お姉ちゃんと氷
青年が投げた凄まじい光と音を放つ物体は、一言で言うと“スタングレネード”だった。これは殺傷を目的としない手榴弾の一種で、先程のように一時的な失明と耳鳴りを起こして、相手をパニックにさせるための武器である。
今回は男の目の前で発動させたので気絶してしまったが、反撃されては困るので、やむを得ないところだろう。また気絶以上に重い事態になってしまうと、空間が男の掌握から開放されてしまうことにもなる。すると現在掌握から逃れている3人が、他人から見るとまるで瞬間移動したように見えてしまうのだ。
そんなわけでどうにか勝利を手に入れた青年は戦闘で出たアドレナリンを押さえつけながら、まずは目の前でぐったり倒れている男の内ポケットなどから書類の類いを引っ張り出した。
敵を倒さずして、情報を手にいれる僕って頭いいじゃん!なんて思っていた彼だがおりたたまれている紙を開いた瞬間、思わず呟いてしまった。
「あ……全部暗号なの」
調子に乗っていた自分を反省する一幕であった。せっかく彼らの計画を垣間見ることができそうだったのだが、まだ戦いは始まったばかりである。
青年はかき集めった資料をくしゃくしゃポイすると男が目覚めない内に、待っているだろう愛理の元へと向かった。
彼女は車両の一番端の車両で、運転室の壁に寄りかかって座わりこんでいた。体育座りしてうつむいているために表情は確認できないが、大体の予想はついていた。
ゆっくりとドアを開けて中に入った青年だが、どう声をかければいいのか分からなかった。
でも何か言わなくてはと、とりあえず彼女の目の前で彼もあぐらをかいて座り、自身が思っていることを話始めた。
「確かに、本織さんが普通の人間として生活していながらこんな運命に立たされるなんて不幸だと思うよ?でもさあ、目を逸らしちゃだめなんだよ。現実から、そしてこれから起こることからもね」
すると咄嗟に愛理は顔をあげて反論した。
「私がいつ現実から目を逸らしたっていうのよ!どんな時でも私が常に前を向いてきたの、横とか後ろとかに落としてしまったものはあるかもしれない。でもそれすら無視して前にすすんだの。そしてやっと掴んだ幸せ……でもそれすら、そんな小さな微笑みも、簡単に失われてしまった。もうどうすればいいのよ……」
その表情は怒りと悲しみに歪んでいた。
「そんなの簡単だよ」
あっけらかんと青年は答えた。その口調に愛理は歯を食いしばった。やっぱりこんなやつに私の気持ちが理解できるはずがないと。
「普通に元の生活に戻ればいいじゃん」
「あんた達がそれを邪魔したんでしょう!」
「ひいっ!ごめんなさい!」
何とも気弱な青年であるが、この行動が今回は吉と出たのだ。目を開けた彼の視界の先では驚くべきことが起こっていたのだ。愛理はあまりの反応に笑っていた。腹をよじらせながら。
「な、なんで謝ってんのよー!可笑しい」
笑われた青年としては涙ものだが、とにかく彼の脳内では場がほぐれて良かったという記憶を植え付けていた。あぐらをかく青年はしばらくの間、とはいっても愛理の爆笑が収まるまでだが頬杖を解いて今度は腕を組ながら、合わせてわははと笑っていた。
そして同時に愛理の笑う姿に可愛いなーなんて思っていたりした。はっつんに切られた前髪が揺れるのがさらに癒されたりもした。
「ねえ、名前は?」
笑い終わった彼女にそんなことを聞かれた。青年としては、日本人としての名を答えることにしたようで
「僕の名前は、波留……だけど」
すこしためらい気味に彼は答えた。
「へえー名前は?苗字じゃなくて」
「うーん、ちょっと今は知らないほうがいいんじゃと思って。事情があるんだよ」
ふーんと彼女は相づちを打った。言葉では納得したような素振りを見せながらも、やはり腑に落ちないのだろう。それからというもの、すこしの間沈黙が流れたが、ふと思い出したように、波留は口を開いた。
「僕はあんまりここにいることをお勧めしないんだけど、最低限のことは今、説明しようと思う。いいかな」
