薬を飲もう
薬は毎朝欠かさず飲んでいる。
今朝も俺は自室で銀色の液体を飲み干し、頭蓋骨の内側に素敵なサイダーを流し込まれるような感覚を味わっていた。
薬を飲むと前世の記憶が克明に蘇るのだ。
現代日本での暮らし、仕事、薬、料理、娯楽、『恋デレ』。
どうしてエリクサーを飲んで前世の記憶が蘇ったのかは分からない。
ただ薬を飲まなければ忘れていくであろう鮮明な記憶……
俺はパチリと目を開くと、安楽椅子の背もたれから身を起こした。
「サクラはどうなった?」
「変わりなくございます」
リヴが写真を渡してくる。そこには『サクラ』という少女の姿があった。原作主人公だ。
彼女は今、皇都のはずれの地区に住んでいる。試験に向けて勉強中で、受験の主力科目は錬金術。
生活費は親からの仕送りに頼らず自力で薬を売って稼いでいる。
行きつけの飯屋はカマラーダ食堂で庶民的な価格が売り。
最近花売りの少女と仲良くなって部屋に青い花を飾っている。
今恋愛をしている余裕はないらしく生活は勉強尽くしだ。平民として皇都学園に入学しなくてはならないのだからその努力は計り知れない。
俺はそういったプロフィールを収集し、特に何をするでもなく研究をして過ごしていた。
『恋デレ』の原作が始まるのは来年だ。
始まったところで、俺が物語からフェードアウトしていれば楽に済むんじゃないかと思い始めていた。
サクラはチュートリアルの成功体験を失うだろうが、俺としてはむざむざ酷い目に遭うことなどないのだから。
あの心優しい性格なら、更生した俺を見過ごしてくれるはずだ。
というか、俺は彼女と敵対したくないとすら考えていた。
欠かすことなく彼女の情報を追い、少しでも原作と違う点がないか血眼になって探す俺はもはや彼女のファンだった。
俺が突っかかることがなければ問題が起きることもあるまい。
俺の後には恐るべき悪役令嬢が――
「悪役令嬢?」
ハ、と顔を上げた。
リヴを見る。いつも通りの緑色の目が無表情にこちらを見ている。
俺は続けた。
「ロザリア=コルテーゼ公爵令嬢?」
彼は恭しく目を伏せると、答えた。
「ご主人様の婚約者であらせられます」
「去年倒れたとき破棄されたんじゃなかったか?」
「公爵様から提案の書信を送られましたが、お返事はまだかと。恐らくその前にご主人様が回復なされましたので」
「つまり?」
冷や汗がたらりと背を伝う。いくら記憶を辿ってもリヴの言葉は真実だ。
彼が静かに告げる。
「婚約は現在も有効です」
「しまった……」
俺は口元を押さえて背もたれに身体を預けた。ギィと安楽椅子が軋む。
ロザリア=コルテーゼ公爵令嬢は俺が5歳の頃からの婚約者だ。
そして『恋デレ』最強の悪役キャラクターでもある。俗にいう『悪役令嬢』なのだ。
俺は彼女と婚約関係にある。本来破棄されるはずのそれが、何の因果か破棄されていないのだ。
それは俺の行動の結果だろう。神から与えられた機会に夢中で、何かを掛け違えたのだ。本来俺はフリーの悪役のはずだった……
俺はリヴを見る。
「しばらく挨拶に行っていないな」
「左様ですね」
「マズいか?」
「マズいかと」
俺は憂鬱たっぷりの息を吐いた。
心配すべきは未来の誰かのことより、現在の己のことである。




