婚約者に挨拶しよう
「こちらです」
ペネロペに案内されて辿り着いた場所は庭園の奥だった。
淡い青空の下、チェスの駒のように白いガゼボ(東屋)。
『ロザリア=コルテーゼ公爵令嬢』はそこで一人華奢な椅子に腰かけていた。
絹のようなブロンドの髪が陽ざしを受けてきらきらと輝いている。
白く形のいい指がティーカップをコトリと置いた。
その仕草の一つ一つが洗練されていて、緻密に計算して作られた陶器の人形のようだった。
伏せられていた長い睫毛が揺れる。藤紫色の目が俺を見た。俺は彼女から目が離せなかった。
「トマス様。ようこそお越しくださいました」
魔術鈴を転がすような声がする。
「わたくし、お待ちしておりましたの」
艶のある真紅の唇が言葉を紡いでいる。
俺はそれをぼんやり眺めていて、アルベルトに横から肘で突かれてやっと我に返った。
貴族の子女が集まるサロンの活動時間に主催者一人しかいないなど通常ではありえない。ペネロペはすでに姿を消している。
寝返ったか。
俺は舌打ちしたい内心を隠して無難な笑顔を浮かべ、手を合わせる。
もう一度手を開くと、そこには氷魔法で生成した薔薇の花があった。
まぁよくある『マジック』なのだが、この魔術は特別だ。
「ロザリア嬢! 大変長らくお待たせしました。申し訳ございません。お詫びと言っては何ですが、今日はお花をお持ちしました。俺の命尽きるまで溶けない薔薇を」
彼女は紗々の扇子を口元にあてて、紫の目許を細めたようだった。
「まあ、素敵。こちらにいらして、花瓶に飾ってくださいまし」
「ええ喜んで」
許可が出たので冷たい薔薇を持ってガセボの影に立ち入る。魔術的な保護があるらしく、涼しい風が吹いていた。
空の花瓶が机の中心に置かれている。まるで何かを待っているかのように。
俺は氷の薔薇を花瓶に挿した。カラン、と澄んだ音が響く。
「ロザリア嬢、ときに――」
彼女の顔色を窺おうと視線を上げると、ちょうど幽霊のように嫋やかな手が俺の頬に伸ばされるところだった。
ひやりと冷えた指先がつと触れる。息が止まるほど淑やかなヘリオトロープの瞳が俺を見ていた。
小さな口がゆっくりと動く。その美しい声は月夜の風のように甘く囁いた。
「トマス様。わたくし、あなたのことをお慕いしております」
「あ、え?」
「愛しています。何よりも。何度も申し上げたでしょう」
細い指先が頬を撫でる感触。キンと耳鳴りがする。俺は彼女以外何も見えなくなった。
だって――
「人を殺すあなたが好き。爪を剥いで腕を切って鞭を振るうあなたが好き。血塗れのあなたが好き。教会に火を放つあなたが好き。人の尊厳を踏み躙るあなたが好き。動物を殺すあなたが好き。すべての儀式を台無しにするあなたが好き。悲鳴を聞いて笑うあなたが好き。人の流す最期の涙を集めて瓶に詰めてくれるあなたが好き。地下室のあなたが好き。綺麗な人形をバラバラに切り刻むあなたが好き」
「あ、あ」
「9歳の誕生日にくれたウサギの剥製が何度も言うの。もう一生会えないって。でも根も葉もない嘘でした。あなたはわたくしに会いに来てくれた」
ロザリアは俺の手を取って、そっと柔らかな頬に当てた。吸いつくような肌だ。指先の熱で溶けそうなほど。
全部仕方ない。だって俺はこのひとのことが好きなのだ。
今世は物心ついたときからずっと好きで、だから、婚約破棄の話を聞いて以来は考えたくなくて、そのとき前世の記憶が……? 前世? って何だっけ? 今は俺が生きていて、だから?
脳に血がドクドクと流れる。耳の奥で音がする。視界に星がちかちか瞬く。
彼女は優美に微笑んだ。
「わたくしの可愛い殺人鬼。あなたのために奴隷を100人用意させました。今からいかが?」
「殺します!」
俺は即答し、アルベルトに後頭部を殴られた。




