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第十二話 想い

 夜、領主の館に戻ったユミルは、ルドルフが戻って来たのを確かに確認した。

 領主は晩餐にルドルフとユミルを招いてくれたが、そのときは領主がいたためなにも話せずに。

 ルドルフが一人になったのを見計らって部屋に行こう、と思っていたのに、部屋を訪ねたら誰もいなかった。

「殿下? どこに?」

 不安になって、館の中を歩き回る。

 一階に降りた時、話し声が聞こえてきた。

「でもいいんですか?

 相手は王太子殿下ですよ?」

 その声にドキリとした。

「誰からも恐れられ、必要とされない、だ。

 殺せば報奨を支払うと言われた」

「それで孤児院に行かせたんですか?」

「ああ、孤児院の周囲で不審な人物の姿を見かけたと言ったら勝手に見に行きおった」

 もう片方の声はあの領主だ。

 心臓がうるさく高鳴り出す。

「これで孤児院を燃やせば、勝手に死んでくれる。

 一緒に死んでくれるガキどもがいるだけ、あの王太子は幸せだ」

 その言葉に、堪えられず館を飛び出した。

 満月が昇る夜の世界、星のしじまの下を走って孤児院に向かう。

 孤児院の前にたどり着いた時には、中から煙が上っていた。

 扉を開けようとして、息を呑む。

 入れない。扉が開かないんじゃない。扉に触れない。

「まさか、結界?」

 使える人間の数少ない結界が、この孤児院を閉ざすように張られている。

 おそらく領主の仕業だろうが、こんな希少な魔法を使える人間が、この辺境にいるだろうか。

「ジドールには使うなって言われたけど……」

 ユミルは深呼吸をして、扉の前に手をかざす。

「“解呪”」

 唱えた瞬間、ユミルの瞳が淡く輝いた。

 人一人通れるスペースの穴が結界に空く。

 玄関の扉を開けると、逃げようとしていた子どもたちとルドルフの姿が見えた。

「殿下!」

「リュイシュン!?

 どうやって……!」

「いいから説明はあとで!

 子どもたちを外に!」

 煙を吸い込んで動けなくなってしまった子どももいる。

 ユミルは中に入って、子どもたちを促し、抱きかかえて結界の外に出す。

「これで全員ですか!?」

「ああ!」

「じゃあ僕たちも……っ」

 出ようとして伸ばした手が、扉の前で結界に弾かれる。

「しまった。結界が閉じちゃった」

「もう一度開けられないのか?」

「すみません。使い慣れてない力で……」

「そうか」

 話そうとして、ユミルは咳き込む。

 不意に懐かしくなった。胸にこみ上げる、あの日の慟哭。

 救えなかった、大切な人たち。

「あまり煙を吸うな」

「はは、懐かしい」

 つい、自嘲のような笑いが顔に浮かぶ。

「僕の住んでいた孤児院も、こんな風に焼けちゃったんですよ」

「……お前、孤児だったのか?」

「はい。がっかりしました?」

 少しだけ不安げに尋ねたら、ルドルフは床に座り込んだユミルの手に手を重ねて首を横に振った。

「いいや、お前が孤児でも、貴族でもかまわない」

 そう、迷いのない口調でルドルフは告げる。

「俺は、ありのままのお前を好きになった」

「……殿下」

 真っ直ぐに自分を見つめた瞳に、胸が震えた。

 代わりなんかじゃない。代わりじゃなかった。

 そうじゃなきゃ、こんなにも揺れる胸をどう説明したらいい。

 拒まれたら悲しくて、目が合わないのは寂しくて、触れられないのは苦しくて。

 こんなにも。

「申し訳ありません。本当のこと言わないで、傷つけて」

「もういい」

 そう言いながら、ルドルフはぎゅっとユミルの手を握る。

「もう、諦めるから」

「でも!」

 弱々しい声で告げたルドルフの手を握り返した。

「でも、決めたんです。

 あなたを傷つけた分、僕も傷つくって。

 僕は僕の全てを懸けて、あなたを守るって」

 ああ、本当に悔しいくらいに、ジドールは正しかった。

「ねえ、殿下。確かにあなたは僕の好きな人に似ていたけど。

 似てない部分だって沢山あったんですよ」

 そう、ルドルフの顔を見てはっきりと言葉にする。

「少なくともグレイは、僕を好きだなんて言わなかったし、僕にキスなんかしなかった。

 全部、あなたが初めてです。ルドルフ殿下」

「リュイシュン」

「ユミルです。

 僕の本当の名前」

 思ったよりすんなりと名乗ることが出来た。

 やっぱり、呼んでもらえないのは寂しい。

「……ユミル」

「はい」

 本当に、なにを怖がっていたんだろう。

 名前を呼ばれて、こんなに嬉しいのに。

「だから、僕もあなたの本当の名前を呼ぶ。

 ──ルードヴィッヒ殿下」

 瞬間、自分の中でなにかがバチンと弾けた気がして、きつく締め付けられた胸を押さえる。

「ユミル!」

 ルドルフの手が、焦ったようにきつくユミルの肩を掴む。

「馬鹿者! どうして俺の名を呼んだりなんて!」

「だって、不公平でしょう……?

