EP 3
「村長は、嘘を聞き分ける」
リーザに案内されて辿り着いた「ポポロ村」は、絵に描いたような長閑な農村風景と、どこか不釣り合いな重厚な防衛設備が混在する奇妙な集落だった。
石造りの村長公邸へ通された俺は、執務デスクの向こうに座る人物を見て思わず居住まいを正した。
「初めまして。ポポロ村の村長を務めております、キャルル・ムーンハートです」
銀白色のショートボブに、透き通るようなルビーの瞳。頭頂部にはピコピコと動く純白の兎耳が生えている。
年の頃は二十歳前後だろうか。スポーティでラフな服装だが、背筋の伸びた凛とした佇まいには、隠しきれない気品と威圧感があった。
(……この人が村長? 若いのに、総務部長の三倍くらいオーラがあるな)
「事情はリーザちゃんから聞きました。行き倒れ寸前だった彼女を助けていただき、感謝します。……で、早川陸斗さんは、この村への定住を希望されるのですね?」
「はい。もし可能であれば、ですが」
面接特有の緊張感が空気を張り詰める。
営業時代と総務時代に数え切れないほど経験してきた「面接」の空気に、俺の脳内は自動的に『模範解答』を組み上げ始めていた。
『御村の豊かな自然環境と、防衛体制の堅牢さに将来性を感じ……』『私のこれまでの事務経験を活かし、村の発展に貢献したく……』
だが、言葉を発する寸前、リーザの「村長は、嘘が絶対に通じない」という忠告が脳裏をよぎった。
俺は小さく息を吐き、作られた愛想笑いをスッと消した。
「……本音を言います。俺は、定時で帰って、一番風呂に入って、冷たいビールを飲んで、フカフカの布団で寝たいんです」
「……はい?」
「前の職場では、理不尽な要求と終わらない業務に忙殺されていました。だから、これからの人生は誰にも縛られず、自分の生活を第一に考えて、平穏に、静かに暮らしたいんです。そのための拠点として、この村の環境が一番だと思いました」
完全に「意識の低い」ニート志願宣言だ。言った直後、(しまった、正直すぎたか)と後悔が過る。
キャルルは無言のまま立ち上がり、俺の目の前まで歩み寄ってきた。
そして、その長い兎耳をピクッと動かし、俺の胸元――心臓の鼓動に、じっと意識を集中させた。
(なんだ……? 脈拍を測られてるのか?)
月兎族の長であるキャルルには、他者の心音と血流ノイズから感情を完璧に読み取る「絶対嘘発見器」の超感覚が備わっていた。
彼女は、俺の心音に耳を澄ませる。
怠惰、自己中心的な逃避、利己主義。通常、そういう言葉の裏には、ドロドロとした欲望や悪意の音が混ざるものだ。
しかし、彼女の耳に届いたのは、驚くほど静かで、澄み切った鼓動だった。
『……もう、誰も傷つけたくない。傷ついてほしくない。自分も、周りも、ただ平穏に生きていきたい』
それは、過酷な社会で己をすり減らしながらも、他者への気遣いと責任感を捨てきれなかった男の、魂の底からの叫びだった。
自己保身を装いながら、その深層心理には、不器用なほどの圧倒的な優しさが隠されている。
「あ……」
キャルルのルビー色の瞳が、見開かれた。
(なに、この音……こんなに温かくて、優しい心音……初めて聞いた……)
彼女の純白の兎耳が、ボンッと音を立てて真っ赤に染まった。
胸の奥で、人知れず『トゥンク……!』と大きな鐘が鳴ったのを、彼女は必死に取り繕った。
「こホンッ! ……嘘が一つもない人、初めて見ました。良いでしょう、貴方の定住を許可します」
「あ、ありがとうございます」
「ただし! 村のルールには従ってもらいますからね! それと、困ったことがあったら何でも私に相談してください。い、いつでも駆けつけますから!」
なぜか少し早口で、耳をパタパタさせながらキャルルは宣言した。
「ほな、定住が決まったところで、口座開設といこか!」
バンッ、と勢いよく扉が開いて入ってきたのは、黒茶の毛並みに三角の猫耳を生やした、高級スーツ姿の男だった。
手には純金メッキの計算珠が光る、ゴツい魔導算盤を抱えている。
「ワテはゴルドスマイル銀行ポポロ村支店長、ニャングルや。村の財務も統括させてもろとる。ニーチャン、この村に住むならウチの口座は必須やで! 家賃の引き落としも全部ここ経由やからな!」
「はあ、よろしくお願いします」
コテコテの関西弁で捲し立てるニャングルは、俺の身なりを値踏みするように目を細めた。
「で、住まいはどうするんや? 村の入り口にある『ポポロ・コーポ』が空いとるけど、家賃は月額三万円(銀貨三十枚)や。光熱費・マナWi-Fi込みで格安やけど、手持ちの金、あるんか?」
俺はポケットを探ったが、異世界の通貨など一円も持っていない。
だが、焦りはなかった。
俺は空中に浮かぶ社内ポータルの画面を操作し、【福利厚生】の【住宅手当】の項目をタップした。
『ピコン』
【住宅手当:月額上限30,000円を申請しました】
【指定の管理口座へ直接振り込みを実行します】
ニャングルの持っていた魔導端末が、ピピッと軽快な着信音を鳴らした。
画面を確認したニャングルの猫耳が、ピンと直立する。
「……おいおい、マジか。今、ウチの法人口座に、身元不明のメガバンクから『ハヤカワ リクト家賃分』として、寸分違わず三万円がきっちり即時送金されてきたで」
ニャングルは驚愕の眼差しを俺に向けた。
(この男、ただの行き倒れちゃうぞ……! いかなる魔導通信網を使っても追跡できん完璧な資金ルートを持っとる……! バックにとんでもない巨大資本がおる証拠や!)
「……リクトはん。アンタ、ええ客になりそうやな。302号室の鍵や。大切に使いや」
ニャングルの態度は、先ほどまでの胡散臭い営業マンから、対等なビジネスパートナーを見る目へと完全に切り替わっていた。
こうして、俺の異世界での住居はあっさりと決まった。
ちなみにリーザは、「スポンサー様の部屋にお邪魔するわけにはいきませんわ!」という謎のアイドルとしての矜持と、キャルルの「若い男女が一つ屋根の下はダメです!」という強い主張により、村長公邸の物置に居候することになった。
夕刻、18:00。
俺はポポロ・コーポの302号室に入り、荷物を置いた。
ポータル画面の【就業時間】のランプが消灯し、本日の業務終了を知らせている。
「よし……これで、誰にも邪魔されない定時後の自由だ……」
まずは一番風呂で汗を流し、キンキンに冷えたビールをあおる。
最高の異世界スローライフの第一歩だ。
俺は意気揚々と浴室の扉のノブに手をかけた。
ガチャリ。
施錠されているはずの浴室の扉が開く。
「ふふふーん♪ 湿度が大事ですのー♪」
浴室の中から、上機嫌な鼻歌と、水飛沫の音。
そして、どう考えても風呂場からは漂ってくるはずのない、むせ返るような『湿った腐植土の匂い』が、俺の鼻腔を強烈に刺激した。
読んでいただきありがとうございます。
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