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第十一話 離れるのは嫌だ

「え? 辺境に視察?」

 その日の昼過ぎだった。

 突然言われた言葉に、ユミルは目を瞠る。

「ああ、辺境のルードルール領に視察に行くことになった。

 今年は冷害で、作物の育ちが悪いらしい。

 それを視察して、王太子として対策を立てよと」

 王太子の私室、ソファに腰掛けて答えたルドルフの横顔を見つめ、ユミルは「いつも通りだ」と思った。

 昨夜はあんなに、必死で、余裕がないように見えたのに。

 いや、今はそんなこと考えるな。お前は殿下の護衛騎士だろうと自分に言い聞かせる。

「承知しました。ではルードルール領に赴く準備を」

「それは要らない」

「要らない、とは?」

 きっぱりと言い切られて、目を瞬いた。

「お前は連れて行かない」

「……え」

 次いで口にされたのは、拒絶に近い台詞。

 一瞬、息が止まる。

「な、なぜですか? 僕は殿下の護衛騎士です!

 護衛騎士を連れて行かないなんて」

「俺が、お前と距離を置きたいんだ」

「……僕と?」

 違う。いつも通りじゃない。

 視線が、合わない。

 いつも真っ直ぐこちらを射貫く瞳が、こちらを見ない。

「ああ、……俺も、失恋は辛いということだ」

 その言葉に、なにも返せずに。




 失恋なんて、そんな。

 まだ失恋って決まったわけじゃない、なんてどの口が言う気だ。

 悶々と悩んでいたら、その日は一睡も出来なかった。

 翌朝、起きて私室に向かうと扉が開かない。鍵がかかっている。

 ルドルフは寝室にはいなかったから、早く起きてここに来たと思ったのに。

「王太子殿下は留守にしておられます」

 不意に声をかけてきたのは、見張りの衛兵だ。

「え」

「ルードルール領に出発なさいました」

「そんな、こんな早く……!?」

 ルドルフはいつ出立すると言っていなかった。

 そんな、自分を置いて行くために、言わなかった?

「護衛騎士リュイシュン殿、あなたを国王陛下がお呼びです」

 今すぐにでも追いかけたかったのに、静かな声で衛兵がそう告げた。



「護衛騎士リュイシュン、参りました」

 国王がいたのは、最初に出会った日と同じあの四阿だった。

 衛兵に連れられて赴いたユミルは、四阿の前で跪く。

「国王陛下にはご機嫌麗しく」

「御託はいい」

 挨拶を述べようとした声を遮って、相変わらず感情の読めない響きで告げる。

「国王命令だ。

 お前は今日より、第一王女ブランシュの護衛騎士となれ」

「な、」

 息が止まる。思わず顔を上げて国王を見上げるが、彼はこちらに視線を向けていない。

「それは、では、王太子殿下の護衛はどうするのですか」

「要らん」

「要らない、って」

「あれは遠からず死ぬ身だ。護衛騎士など必要ない」

 冷淡に言い切られて、呼吸がうまく出来ない。

「……どういう、意味ですか」

 擦れた声がどうにか口を吐く。

「遠からず死ぬって、どういうことですか」

「あれにかけられた呪いだ。

 どういうものか、お前は理解しているのか」

「……存じません」

 そうだ。知らない。

 自分はルドルフになにも聞かなかった。

 知りたくなかったわけじゃない。ただ、聞くことで彼を傷つけるのが怖かった。

「あれの呪いは、あれの名前にかけられた呪い。

 あれの名を呼んだものは死ぬ。そういう呪いだ。

 それで多くの者が死んだ」

 相変わらず感情がそぎ落とされたような声に、心拍数が速くなって胸が苦しい。

 これ以上を、聞くことが恐ろしい。

「だが、その呪いから、その名を持つ者は逃げられん。

 いずれ、名にかけられた呪いがあれを殺す。

 だから」

「それなら、尚更捨て置けません」

 跪いたまま、ユミルははっきりと言い返す。

 あんな寂しい目をしたルドルフを、このまま置き去りになんて出来なかった。

「僕は、王太子殿下の護衛騎士です。

 ほかの人間の護衛騎士なんて、まっぴら御免です!」

 失礼致します!と食ってかかるように叫んで立ち上がると、ユミルは一礼してその場から走り去る。

 残された国王は不意にくっと口角を上げて笑う。

 それは冷徹で、一切の情を感じられないものだ。

「随分と、面白い護衛騎士を連れて来たものだ。

 ジドール・ローゼンベルク」

 その声は、ぞっとするほどに冷たかった。




 今すぐルドルフを追いかけないと、でも、馬車でもないと時間がかかりすぎる。

 ジドールに言って、いや、今は、あいつを頼りたくない。

 でもじゃあ、どうすれば。

 薔薇が咲き誇る王宮の庭を走りながら、ぐるぐると思考が頭を巡る。

 だが良い案が浮かばない。その時だ。

 門を抜けて走ってきた馬車が庭に停まる。

 扉が開いて、一人の美丈夫が姿を見せた。

「乗りなさい」

「あ、」

 その姿を見上げて、ユミルは息を呑む。

「コルトゥール公爵……!?」

 余裕のない声で呼んだ相手は、そのまま馬車から降りてくるとユミルの前に立った。

「王太子を追いかけるのだろう。

 ルードルール領まで乗せてやる。

 行きなさい」

「あ、ありがとうございます!