 殿下ばっかり傷つくの、変じゃないですか。

 だから、僕もちゃんと傷つかなきゃ」

「ユミル……」

 こちらを見つめる、ルドルフの表情が泣きそうに歪んだから、大丈夫だと言いたくて顔を上げた。

「大丈夫です。一回呼んだくらいじゃ死なないって聞いたので」

 そう言って、手を伸ばしてルドルフの髪に触れる。

「名前で呼ばれないって、辛いですよね。

 寂しいですよね。

 ずっと、そんな孤独に耐えていたんですね」

「いい……」

 か細い声が震えて、彼は緩く首を横に振った。

「もう、いい。

 お前が、来てくれたから、もういいんだ。

 ……全部、報われる」

 泣き出しそうに笑って、ルドルフはユミルの肩を掴む力を強くする。

「だから、お前は逃げろ」

 不意にミシッと頭上で音が鳴った。

 瞬間、ユミルを抱き寄せたルドルフが触れるだけのキスを唇に落とす。

「愛してる。ユミル」

 そう告げて、強く突き飛ばした。

 その矢先、焼け落ちた天井がルドルフの上に落下する。

「殿下!」

 ユミルは飛び起きて、ルドルフのそばに駆け寄った。

 ルドルフは意識を失って、床に倒れている。

 その上に乗っかった燃える屋根を掴んでどうにか退かそうと力を込めた。

「駄目、ですよ。殿下。

 あなたを一人、死なせたりしない」

 掴んだ指先が、手のひらが焼けても、離す気なんてなかった。

「ねえ殿下、僕、やっと気づいたんですよ」

 頭上で響く声に、ルドルフはかすかに瞼を開ける。

 ぼやけた視界で、いつも笑わない顔がかすかに緩む。

「僕、ちゃんと、あなたのことね、……大事ですよ」

 やめろ。お前の手が焼けてしまう。

 いいから逃げろと思うのに、彼女は屋根を無理矢理肩で押しやって退かした。

 そして、焼けただれた手を差し出すのだ。

「だから、一緒に生きましょう?

 大丈夫。二人でなら怖くない」

 そう、勇気づけるように、涙をにじませて。

「ずっと、ずーっと、おそばにおります」

 その、綻んだ口元を、確かに見た。

 ユミルはルドルフの腕を掴んで自分の肩にかけると、どうにか立ち上がる。

「お願い、開いて」

 そう念じて、扉の前の結界に手を当てた。

「解、呪!」

 光が淡く発光して、ぼうっと結界に穴を開ける。

 視界が歪む。駄目だ。煙を吸い込みすぎた。

 意識が遠くなる。

 結界を抜けたところで倒れ込んだユミルと、背負われたルドルフの身体を大きな腕が抱き留めた。

「よく頑張った」

 そう告げた男は、長い銀色の髪を持っていた。




 笑った、その顔を確かに見たのを覚えている。

 ハッと目を覚ます。

 澄んだ朝陽が窓から差し込んでくるのが見えた。

 ベッドの上に寝かされた自分の身体を認識して、ルドルフは飛び起きる。

「っユミル!」

 余裕のない声で愛しい少女の名を呼ぶと、隣のベッドに彼女が寝ていた。

 焼けただれた手のひらと肩が綺麗に治っていたから、神官が治癒魔法を使ってくれたのだろう。

「大丈夫ですよ。少し煙を吸い込みすぎただけです」

 不意に静かな声が室内に響く。

 扉が開いて、一人の男が室内に入ってくる。

「貴殿は、」

 長い銀色の髪、水色の瞳の、背の高い美丈夫は、よく知っている。

「なぜ、ここにいる。コルトゥール公爵」

 やや警戒をにじませて問うたルドルフに、エイデスは肩をすくめた。

「古い友人の頼みでね。

 あなたの背中も治癒魔法で治してもらいましたから、痛まないでしょう?」

 言われて初めて、屋根に押し潰された背中や首筋が痛まないことに気づいた。

「ルードルール家には厳正な処罰を与えます。

 王太子を暗殺しようとしたんですから、当然でしょう?」

「だが、それを父上が命じるとは思えない」

 ルドルフは知っている。父親の、自分に対する関心のなさを。

「父上以外でそれを命じる権限を持つのは一人だ」



 あれは、ルードルール領に向かう日の朝、王宮の庭で自分を待っていた彼が言ったのだ。

「なぜ、リュイシュンを自分の護衛騎士にした」と問い詰めたルドルフに。

「殿下は私に感謝すべきですよ。

 私がいなかったらあの子は王宮に来ていないから、殿下に出会えていない。

 私があの子の惚れた男を殺さなければ、あの子は殿下に一欠片の心だって寄越してはくれなかった」

 そう、感情の読めない冷徹な微笑で。

「感謝してください。幸運な殿下」

 その顔を睨み付けて、胸を灼く怒りのままに凄んだ。

「貴殿のことが、今回でよくわかった。

 最低だな。貴殿は」

 きっと、自分はなにもわかっていなかった。

「それはどうも。褒め言葉だ」

 そう満足そうに微笑んだ彼のことを、真実を、なにも。



「ジドール・ローゼンベルク宰相。

 あの人が、貴殿に俺とユミルを救うよう頼んだ。

 違うか?」

 ほかに、そんな命令を下せる人間はいない。

 エイデスがそう言うなら、間違いはないのだ。

「友人を裏切りたくはないか?」

 答える気はないだろうと思って煽ったら、エイデスは苦笑した。

「俺はもうとっくにその友人を裏切っていてね、それはもう嫌われている。

 だから、今更ジドールを裏切ることは怖くない」

 そう、はっきりと答えを口にした。

「宰相は、ユミルの仇だと言った。

 でも、それならどうしてユミルを助けた?

 ここまでして、ユミルと俺を助けようとする?」

 彼が、本当にユミルの仇ならば、辻褄の合わないことだらけだ。

「本当に、ローゼンベルク宰相はユミルの仇なのか?」

 そう尋ねたルドルフの前で、エイデスは婉然と微笑んだ。


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