローゼンベルク宰相はどこですか!」
一瞬、我を忘れていつもの口調が口を吐いた。
咄嗟に言い直すと、使用人はおどおどと「お、王宮の地下牢に」と答える。
その肩から手を離して、ユミルは走り出す。
すぐにルドルフも後を追った。
地下牢はひんやりと冷たい空気が漂っている。
地下牢の入り口に佇んでいた衛兵に、ルドルフが「少し席を外せ」と短く命じた。
「しかし殿下」
「王太子命令だ」
「は、はい」
やはり怯えた様子で上にあがって行った衛兵から視線を外し、ルドルフはユミルと共に一番奥の牢屋へと走った。
「ジドール!」
「おや、随分早いお帰りだ」
格子を掴んで身を乗り出したユミルに、ジドールはまるで動じていない様子で壁に背を預け、床に座り込んでいる。
「そんなこと言ってる場合じゃないだろ!
どういうことだよ!
ジドールが殿下の暗殺未遂の犯人って!」
「意外だな。もしかしてお前、怒ってる?」
「怒ってるよ! だって、お前そんなことしないだろ!」
余裕を完全に失っているユミルを見て、ジドールは呆れたように肩をすくめた。
「困ったな。まだ私を信じてるのかい?
生憎だけど、私は救いようのない悪党だから、自分の目的ならなんだってするよ。
それこそ、孤児の虐殺だろうが、王太子の暗殺だろうがね」
「……っ」
グレイのことを持ち出され、カッとなりかけたユミルの肩をルドルフが掴む。
「落ち着け。ユミル。
それでは宰相の思うつぼだ」
冷静な言葉にユミルはハッと息を呑む。
「おや、随分と仲良くなったんだね」
「あなたも話を混ぜ返さないでくれ。
ユミルはあなたを心配しているんだ。
下手な嘘など吐かないことだ」
「嘘だっていう証拠は?」
務めて冷静に諭したルドルフに、ジドールはうっすらと笑みを浮かべる。
「そんな証拠はどこにある?」
「あなたの行動全部が証拠だ。
どう考えても、コルトゥール公爵がルードルール領にいたのはおかしい。
なら、コルトゥール公爵を動かした人間が別にいる。
それは、あなたじゃないのか」
「あ……」
言われて初めてユミルもそのことに気づいた。
思わずジドールが舌打ちする。
「エイデスはなにかヒントになるようなことでも言ったのか?」
「コルトゥール公爵はなにも。
だが察するのは容易だ。
あのコルトゥール公爵を動かせる人間は、世界に二人しかいなかった。
その片方が、あなただと知っているだけだ」
「違うよ」
ルドルフの真っ直ぐな視線を受け止めて、ジドールは静かに否定する。
「エイデスは私の言うことなど聞かない。
エイデスは、私を裏切ったんだ」
「ああ、そう言っていたな。だが、きっとそれは、あなたのためでもあったはずだ」
「なにを根拠に」
「今のあなたは余裕があるようでない。
ここで処刑されるのは本意ではないのだろう。
だがどこかで、肩の荷が下りたような顔をしている」
静かな地下牢に、ルドルフの声だけが響く。
「あなたは、死にたかったのか」
心を射貫くようなまなざしと言葉に、ユミルが呼吸を止める。
ジドールは黙っていたが、不意に口角を上げた。
「ふ、ふふ、はは。
全く、聡い王子様だ」
それは、図星だという返答だった。
ユミルは蒼白な顔をしてジドールを見つめている。
「ユミル、よかったね」
「え?」
不意に優しい声で言われて、意味がわからず彼の顔を見た。
「国王は私が邪魔だから、きっとすぐに処刑の日取りが決まるよ。
これで、お前の望みは叶う。よかったね」
まるで親そのもののような慈愛に満ちた顔で言われて、ユミルは青ざめたまま口元を手で押さえた。
なにも言えなかった。
牢の通路を歩きながら、茫然とジドールの言葉を反芻している。
そうだ。これで、望み通り。
やっと、復讐が果たされる。
グレイたちの仇が取れる。
じゃあ、どうしてこんなに胸が痛い?
