EP 13
「死蟷螂」
夜の広場に、腹の底に響くような不気味な金属音が這い寄ってきた。
カチッ、カチッ、カチッ……。
暗闇の中から姿を現したのは、鈍い光を放つ鋼鉄の刃だった。
体長四メートルを超える巨躯。玉鋼のような外殻に覆われたその姿は、悪夢から抜け出してきた巨大な蟷螂だった。
「ひっ……!」
広場の中央で、重い木製の賽銭箱を抱え込んだリーザが、腰を抜かして座り込んでいる。
第一防衛線でマンミアたちが迎撃していたはずだが、太古の殺戮兵器である『死蟷螂』はその異常な跳躍力で防衛網を飛び越え、村の中心部へ直接降下してきたのだ。
「リーザ!!」
俺が叫びながら駆け出そうとした瞬間、死蟷螂の右腕――無機質な大鎌が、無慈悲に振り下ろされた。
「させませんっ!!」
銀色の閃光が、夜の闇を切り裂いた。
防衛ラインから全速力で引き返してきたキャルルだ。
彼女はクラウチングスタートからマッハに近い速度で踏み込み、タローマン特注の安全靴に闘気を集中させる。
「月影流・鐘打ちッ!!」
爪先のミスリル鉄板芯と、死蟷螂の鋼の大鎌が激突する。
ゴォォォンッ!! という、まさに寺の鐘を撞いたような重低音が広場に響き渡った。
通常の中型魔獣であれば、この一撃で頭蓋骨ごと粉砕されているはずだ。
だが、死蟷螂はギチギチと不快な摩擦音を立てながら、その極限の硬度でキャルルの蹴りを弾き返した。
「くっ……なんて硬さですか……!」
体勢を崩したキャルルに対し、死蟷螂は即座に左の鎌を薙ぎ払った。
キャルルは空中で身を捻って直撃を避けたが、大鎌が巻き起こした真空の刃が、広場に設置されていたものを容赦なく襲う。
バキィィィィンッ!!
凄まじい破壊音とともに、木の破片が宙を舞った。
俺とリキ兄貴が汗水垂らして組み上げた、リーザのための真新しい木製ステージ。
それが、死蟷螂の一撃によって、真っ二つに両断され崩れ落ちたのだ。
「ああっ! 私の、私のステージがぁぁッ!!」
リーザが絶叫する。
「よそ見をしないでください!」
キャルルがリーザを庇うように立ち塞がるが、飛び散ったステージの鋭い破片と真空波の余波が、彼女の肩口と太ももを無残に切り裂いた。
鮮血が舞い、キャルルが苦痛に顔を歪めて片膝をつく。
「村長!」
俺は全速力で二人のもとへ駆け寄った。
「スポンサー様……! 私のステージが、お賽銭箱が……っ!」
「命とどっちが大事だ馬鹿! 怪我はないか!」
俺は涙目で賽銭箱にすがりつくリーザの無事を確認し、すぐにキャルルの太ももの傷を覗き込んだ。
出血が酷い。このままでは動けず、的になるだけだ。
俺は空中のポータル画面を叩き、【救急箱】のアイコンをタップした。
『ピコン!』
【警告:短時間での過重な連続労働を検知しました】
【これ以上の福利厚生メニューの使用には、特別延長申請(36協定特別条項)の適用が必要です】
【適用しますか? YES / NO】
(……ふざけんな。労基の壁がこんなに高いとはな……!)
