復帰しよう
謹慎明けの朝である。
俺はリヴを連れて機嫌よく歩いていた。春の陽気。
「リヴ、どう思う? いい春じゃないか」
「春はお嫌いでは」
「考えを改めたんだよ。神が豊穣のために祝われた季節だ。どうして嫌うことがある?」
「おい、あの人だ。とうとう学内でやったらしい」
「逃げろッ殺されるぞ!」
人波の合間から引き攣った声が漏れ聞こえる。雑踏は俺の進路をゾロリと避けて道を開けた。
こういうとき、歩くのが楽でいい。俺は講堂の扉に手をかける。
記念すべき復帰1限目は錬金術の授業。
戸口を潜る。よく効いた空調の風は草原の匂いがした。皇都学園ではハードなカリキュラムによって精神を病む生徒も多い。魔術的なストレス軽減措置だろう。
「あ」
誰かの気づいた声とともに、ざわめいていた空間がしんと静まり返る。
静寂が戸口から波紋のように広がるのを確認して、俺は足を進めた。
カツ、カツ、と2人分の硬い足音が響く。最前中央の席は埋まっていたが、彼らは慌てて荷物をまとめて別の席へ移った。広く空いたスペースの椅子に腰を下ろす。
俺はこの方法で1年間最前中央を確保してきた。定位置だ。
教授はオドオドと周囲の生徒の様子を見回していたが、俺が席に着いたのを見ると落ち着いたらしい。持ち歩き式の実験器具をいそいそ組み立てている。
俺は彼が紛失したフラスコを机上に再発見する様子を微笑ましく見守ってから、講堂最後方の隅の席に目をやった。俺と目を合わせたサクラがびくりと遠くからでも分かるほど身を震わせる。
にこやかに手を振ってやると、彼女の周囲にいた男二人が気づいたらしい。少女を影に隠し、キッと睨んできた。
「おお、今年の1年は勇ましいな」
「挑発したためかと」
「そんなことしない。今のはちょっとした挨拶だ」
俺は否定して、サクラを観察する。
彼女の周りには明らかに『キャラクター』が増えていた。
まず一人目。眼鏡姿が怜悧な男はリチャード=アルジェント。アルジェント侯爵家の次男で、父親は現宰相だ。
「ちなみにリチャードくんは実は大の甘党だがそれを秘密にしているらしい」
「左様で」
二人目。燃えるように赤い髪が印象的な、軟派そうな男。カルロ=ザネッティ。皇室直属の近衛騎士団長の一人息子。
「カルロくんは永遠の忠誠を捧げるたった一人のひとを探しているそうだ。ロマンチストだな。リヴ。立候補してみたらどうだ?」
「結構です」
そして三人目。漆黒の黒髪に血の色をした瞳が映える、母上譲りのキツい顔立ちを優しげな雰囲気が和らげている我らが弟、ロバート=アクイナクスである。俺が来たことに遅れて気づいたらしく、気まずそうにしていた。
「ロバートは……特に言うことはないか」
「何も仰らないでくださいませ」
「しかし1週間で1人ペースとはな。面倒なことになってきたぞ」
俺は鬱陶しがるリヴに構わず、オペラグラスを目許から外して呟いた。
この3人はいずれも『恋デレ』に登場する攻略キャラクターだ。そして全員が恋をしている目でサクラを見ている。実質、集団は彼女のハーレムであった。
攻略スピードがあまりにも速すぎる。流石は主人公と言ったところか。
喫緊の問題としては、誰が本命か分からないということだ。
この3人の中から選ぶならいいが、第二皇子殿下やエルメス教授を攻略するとなると俺にも被害が及ぶ。
殿下が本気で恋に落ちればサクラとトラブルを起こした俺はまず死刑になるだろうし、教授を取られると薬の開発が致命的な打撃を受ける。情報の流出も危惧した方がいいだろう。
そして、もしこのまま『誰も選ばない』選択肢を取った場合――それがこの国のデッドエンドだ。
誰もがサクラを愛し、彼女のためだけに国家を経営する世界……
その世界には俺も、ロザリア嬢もいない。
俺は教科書を机に置いて、ペンを片手でクルリと回した。
「リヴ。探れ」
「承知しました」
召使は簡潔に答えた。いつも通りやるだけだ。




