分裂しよう
シープシャンクの性能は高すぎる。
これは新型万能薬に接したエルメス教授が最初期から言及していることだった。
俺には分からなかった。
状態異常・体力魔力全回復。全ステータスに+10。経験値ボーナスつき。
シープシャンクは最高級品だ。性能の高い薬を作って何が悪い?
「い、今の性能のまま薬が出回ったらすぐにインフレが起こる。長期的に考えるなら、性能を落として発表しないと……」
「エルメス教授。俺は早く薬を売りたいんです。認可も早くほしい」
「そ、そんなに急がなくても……」
冷や汗を流しながら一生懸命話す教授の前で、俺は深々とため息を吐いた。
「もう卒業まで2年もないんですよ。それまでに販路を安定させなくてはいけません」
「き、教会に目を付けられるかも」
「規制されるより早く薬を広めて認めさせればいい話です」
「市場が崩壊してしまうかも」
「破壊的な効果を生み出せなくてはシープシャンクとは呼べません」
俺が言い切ったとき「ちょっといいかな」とアルベルトが手を挙げる。
オパールの瞳が静かに俺を見ていた。
「何だ? 神父くん。何か文句が?」
「君、何をそう焦ることがあるんだ?」
「はァ?」
俺はグッと眉を上げる。アルベルトは怯まなかった。半端な威嚇や脅しは通じない。イライラしているとき話したくない相手トップ3に入る男だ。
「そんなに自信がないのか?」
彼は続けて問う。
怪我をした山羊を見るような不快な視線。嫌な予感がした。
「君の立場を考えれば卒業後も研究を続けることは容易いだろう。勘当される予定もなく自分自身の稼ぎもある。破滅的だった素行は改善されてこの前の事件も解決して君の評判は……まぁ、最悪とは言えないぐらいになった。薬師としての腕も確かだ。問題は君の自己肯定感の低さだな」
「はい出た。お前にはデリカシーがないよ」
「僕は必要な事実を述べているだけだ。君は卑屈で自信がなくて自分の影響力を低く見積もって失敗しがちだと思う。自覚はあるのか?」
「貴重な分析をありがとう。俺専属の心理学者になってくれるのか? カウンセラーは必要ないよ。全員殺したから」
「君は君が思うほど馬鹿じゃない」
「俺の性能が悪いのは事実だ」
答えながら自分の爪先に目を落とす。
心を閉ざしたのでアルベルトはますます可哀想なものを見る目で俺を見た。
「昔は異常なほど自信があったじゃないか。何かあったのか?」
「異常なほどと言われてもな……」
何かあったことは確かだった。
俺はエリクサーを飲み、前世の記憶を思い出した。
そしてシープシャンクを常飲することで前世の知識や『恋デレ』の原作情報を思い出し続けている。
これによって何が起きているかというと、俺は自信を失っていたのだった。
世間にはアッと驚くような偉業を軽々と成し遂げる人間が大量にいる。
前世の断片的な記憶を辿る限り、俺は特別な人間じゃなかった。
今も素行も悪ければ性能も悪い『トマス=アクイナクス』で、異世界転生でチートハーレムを築く予定もなければその熱量もない。たった一人の愛する人がいるし。でもロザリア嬢と比較すると俺は明らかに性能が悪い。捧げられるものがない。
殺人と拷問は誰でもできるが必要なのは真っ当に生きる才能だ。人と同じ尺度で生きるのは難しい。
破壊的な成果が欲しかった。俺だけが持っている知識を活かして何かしたかった。
こういうことをゆっくり考える暇がないぐらい働き続けていて、直視するのが嫌だった。
それを直視させられたので、俺は真っ当に落ち込んだ。
「逆に俺にできることって何だ?」
両手で顔を覆うと、親愛なる友人が背中に手を添えてくる。
「君はもうあんな薬を作ったんだから余計なことはしなくていいんだ。一生分の業績を立てたんだよ」
「何かしていないと落ち着かない……」
「ワーカホリック。君、働きすぎだよ」
呆れた声が降ってきた。誰にでも優しい奴はたまに率直すぎる意見を投げてくるときがあって、大抵本心では信じられないほどデリカシーのないことを考えている。
ロザリア嬢がそっと手を差し伸べてくれたのが見えたのでそそくさと彼女の椅子の隣に蹲った。
天使の羽根のように軽い感触が頭に触れる。
「可哀想なトマス様。わたくしにできることがあるかしら」
「何も。あなたは存在するだけで俺の人生を輝かせてくれる。あなたは俺のすべてです」
「では何をしても問題ございませんわね。アルベルト様。エルメス教授」
彼女は俺の髪を指で梳きながら一同に声をかけた。
「ご都合のよろしいように進めてくださいませ。トマス様の手の必要な仕事があれば適度に差し上げてくださいまし」
「承知しました」
「ロザリア嬢、俺の仕事は……」
彼女は俺を見下ろしてニコリと陶器人形のように完璧に微笑んだ。
「明日も茶会を開きますので、参加していただけますか」
皇国で最も美しく高貴な令嬢からの招待だった。
シープシャンクは効能を分割して複数の薬にすることがこれで決まった。
エルメス教授とアルベルトはロザリア嬢に贈り物をしたらしい。
俺は毎日婚約者の茶会に参加することになり、涼やかな東屋で美しい横顔を眺めながら紅茶を飲むなどしていた。
ハッピーエンドという訳だ。




