文化祭に誘おう
「まあ、それでもう完成したのですか?」
「ええ、俺も多少は記録作業が得意になったようです」
「そんなお仕事の終わりにこんなに長く一緒に居てくださるなんて」
ティーカップに角砂糖を一つ落としながら、藤色の目がキュ、と嬉しそうに細められる。
国一番の刺繍師でもこの令嬢の表情を正確に描くことはできないだろう。
今日は久しぶりにロザリア嬢と二人きりでの茶会だ。俺はこの時間のためにすべての仕事を終わらせてきた。こういうとき幸せを実感する。
「あなたが許してくださるのであれば永遠にこの席に留まりたいものです」
「ふふ、きっとご友人を困らせてしまいますわ」
「何、俺がいなくても仕事をする人間ばかりですから……」
俺は彼女がコロコロ笑う姿に見惚れていたので温い紅茶を零しかけたし、さっきまで何を考えていたのか分からなくなったが、懐から出した招待状を見せる。
格式ばった古い封筒。こういう貴族間のやりとりにはいちいち『伝統ある』所定の手続きが必要で、面倒だと感じる人間もいるかもしれない。まぁ俺はロマンチストなので楽しむタイプだ。
「今日は文化祭のお誘いに参りました、ロザリア嬢」
彼女はティースプーンを静かにソーサラーに置いて、美しく微笑んだ。
「もちろんお受けしますわ。お待ちしておりましたの」
俺は彼女に封筒を手渡し、彼女はそれを受け取った。
これでやっと文化祭を婚約者と回れることになるわけだ。
「サロンでは何を企画されたんですか?」
「芸術作品の展示ですわ。先進的な芸術家を集めましたの」
ロザリア嬢が羽の扇子を広げて控えめに笑う。自信があるときの仕草だ。
相当な資金が動いたことだろう。展示の出し物は多く、基本的に芸術家のスケジュールを奪い合う形になる。皇都学園の文化祭は市井の芸術家がチャンスを掴む場でもあるのだ。無名の画家が文化祭中に賞を取った翌年その絵が皇室に飾られることすらあった。
「流行の最先端を揃えております。当日ご案内しますわ」
「光栄です。流行というと、マギアリズムですか」
「ええ。第七感に干渉いたします」
ああ、と俺は声を漏らした。
彼女のサロンに精神鎮静剤を納品したことを思い出したのだ。
マギアリズム(魔術感覚拡張主義)は魔塔の隅から現れた新興芸術の思想の一つだ。
通常の方法では感知できない第七感に魔術的な手段で干渉するため、初心者は取り乱したりあまりの衝撃に気絶したりすることすらあるという。
最初期は取り締まる動きもあったが、第七感研究は魔塔のマギアリストたちを中心に大きな発展を遂げ、安全な手法が貴族階級では確立されている。
誰もが気になっているが手を出せないでいるもの。
ロザリア嬢の展示は皇国の市民がマギアリズムに触れる最初の機会になるだろう。
「実験的ですね。参加できるのが楽しみです」
「特別な席をご用意しますわ」
「あなたといられるだけでも素敵な時間だというのに」
俺が口元を緩めると、彼女はちょっと眉を下げて微笑んだ。
「何人殺しても知られない特別席だって、作れますのよ」
ヘリオトープの視線は優しくて、紅茶の後味をほろりと甘くする効果がある。
俺はティーカップに目を落として、赤い水面を見ながら口を開いた。
「ロザリア嬢、俺はもう人殺しはしないんです」
「どうして?」
「人を殺すことは禁じられていて……」
「奴隷なら法律の範囲内で殺せましてよ。いいえ、市民でも貴族でもあなたの前に捧げましょう。わたくしが――」
「俺は」
彼女の声を遮って、紅茶の水面に映った自分の顔を見ながら言葉を探す。
「必要がない」だとか「興味がない」だとか、いくつかの言葉が脳裏を過った。どれも使えない。実際の気持ちを表すのに適切な語彙がない。
実際のところ、人を傷つけるのは俺のライフワークだった。錬金術を辞めていた時期では唯一の趣味で、彼女が殺していいですよと言うとすぐさま頷きそうになる。
しかしそれは神に背くということだ。
「何と、申し上げればいいか」
俺が曖昧な笑みを口元だけに浮かべると、扇子の奥で小さなため息の気配があった。
「神を恐れておいでなのですね。わたくし、構いませんわ。信じていますもの」
棘のない声だ。まるく優しい綿玉のような言葉。
彼女は俺に対してよくそういう態度をとる。
内心がどうなのかは淑女のヴェールに包まれていて、俺にはずっと分からない。
ロザリア嬢はふと微笑むと、扇子を閉じる。ふわりと飾り羽が揺れた。
「信じているのです」
繰り返す。
彼女の目元に湛える微笑は柔らかく、ただ美しかった。