だが、躊躇している暇はない。俺は迷わず『YES』を叩きつけた。
「ガハッ……!!」
その瞬間、俺の胃袋を不可視の巨大な手で直接鷲掴みにされ、力任せに雑巾絞りにされたような激痛が走った。
視界がグニャリと歪み、全身の毛穴から冷や汗が噴き出す。
ディスプレイやスマートフォンの画面などに反射した自分の顔は見えないが、目の下のクマが一気に黒々と、泥のように濃く淀んだのが自分でも分かった。
「り、リクト君……!?」
キャルルが驚きの声を上げる。彼女の『絶対嘘発見器』の耳には、俺の心臓が限界を超えた早鐘を打ち、悲鳴を上げているのが痛いほど伝わっていた。
「……気に、しないでください。総務の救命講習を、舐めるな」
俺は歯を食いしばって激痛に耐えながら、空間から現れた【救急箱】を開いた。
止血用のターニケット(圧迫帯)でキャルルの太ももの上部を素早く縛り、滅菌ガーゼを傷口に押し当てて医療用テープで強固に固定する。
営業スマイルはとうに剥がれ落ちていたが、手つきだけは絶対にブレさせない。
(リクト君……心音が、ボロボロなのに……)
キャルルは、激痛に顔を歪ませながらも的確に手当てをしてくれる俺の姿を見て、不覚にも頬を染めた。こんな極限状態でも、彼の心からは「誰かを守らなければ」という圧倒的な優しさと責任感の音しか聞こえてこないのだ。
「……申し訳ありません、リクト君。私の力が足りないばかりに」
「謝罪は後です。今は現状の打開策を考えます」
広場には、遅れて駆けつけたマンミアが到着していた。
「させるかぁぁッ!!」
マンミアはパイルバンカー式シールド『アグニ』を構え、死蟷螂の大鎌の連撃を必死に受け止めている。
だが、火花を散らして防戦に徹するのが精一杯だ。ケンタウロスの突進力をもってしても、あの巨体と硬度を押し返すことはできていない。
(……ダメだ。このままじゃジリ貧になる)
あの玉鋼の外殻を打ち砕くには、キャルルの打撃でも、マンミアのパイルバンカーでも足りない。
圧倒的な、理不尽なまでの「物理火力」が必要だ。
俺の脳裏に、BCP策定会議でのニャングルの言葉が閃いた。
『――ルナミス帝国軍が使っているという、魔導誘導バズーカ。安く見積もっても金貨五十枚は下らん』
俺は立ち上がり、血の滲む太ももを押さえるキャルルと、賽銭箱を抱えるリーザに早口で告げた。
「村長、リーザを連れて第一避難所へ下がってください。ここはマンミアさんに任せます」
「リクト君は!? まさか、一人で戦うつもりじゃ……!」
「武器の調達に行ってきます」
俺は振り返り、マンミアに向かって大声で叫んだ。
「マンミアさん! あと三分! 三分だけ、そこで持ち堪えてください!」
「無茶を言うな! ……だが、やってみる!」
マンミアが盾を構え直し、死蟷螂の気を引くために突進を仕掛ける。
それを横目に、俺は胃の激痛を無視して、広場の端にある建物へと全速力で駆け出した。
向かった先は、堅牢な鉄のシャッターが下ろされた『ゴルドスマイル銀行・ポポロ村支店』だ。
バンバンバンッ!
俺は素手で冷たいシャッターを叩き、叫んだ。
「支店長! ニャングルさん! 開けてください、早川です!」
数秒の沈黙の後、シャッターの下部にある小さな通用口がガチャリと開き、キセルを咥えたニャングルが顔を出した。
「アホ! こんな非常時に何しにきとんねん! ワテは銀行の金庫を守る義務があるんやぞ!」
「商談です! 今すぐ、アレを出してください!」
俺は息を切らしながら、ニャングルの胸ぐらを掴まんばかりの勢いで詰め寄った。
「会議で言っていた『魔導誘導バズーカ』です! 在庫、ありますね!?」
ニャングルの猫耳がピンと逆立った。
「……あるにはあるが、冗談やろ!? あれは金貨五十枚やぞ! アンタの肉まんの売上の積立金、全部崩しても到底足りへん額や!」
確かに、俺の口座にある積立金は、金貨数枚分にしかならない。
だが、あの死蟷螂をここで食い止めなければ、村は終わりだ。銀行の金庫ごと木っ端微塵にされる。
「足りない分はローンで組みます! 利子でも何でもつけてください。俺のこれからの労働力すべてを担保にします! だから、今すぐ――!」
必死に訴える俺の言葉を遮るように、ニャングルは手元の魔導算盤をカチャァッ! と甲高い音を立てて弾いた。
彼はキセルを口から離し、フゥッと紫煙を吐き出すと、鋭い商人の目で俺を真っ直ぐに見据えた。
「……ローンなんぞ組ませへんよ」
ニャングルはニヤリと笑い、金庫の奥へと親指を向けた。
「あのバケモンに村を潰されたら、ウチの融資先が全滅や。……あんたの積立とワテのへそくり……合わせたら足りるで」
読んでいただきありがとうございます。
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