顧問の先生を探そう
ローマヴィア皇都学園の教師はエリート揃いだ。
何せ育て上げるのは皇国の未来を担うトップの若者たち。
教育に1mmのミスも許されない、ここはそういう場所。
「だから彼らの時間をいただくのは非常に難しくて……聞いてるかい、トマス」
「聞いてる」
「特に薬学と錬金術の分野の人員は限られている。滅多なことは言わないでくれよ。分かった?」
「分かった」
「悪いけど本当に分かってるのかかなり不安だ。君、くれぐれも黙っているんだよ」
「聞いてる」
「怪しいな……」
アルベルトが何事か呟いている横で、俺は教師に渡す書類を片手に退屈しながら歩いていた。
いくら多忙な教授陣と言えど、この性格のいい優等生くんの頼みを断る人間なんていないだろう。
そう思っていたので、
「い、嫌だ」
「えッ……?!」
目の前で陰気な男が研究器具の影に身体を隠しながら言ったときは声を上げて驚いた。
男は長い前髪越しに頑なに俺から視線を逸らし、見ようともしない。
これは衝撃だった。
臆病者に会ったことは数あれど、今世で彼らが明確にNOを突き付けてきたことはなかったからだ。
大体は俺の言うことを聞いてくれた。大人しく。従順に。
俺はふらりと一歩近づく。
「教授。アルベルトくんの何がダメだって言うんですか?」
「ヒイッ」
「トマス。頼むから黙ってくれ」
アルベルトが額に手を当てて目を瞑りながら俺を止めた。何故?
教授は怯えた様子で最新の研究器具に隠れてしまう。野性の小動物みたいだ。
俺は途方に暮れて頼れるお兄ちゃんを見る。彼は海よりも深いため息を吐いた。
「エルメス教授。トマスの噂をお聞き及びと存じますが、彼は更生したんです」
「し、信じられない」
「本当なんです。お引き受けくださいませんか」
「ト、トマス=アクイナクスの顧問だなんて絶対に、私には、むッ無理だっ」
小動物というには長身の教授は、机にしがみつきながら返した。
誰かが今すぐに彼を太陽光の下に引き摺り出そうとしているかのような怯え方だった。
「教授……」
俺は行き場のない手を空中にさまよわせる。困った。
こう見えてもエルメス教授は『恋デレ』に登場する攻略対象の一人なのだ。
1年後には薬学・錬金術の権威となり、主人公『サクラ』の師として大活躍する予定なのだが、今の彼はまるで畑から掘り出されたモグラだ。
教授はアルベルトに肩を支えられ、はらりと涙さえ零しながら泣き言を呟く。
「い、遺書を書かせてくれ」
「大丈夫です。彼はここ一年誰にも危害を加えていません」
「公爵家のゴミ焼却場……アクイナクスの悪夢が大人しくしているわけがない……」
「更生したんです。トマス。書類を」
俺は一人で傷ついていたので黙って書類を差し出した。
教授は涙を拭いもせず恐る恐るそれを受け取って、視線を上げる。
「こ、これは」
「彼が作った薬の資料ですよ。教授」
「薬……?」
「そうです。僕たちの部はこの薬の研究から始めていこうと思うんです。それには教授の力が必要で、今日お伺いしました」
アルベルトの声色はゆったりとしていて、人を落ち着かせる効果がある。
教授もそれでやっと呼吸の調子が安定してきたらしく、書類に向き合った。
ぱらり。ぱらりと一枚ずつ丁寧にページを捲る指先からは研究に対する基礎的な敬意が感じられる。研究者なのだ。
最後のページを読み終えてからややあって、教授は震える声で口を開いた。
「き、君がこの薬を作ったのか」
俺はアルベルトを見る。彼が頷いたので、俺はできるだけ穏やかな笑みを浮かべて話した。
「はい。俺が作りました」
「どうやってレシピを?」
「神の啓示がありまして」
「これは……夢の薬だ」
「未完成の、ね」
教授の震える手から書類を取り上げて、グ、と顔を寄せる。
「俺、この薬を完成させたいんです。論文で発表したい。新しい研究も始めたい。それを手伝ってほしいんです。先生なら分かるでしょう? これがどれだけ貴重な業績か、一体どれだけの人がこの研究を欲しがるでしょう。一度世に垂れてしまえばどれほど広がることでしょう。世界が変わる発明です。未完成のままにするには危険すぎますよね。生徒の手には余りますよね。そこで必要なのが他でもないあなたです。これはあなたにしかできないことなんです。シープシャンクだけじゃ終わらない。俺の頭の中にはまだアイデアがあります。新しいアイデアだ。まだ誰も見たことのない――」
「待て。トマス。もういい」
「は?」
素敵な話の始まりに横から水を差されたので俺は眉を顰めた。
「大丈夫ですか、教授」
「はッ、は、はあ、は……」
アルベルトは気にも留めていない様子で教授から俺を引き剥がすと、教授の背をそっと撫でる。
陰気な男はそれだけで止めていた息を吸って、吐いて、少し咳き込んだらしい。
優しい声が囁く。
「お引き受けいただけますか」
教授は少しの間黙って咳き込んでいたが、何も言わず頷いた。
俺はその場でパチパチと拍手を送る。
これで部活動の体裁が整ったわけだ。




