訪問しよう
カツン、カツン、と革靴が石段を叩く音がしばらく規則的に響いている。
下階から吹き上げる冷たい風を受けて蝋燭の火がゆらりと揺れた。
静けさの奥から聞こえるのは細い呻き声や啜り泣きばかりだ。
皇都学園の地下牢へと続く階段を俺はしばらく下りていた。
問題の階層に到着して、燭台を掲げる。
鉄格子の横に刻まれたナンバーは『666』、悪魔の数。
凶悪犯の入れられる牢を覗き込んでにこやかに手を振った。
「ごきげんよう。調子はどうだ?」
暗がりの奥で人影が蠢く。鎖の擦れる音がした。
揺れる灯りが仄かに少女の輪郭を映し出す。
「ト、トマス=アクイナクス……?」
「正解」
サクラは憔悴した様子で眩しそうに俺から視線を逸らした。
地下牢には蝋燭以外の光源がなくて、長く入れられた収監者はみんな深海魚みたいな目つきをしている。
少女は何度か弱々しく咳をして、桜色の目で俺を見上げた。睫毛に涙の粒がかかっていて、瞬きの拍子にほろりと零れる。
「わ、私を殺しに来たの?」
「ん? ああ、誤解だよ。話がしたくてな」
俺は牢の前にしゃがみ込んで視線を合わせる。
「『恋デレ』って知ってるか?」
「え?」
「あー、恋愛もののフリーゲームで正式名称は『恋きゅん♡皇都シンデレラ物語』なんだが」
「え、あ、おっ乙女ゲームで、ファンタジーで」
「そうそう。やったことあるか?」
「わ、私、ファンで、全部クリアしてて」
「へー、すごいな。俺は一通りやって満足してたからなあ」
「じゃああなたもっ、あなたもそうなの?」
少女はぽろぽろと涙を流しながら鉄格子に顔を寄せた。
ずっと一人で泣いていたのだろう、目の下はすっかり赤くなっている。
「あなたも、異世界転生、したの?」
「そうだな」
「わ、私、日本に帰りたいっ帰りたいの、ここから出たい」
「帰れないよサクラ。刑が決まるまでも時間がかかるし」
「私は『サクラ』じゃない!」
掠れた絶叫が石壁に反響する。俺は素行の悪かった昔を思い出してノスタルジックな気持ちになりながら、燭台を地面に置いた。
「じゃあ誰なんだ?」
「わ、私は、日本人で、朝起きたらいきなり『サクラ』になってて」
彼女は哀れな身の上を語った。
豊橋ハナ。25歳。女性。
ブラックともホワイトとも言い難い一般的な職場に勤めていて、仕事が終わった後の唯一の楽しみは乙女ゲームをプレイすること。
その日も彼女は夜遅くまで『恋デレ』をプレイして、いつも通り固いベッドの上で眠った。
そして、目覚めたときにはローマヴィア皇都学園入学の3日前。見知らぬ街並み。魔法の力。
彼女は『サクラ』になったのである。
「あなたも日本人なんでしょ、こんなのおかしい、助けてよ!」
「俺はローマヴィア人だ。皇国の法律に従う」
「前世の記憶があるんでしょ!?」
「あったとして、俺が『トマス=アクイナクス』であることに変わりはないからな」
数秒の沈黙の後、サクラはワッと堰を切ったように泣き出した。
前世的に長期間の幽閉は人権違反などの問題を孕んでいるが、皇国では犯罪者に人権などないので問題ないのだ。前世的には可哀想だが、今世的には何とも思わない。
彼女と俺とは前世の記憶があっても決定的に主体が違う。
サクラは日本人で、俺はローマヴィア人だ。
「そんなに泣くならハーレムルートになんか行かなきゃよかったのに……」
俺は首を傾げてため息を吐く。
ハーレムルート以外なら皇国の法律を犯すこともなく、俺は黙って見守っていられただろう。
一体どうしてこんな地下牢直送ルートを選んだのだろうか?
「だっ、だってバレるルートがあるなんて知らなかった!」
「ゲームじゃないんだから。俺が介入しなくても近いうち誰かが気づいてたんじゃないか?」
「嘘だっ全部完璧だった、あなたがいなければ全部大丈夫だった!」
見開かれた目は充血していて、桜色の瞳には狂気が満ちていた。
「あなただって、あなただって私を愛するはずなのに!」
鎖の激しく揺れる音が響いて、俺は眉を顰める。
「トマス=アクイナクスは攻略対象じゃないだろ」
「あなたが孤独なことは分かってる、お父様もお母様も婚約者もあなたのことを見放した、それでも私だけが、私だけがあなたのことを分かってあげられるっあなたの全部を許すから!」
「今攻略してるのか? 無理だろ。悪いが婚約者がいるから……」
「うるさい、うるさいうるさいうるさいっ私をここから逃がしてよ!」
ガツン、ガン、と小さな頭が鉄格子にぶつかる。
サファリパークさながらの迫力に俺は立ち上がり、小さくあくびをした。作業終わりにここに来たから正直ちょっと眠かった。
「まぁ分かった。スパイじゃないならいい。お前は悪くないよ。異世界転生ハーレムができるならそうする奴は多いんじゃないか? いいチャレンジ精神だな。俺にはハーレム願望も自殺願望もないからよく分からないが……」
怨恨と絶望を煮詰めた桜色の目が暗がりから俺を見上げている。
俺はニコリと笑って、燭台を拾い上げた。
「貴重な話をありがとう。いい生活を!」
高い叫び声と鎖の擦れ合う音が地下牢の奥で反響する。
出入口の重い鉄の扉を閉ざすと、それも聞こえなくなった。
彼女の刑が決まるのには、かなり時間がかかるらしい。




