打ち砕かれない氷
3人が行き着いたのはとあるホテルの一室だった。
芽依の瞬間転移は地下鉄の車両から彼らをここまで一瞬で転移させたのである。
愛理は男に襲われそうになったときに波留が突然現れたことが不思議でしょうがなかったのだが、これも瞬間転移だと考えれば造作もないことだった。要は、あの男が空間を掌握した後に波留が空間を転移して地下鉄の車両に来たのだろう。
ホテルの室内は至って普通な感じであるが、玄関から入るとまず左手にバスルーム、そして進むと寝室のベッドが2つあるだけとあまり大きくはない。
しかしながら、3人が転移したのは部屋の中でも、バスルームだったのである。
「え?なんでこんなところに……」
一瞬でここがバスルームだと気づいた愛理は開口一番にそう言った。
その言葉に波留の全身が身震いを起こした。そしてその振動が不思議なことに何故か芽依の胸に伝わっていた。物理的に。
「でも、一応理由があるんだよ。いま寝室は散らかってるからね。なんたってカミクシアに繋がるポーターが配置されてるから。そして、僕のこの右手にも理由があるんだよ……分かってくれるよね」
そう、波留の右手は本当に何の理由もなく、芽依の申し訳程度しかない胸を鷲掴んでいたのである。波留としては謝っても八つ裂きにされることは既に予想済みなので、また諭す方向へ持っていこうとした。
「我がパートナー、言い残す遺言はそれだけ?だったら早く燃やしたいんだけど」
「いや、なんですか燃やすって。第一燃やしたら火災報知器がなって面倒くさいことになりますよ。ほほほほ」
人間、笑顔を見れば怒りも収まるーーどこかの雑誌で見た知識をフル回転させて、波留は必死の笑顔を作り出す。
どうにか、この場は落ち着いてくれ。そう心から願った彼の願いが届いたのか、それとも現実的に火災報知器がなるのを恐れたのかは分からないが、次第に芽依の顔は飽きれの表情へと変わっていった。
後はゆっくりと拳銃で撃たれないように右手を離すだけである。やっと勝機を見いだしていた波留に悪魔が舞い降りて、闇の言葉をささやいた。
「でも、思ったんですけど確か今って時間が止まってるんですよね。さっき転移する前に芽依さんが電話をかけてたじゃないですか。現在進行している掌握が解けたらあんたが空間掌握を維持しなさいって。なら火災報知器も止まってるんじゃないかと」
この波留とっての悪魔、愛理の言ったことはもっともであった。
まず、始めに空間の掌握行為を行っていたあの男は、スタングレネードによる気絶から目覚めると自分の任務失敗を悟り、撤退した後に掌握を解除するだろう。それでは時間が進行してしまい、一刻の猶予もない波留たちにとっては致命的なこととなる。
そこで芽依は対抗策として、仲間に力を借りることにした。
この世界に駐留しているユークリッド人に頼み込んで、かなりの間空間を掌握し続けてもらうことにしたのだ。
この作戦のデメリットをいうなら、この頼まれたユークリッド人は他の敵を集めてしまう。しかし、芽依はそれにも抵抗できるような人物を指名したのであった。
とにかく、この時に時間が止まっているなら、報知器などは全く機能しない。
「愛理、それはつまり逆を言うと、もし私がここでこの変態クソ痴漢男を銃のマガジンが空になるまで撃っていいってことかしら?さっきのビンタですっきりしたつもりだったんだけど、まだ足りないみたい」
「はい。変態は処罰すべきです」
愛理はにっこりしながらそう答える。芽依に初めて名前で呼ばれたのが嬉しかったからなのか、まさに満面の笑みだ。
「そう、じゃあ処罰を始めようかしら」
「ちょっと待ってよ!僕はまだ死にたくないよお。ほら本織さんも喜んでないで!あのとき、おっさんから助けてあげたの僕だよ?もしあそこで誰も来なかったら何が起こってたのかも分からない。ひょっとしたら色々な意味で奪われてたかもしれないし」
そうしてどうにか死の道から這い上がろうとする波留。しかしはっきり言うと墓穴を掘っただけである。
「あー芽依さん。こいつ殺っちゃっていいっすよ」
急に顔が怖くなった愛理はこう芽依に促した。
波留としては、それが女子高校生の正しい顔つきと、言葉!?と突っ込みを入れたくなるのだが、もう遅かった。
「せいぜいあの世でもいい夢見なさい!」
「や、やめて」