ここまで完全に会話の主導権を握られていた波留はどうにかそれを戻そうとこう言った。
「うん、まずは事情を知りたいの。どうしてこんなことになったのかそして……」
“こんなこと”とは、愛理がどんな理由でさらわれようとしたのかということだが、本人としてもなにかを勘づいていたようで、さらに付け加える。
「それは多分、お姉ちゃんが関係あるんでしょ?」
この発言に波留は言葉を詰まらせた。全くその通りとまではいかないが、彼女の姉も少なからず今回の事件には関係していた。
愛理は彼の驚いたような表情からやはりそうかと納得すると逆に安堵の表情を浮かべた。
「失礼ながら、本織さん。喜んでいるように見えるんですけど」
「うん。喜んでるよ」
「実の姉がこの事件に絡んでいると知ってもですか?」
「そうだよ。だって、よかったもん真実が知れて!」
「真実……?」
「私が子供の時にお姉ちゃんは死んだ。病死だった。私はとっても悲しかった、苦しかったの。でも……この歳になっておかしいって気づいた。だって当時のお姉ちゃんはまだ9才だよ?突然死するような病気にかかるなんてほとんどあり得ない」
愛理は右手をふらふらと降りながらそう否定する。
「そして、それから私は死んだお姉ちゃんの顔を一度も見てないの。で、思ったのが突然死ではない何か別のことがあったんじゃないかって」
ふーん、と波留はただ耳を傾けていた。しかし愛理の姉を思う気持ちはひしひしと伝わってきたのだ。と同時に、真実を伝えなければいけいないと妙な緊張感が彼の背中に走った。
だが、よく考えてみるとこの小さな少女にすべてを受け入れる用意がちゃんとあるのか、それも気になっていた。ただでさえ飲み込まれそうなこの状況に拍車をかけていいものかと。
そこで波留は大まかな概要を話すことにした。
「とりあえずそれはあとで話すよ。最初に大きな動きからね。まずこの世には人間という種族の他に、“ユークリッド人”という人種みたいなのがいるんだ」
「それは、さっきの男から聞いたの。そしてあの男を見る限りその人種はとっても性格が悪い」
「そうか……でも人間と同じで悪い奴もいればいい奴もいるんだ。特に良い、善良なユークリッド人っていうのは、例えば僕のことだよ」
ユークリッド人と彼自身どちらを擁護したのか微妙な台詞である。
「ああそう……」
「やっぱり軽く受け流すんだね」
愛理が一瞬しかめっ面したのはおいといて。
「ユークリッド人は人間と別の世界に住んでる。名前は“カミクシア”っていうんだけど、とっても良い場所なんだ。誰もが平等に暮らしてる。戦争も1000年位起きてないんだ」
「それって、すごい。」
「でもその分、しわ寄せがこの世界に来てしまったんだ。
具体的に言うと、昔にある一大実験機関があったんだけど、政府直属の研究所だから、けっこう大きな実験が日々行われていた。もちろん人体実験もあった。
そのうちにどんどんその内容が、かなり法律の枠を越えたものになってきて、それが危険と判断した政府は、あえなく研究所を取り壊しにしたはずだったんだ。
でも、彼らは政府に嫌われるようなふりをして裏で手を組んでいたんだよ。人体実験ができなくなった彼らは、ユークリッド人に代わる存在を次の材料として使い始めた。それが“人間”なんだ」
次々と流れてくる情報を愛理はどうにか噛みしめようとしていた。
そして喉を通した時にはある重大な事実に気がつきかけていた。
「じゃあ、私が狙われたのって……」
「そういうことだよ」
つまるところ、愛理はユークリッド人の実験道具として拐われるところだったのである。
だがこれでは彼女が空間掌握に耐性があることは説明できない。どんな超人であったとしても人間は人間なのであるから空間に関して言えばただの素人どころか未経験者である。
それを薄々感じていた愛理は口に出しかけたが、それが発せられることはなかった。
「そろそろ、行こう。僕のパートナーが来たようだね」
波留がそう言いながら、立ち上がったからである。