 でも、どうしてここに?」

 渡りに船とはこのことだ。

 だが、なぜこうもタイミング良くエイデスが来たのかがわからない。

「陛下から聞いて?」

「陛下は君を王女の護衛騎士にしたいのだから、俺を呼ぶはずがあるまい」

「そう、ですよね」

 そうだ。国王が呼ぶはずがない。ならどうしてエイデスはここにいて、誰からそのことを聞いたのだろう。

「そんなことはどうでもいいだろう」

 思案に沈みそうになったユミルの意識をエイデスの声が引っ張り上げる。

「王太子が大事なら、今すぐ追いかけなさい。

 すぐに追いかけられなかったばかりに、死に別れることにまたなりたいのか?」

 その言葉に脳裏に浮かぶのは、あの夜追いかけられなかった背中。

「は、はい。あ、あの、」

「なんだ?」

「殿下の本当の名前を、教えてもらえますか?」

 馬車に乗り込もうとして、大事なことを聞いていないとエイデスを振り返る。

「名を呼んだら、俺は死ぬことになってしまうが」

「あ」

「冗談だ。呼ばない方法くらいある」

 エイデスはそう言ってポケットから手帳を取り出すと、ペンでルドルフの名を書き付けて切り離す。

 そしてその紙をユミルに手渡した。

「ありがとうございます!」

 ユミルは礼を言って、馬車に乗り込む。

 すぐ馬車が走り出した。

 それを見送って、エイデスは小さく息を吐く。

「全く、なんだかんだと過保護だなお前は」

 そう零して、薔薇の咲く庭。自分の後ろに佇むジドールを振り返った。

「ジドール。

 俺に頼んでまであの子どもの味方をしたいか?」

「私の目的のためだよ。私情は挟んでいない」

 ジドールは淡々と答えるが、視線はエイデスと重なっていない。

「お前こそ、私に利用されていいのかい?

 王太子の名まで紙に書いてやって。

 文字を書くだけでも、命を汚染する呪いだよ?」

「なに、俺だけなんの代償も払わないのもおかしな話だろうさ。

 お前は、俺がお前に利用されたと思うのだろうがな」

 エイデスはジドールに向き直って、少し低い位置にある整った顔を、紫の瞳を見つめた。

「別に、利用されてなどいないさ」

 そう言い切って、笑み一つ浮かべない親友の顔を見据える。

「お前は、哀れだな。ジドール。

 俺の分までそうやって、……可哀想に」

 哀れむでもない口調で言ったエイデスに、ジドールはそのまま背を向ける。

「勝手に言っていろ」

 そう突き放す、ジドールの手が近くの赤い薔薇を握って、その場にうち捨てた。




 ルードルール領に到着したのはその日の夕方だった。

 領主の館に行くと「王太子殿下は孤児院に行かれましたよ」と返ってくる。

 ユミルは孤児院の場所を聞いて、すぐ向かった。

 孤児院の庭までたどり着くと、賑やかな子どもたちの声が聞こえてくる。

「おうたいしでんか!」

「本読んで!」

「ああ、待ちなさい。順番だ」

 優しいルドルフの声が響いた。

 庭から、窓の向こうの部屋の様子が見える。

 子どもたちに囲まれて本を読むルドルフがいる。

 グレイは、自分と一緒で字の読み書きが出来なかったから、あんな風に本を読んであげる姿は見たことがない。

 失恋した、と突き放すように言った横顔も、知らない。

 怯えて抱きついてくることも、なかった。

 グレイは、自分に弱い姿なんて見せなかった。

 今更に思い知る。

 似ていないところだって、こんなに沢山あったのに。

 自分がルドルフを守りたいと思ったのは、きっとグレイに似ているだけが理由じゃなかったのに。

 不意に視線が合う。

 ルドルフが唇だけの動きで、「リュイシュン」と自分を呼んだ。

 ルドルフにユミルと呼ばれるのが怖かったのに、今はユミルと呼んでもらえないことがこんなにもどかしい。

 ルドルフは子どもたちに「少し待っていてくれ」と言って部屋を出る。

 すぐに孤児院の庭に出て、ユミルの前までやってきた。

「なぜここにいる」

「殿下の、そばにいたかったから」

 そうだ。自分はこの人のそばにいたかった。

 それが、グレイに似ているからじゃなかったら?

「それが、僕の役目だから」

「嘘を吐くな」

 なのに、ルドルフはそう自分を突きはなす。

「お前がそばにいたいのは、もう死んだ男だろう。

 面影を重ねているのに、こんなところまで追って来られても迷惑だ」

 そう言いながら、ルドルフは視線を逸らす。

「帰れ」

「嫌です」

「帰れと言っているだろう!」

 大きな声を出して、ルドルフはユミルに背中を向ける。

 瞬間、地面を蹴ったユミルがその背中に抱きついた。

 ルドルフが息を呑んだのがわかる。

「嫌です」

 ぎゅうっとルドルフの服を掴んで、必死で訴える。

「確かに、面影を重ねていました。

 それは本当です。

 でも、殿下は、殿下です。

 グレイじゃない」

 そんなこと、もうとっくにわかっているんだ。

「なら、俺を愛して一生俺のそばにいられるのか!?」

 悲痛な声が耳を打つ。

 自分の手を振りほどくようにして振り返ったルドルフが、泣きそうな顔でユミルを見下ろした。

「……それが出来ないなら、馬鹿なことを言わないでくれ」

 ふいっと顔を背ける、その横顔が痛い。

「でんかー!」

「今行く!」

 孤児院の中から子どもたちが呼ぶ。それに返事をして、ルドルフは孤児院に足を向ける。

「もう、帰ってくれ」

 それだけ言い置いて、ルドルフは振り返らないまま孤児院の中に戻って行った。

 庭に残されたユミルは、きつく手を握りしめる。

 声が震えた。

「嫌だよ」

 か細い響きで、たった一人を呼ぶ。

「……嫌だよ、殿下。

 離れるのは、嫌だ」

 そう零しても、答える声はないのに。


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