EP 6
「働きすぎの村長に、有給を」
煌々と魔導ランプの明かりが漏れていた村長公邸の執務室。
翌朝、俺が差し入れの肉椎茸まんを片手に訪れると、案の定、キャルルは羊皮紙の山に埋もれて死んだ魚のような目をしていた。
「あ、リクト君……おはようございます。ちょっと徹夜しちゃって……」
フラフラと立ち上がろうとする彼女の足元がおぼつかない。
俺は無言で空中にポータル画面を呼び出し、【健康診断】のタブをタップして彼女を視界に捉えた。
『ピコン』
【対象:キャルル・ムーンハート】
【過労:D判定(要休養)】
【推奨措置:直ちに行政業務を停止し、有給休暇を取得させてください】
(……完全にブラック企業のプレイングマネージャーが陥る、典型的な過労死ラインじゃないか)
「村長。昨夜は一睡もしていないんですか」
「はい……。隣村との境界線の書類とか、自警団の備品購入の決裁とか、色々溜まってしまっていて。私が全部確認しないと、村のみんなが困ってしまいますから」
へへっ、と力なく笑うキャルル。
その真面目さと責任感は尊い。だが、元総務部として、この手の「抱え込み症候群」の末路を俺は嫌というほど見てきた。
俺は手に持っていた肉椎茸まんを彼女の口に突っ込み、デスクの上に山積みになった書類を手に取った。
「……自警団の、予備のクロスボウの矢十本と、清掃用のホウキ一本の購入申請? なぜこんな少額の備品まで、村長のあなたが直接決裁印を押しているんですか」
「えっ? だって、村の予算を使うわけですし、私が責任を持って目を通さないと……」
「村長」
俺は、極めて冷静な、だが一切の反論を許さない丁寧なビジネス敬語で彼女の言葉を遮った。
「それは美徳ではなく、ただの組織のボトルネックです。トップが倒れれば、この村の行政は完全にストップします。それは結果的に、村のみんなを最も困らせる最悪のリスク管理(BCP違反)です」
キャルルの純白の兎耳が、ビクッと縮み上がった。
俺は執務室の外にいたケンタウロス族の女性――自警団リーダーのマンミアを呼び入れた。
「マンミアさん。自警団の備品購入について、一定額以下の決裁権限をあなたに委譲します。また、財務関連の書類はすべてゴルドスマイル銀行のニャングル支店長に一次審査を回してください」
「えっ、私に決裁権を? しかし、それは村長を通すのが慣例で……」
「今日からルールを変えます。村長が判断すべきは『村の存亡に関わるAランク案件』のみ。それ以下の『Bランク(現場判断)』『Cランク(事後報告)』は、各部門の責任者が処理してください。承認フローの図解を今書きます」
俺は裏紙にササッと「職務権限規定」のフローチャートを書き殴り、マンミアに手渡した。
書類を覗き込んだマンミアの目が、驚愕に見開かれる。
「な、なんと合理的で無駄のない指揮系統……! 各人の責任の所在が極めて明確だ。早川、お前はどこかの帝国の退役将軍なのか!?」
「いえ、ただの元総務ですが。というわけで、村長の今日の午後の予定はすべてキャンセルします」
俺はポカカンとしているキャルルの背中を押し、執務室から強引に連れ出した。
「リ、リクト君!? 午後は農地改革の打ち合わせが――」
「マンミアさんとニャングルさんに投げました。村長、あなたには今から『有給休暇』という重要な業務を遂行してもらいます」
* * *
初夏の心地よい風が吹き抜けるポポロ村の丘を、俺とキャルルは二人で歩いていた。
最初は「休むなんて落ち着きません……」とそわそわしていたキャルルも、強制的に仕事を切り離されたことで、次第に表情に生気が戻ってきていた。
「……有給休暇、ですか。王宮にいた頃も、こんな風に何もしないでゆっくり風を感じる時間なんて、ありませんでした」
「仕事は逃げませんから。しっかり休んでパフォーマンスを上げるのも、上に立つ人間の義務ですよ」
キャルルは立ち止まり、ルビー色の瞳で俺をじっと見つめた。
(リクト君の心音……。いつも一定で、穏やかで、本当に心地いい……)
彼女の兎耳が、嬉しそうにパタパタと揺れる。
「あの、リクト君。これ……受け取ってください」
キャルルが胸ポケットから取り出し、少しはにかみながら差し出してきたのは、一枚のハンカチだった。
真っ白な布地の隅に、可愛らしい「人参の刺繍」が丁寧に縫い込まれている。
「ハンカチですか?」
「はい。昨日の面接と、今日の……お休みの、お礼です。私のお手製なんです」
「ありがとうございます。大事に使わせてもらいますね」
俺がハンカチを受け取ってポケットにしまうと、キャルルの瞳の奥が、一瞬だけ獲物を捕らえた肉食獣のようにトロンと濁った気がした。
「ふふっ……ええ、肌身離さず持っていてくださいね。そうすれば、リクト君が大陸のどこへ逃げ……いえ、どこで困っていても、私がすぐに『匂い』で追跡して、助けに行けますから……♡」
「ん? 今、追跡って……」
俺が聞き返そうとした時、背後から蹄の音が近づいてきた。
自警団長のマンミアだ。パイルバンカー式の大型シールドを背負い、険しい表情をしている。
キャルルは一瞬でいつもの快活な村長の顔に戻っていた。
「早川。有休の邪魔をしてすまないが、少し耳に入れておきたいことがあってな」
「トラブルですか?」
「いや……注意喚起だ。村の北側にある『ポポロ山の遺跡』には近づくな。最近、あそこに施された古代の封印石に微小な亀裂が走っているという報告がある。我々自警団も警戒レベルを上げているところだ」
遺跡の封印。いかにもファンタジー世界特有の厄介事だ。
「承知しました。君子危うきに近寄らず、ですね。俺も定時退社の妨げになるような面倒事には関わりたくありませんから」
マンミアの警告に頷き、俺は村長たちと別れて帰路についた。
時刻は夕暮れ時。今日もきっちり定時で上がれそうだ。
夕日に照らされた村の中央広場に差し掛かった時。
オレンジ色に染まる静寂の中、ポツンと置かれた木製のみかん箱の上に、手作りのメガホンを握りしめた孤独な人影が立っていた。
客が一人もいない広場に向かって、リーザが一生懸命に声を張り上げている姿だった。
読んでいただきありがとうございます。
面白いと思っていただけましたら、★評価やブックマークで応援していただけると励みになります。