「ユミル、大丈夫か」
「え」
「ひどい顔をしている」
ルドルフがこちらを案じるように見ている。
「そんな、嘘です」
強がるように、どうにか笑ってみせるが失敗して、不格好な顔になった。
「だって、ジドールは僕の大切な人の仇なんですよ?
ジドールが死ぬことを喜びこそすれ、悲しむなんて、……そんな」
胸が痛い。すりおろされたように。
息が出来ない。苦しい。
「ユミル。
自分に嘘を吐くから、苦しいんだ」
「だって、変です。ジドールは仇で、あんなに、死んで欲しかった相手で。
だから、嬉しいはず、なのに」
喉がつっかえる。頬がこわばる。斬り裂かれたように胸が痛い。
「あんなに殺したかった相手なのに、どうして」
涙が頬を伝って落ちた。
「どうして、こんなに」
(死んでしまいたいほどに、悲しいんだろう)
口元を覆ったら、嗚咽が零れた。
そんな様子を見つめて、ルドルフは不意に優しい声音で言う。
「宰相は、本当にお前を大事に育てたんだな」
思いも寄らない言葉に、ユミルは口元を手で覆いながら視線を向けた。
「だってそうだろう?
憎悪が愛に塗り替えられてしまうほどに、宰相はお前に愛情を注いだ。
そうじゃなければ、今お前がそんなに泣いて苦しむものか」
ルドルフは柔らかな声で、諭すように告げる。
「宰相は、きっとずっと、ちゃんとお前を愛してきた。
だから、お前の中の宰相への憎悪は、愛に塗り替えられてしまったんだ」
「だ、けど、」
しゃくり上げながら、どうにか言葉を紡ぐ。
「ジドールを助けることは、……きっと、グレイたちへの裏切りで」
「そのことなんだが、」
ルドルフは不意にずっと引っかかっていたと言いたげな顔で口にする。
「本当に、宰相はお前の仇なのか?」
その言葉に、ユミルはハッと息を呑んだ。
「その証拠があるのか?」
「だ、って、本人が、言って」
「そんなの嘘でも吐けばいい。嘘を吐く理由はわからないが。
もし宰相に、嘘を吐くに足る理由があるなら、そう嘘を吐いただろう」
呼吸が止まる。
「……………………」
ジドールが仇じゃない?
でも、ジドールを仇とする証拠はあの夜、あの孤児院の前にいたことだけだ。
いや、待て。もし、ジドールが本当に仇なら、貴族の、それも公爵がわざわざ犯行現場に足を運ぶか?
ルードルール家当主のように、自分は部下の報告を待って屋敷にいればいい。
じゃあ、ジドールはなにか、ほかに理由があってあの場にいた?
もし、ジドールが仇じゃなかったとしたら、ジドールは自分になにをくれた?
貴族の身分、脅かされない何不自由ない暮らし、生きていくのに充分すぎる知識と教養、自分の身を守れるだけの戦う術、そして、困ったときに頼れる大人の存在。
どれも、今までずっと、自分を守ってくれていたもの。
もしジドールが、仇じゃないなら、ジドールが自分にくれたのは。
思い出せるのは、自分に剣術を教えてくれた時の記憶。
『駄目だよ。無茶したら。お前は女の子なんだから、傷でも残ったらどうするの』
そう、鍛錬の途中で怪我を負ってしまった自分の傷を癒やしながら、諭した姿。
自分を見つめる瞳は、ただただ優しかった。
「やはりここにいたか」
不意に響いた男の声に、ハッと顔を上げる。
「コルトゥール公爵」
ルドルフがそこに立っていた男の名を呼んだ。
エイデスはルドルフとユミルの顔を見下ろして、焦燥を押し殺した声で告げる。
「その顔を見ればわかる。
手を貸してくれ。
ジドールを失いたくない」
そう、必死さすら感じられる響きで言った。