本気でびびってる波留はすっと右手を離すとバスタブの方へと後ずさっていく。
そんな彼に、芽依は水色のパーカーから拳銃を取り出す。どうやらそれは波留と同じベレッタ90Twoのようだが、彼女は何の迷いもなくそれの安全装置を外して引き金を引いた。
その時、わあ!という大きな声と共に波留頭と足の位置は一瞬にして上下逆さまになっていた。
これは芽依が撃った直後に、彼の後ずさっていた足がバスタブに引っ掛かってそのまま転倒したからである。そして上半身はバスタブの中に放り込まれ、足が直立していた下半身も、彼の気絶と共にバタと折り曲がったのだった。
そして撃った本人も
「バカね……」
と銃をしまって呆れていた。
「あれ?何にも起こってない」
愛理は発射された銃弾も、またその跡もまったくないので疑問を感じていた。それに対して芽依は答える。
「本当に撃つわけないでしょう。どんなに腐ってもパートナーんだから。空砲よ、空砲。そんなのも見分けられないなんて、あんたもあいつもまだまだね!」
「そうですよね」
愛理はこう返しておいたが、胸を触られて頬を真っ赤に染めていた芽依も、それはそれで可愛いかったなーと思っているのだ。つまりはお互いにまだまだというわけだ。
「よし、これで邪魔者は消えたわね。愛理、私についてきなさい」
今度は芽依が愛理を誘い出し、バスルームを出て、外から電気をつけると寝室に入る。それに続いて愛理が中を覗いてみるとそこはまるで異世界のようだった。
寝室の壁や天井、はたまた窓に張り巡らされているのは、無数のパイプのような管。
そしてそれらはあちこちを回った挙げ句に一つの円柱状の物体にたどり着いている。大きさは人間がちょうど3人入れるくらいで、それがまるで根を部屋中に伸ばしているようだった。つまりはとても奇妙な空間であることに間違いはなかった。
「うわぁ、なにこれ」
足の踏み場もないので、パイプの上を歩いていく。
「これがポーターよ。これでカミクシアに行くの。大体の準備は終わってるから今にでもあのバカを連れてくれば準備完了。でも」
いきなり芽依は愛理の方へと振り返った。
「これからカミクシアへ行くにあたって私があなたに守ってほしいのはこれだけ。仲間を信じなさい。この先、絶対に仲間を信用できなくなるような時が出てくるかもしれない。でも、たとえ世界が敵に回っても私を信じなさい。あ、もちろんパートナーもね」
全てのものを捨てて何かを信じるのはとても難しいことだ。なぜならそれに裏切られた時の損害を考えれば考えるほどさらに信じることができなくなるからだ。
でも、芽依は今から行く世界で彼女自信を、そして波留を信じることさえすればいいと愛理に思わせたかったのである。
「うん。絶対に誓う。可愛いはいつでも正義だから」
「よく言ってくれたわ。それじゃあ、私からあなたにこれをあげる。受け取りなさい」
そう言って芽依が渡したのは一丁の拳銃だった。
その名はスタームルガーSR9という。上半分が銀、下半分は黒色の二色の外観で、重さは750gと女子高校生に合うかどうかは抜きにして軽い。これでいて17発の銃弾を入れることができる高性能な拳銃だ。
「え……あ、はい」
自分よりも小さい少女から銃という物騒なものをもらうのは複雑な気持ちだが、信じるためには必要なことだった。愛理は素直にそれを受けとると
「私もこれを使わなくちゃいけない時がくるのかな……」
不安げな口調でそう呟いた。しかし芽依はそれを払拭するように
「いや、そんなこと絶対にさせないわ。それはあくまでも私たちの信頼の証」
と言った一方で
「若しくはバスタブで延びてる奴への護身用ね!」
笑いそうになりながら言い放った。
そしてその後に2人は弾けたような笑いを見せ合ったのであった。
数分後、芽依はまだ起きてこない彼をバスタブから引きずり出し、どうにかそのまま引っ張ってポーターのある寝室まで運んできた。
「あの、芽依さん。首絞まってますよ」
愛理の指摘通り波留は首を絞められながら運ばれていたせいか魂が飛んでいるが、芽依はすぐ復活するからと言って円柱についているドアを開けると、そこに彼を押し込んだ。
そして愛理が次に入り、最後に芽依が内側からドアを閉めて、準備は完了した。
彼らの行き先はカミクシア。ユークリッド人の世界であると同時に運命を握る場所である。




