EP 12
「封印を解いた男」
深夜のポポロ山。苔生した古代遺跡の奥深くに、ガコン、という重い石の摩擦音が響いた。
「ヒヒッ……開いたぜ。これで俺も、あのスーツ野郎を見返せる最強の力を……!」
薄暗い遺跡の最奥で、サメジマ・アドベンチャー・サロンのプラチナ会員証を首から下げた男が、欲望にまみれた笑みを浮かべていた。
数日前、ポポロ村の広場で丸めた新聞紙を突きつけられ、無様に逃げ出したチンピラ冒険者だ。
彼の手には、サロンで高額で購入した『遺跡の封印解除の巻物(※ただの火薬を仕込んだだけの粗悪品)』が握られている。たまたま封印石の亀裂が限界を迎えていたタイミングで爆発させたため、奇跡的に岩壁が崩落したのだ。
土煙の向こうに、深い闇の空洞が口を開けていた。
男は「伝説の聖剣か、それとも従魔の卵か」と涎を垂らしながら、暗がりへと足を踏み出す。
だが、封印の奥から現れたのは、力でも宝でもなかった。
「……あ?」
カチ、カチ、カチ……。
無機質な金属音が響く。闇の中から姿を現したのは、体長四メートルを超える巨大なカマキリのような異形の怪物だった。
外殻は玉鋼のように鈍く光り、両腕にはノコギリ状の凶悪な大鎌が備わっている。
太古の神蟲魔大戦で世界を蹂躙した殺戮兵器の残党、『死蟷螂』である。
「な、なんだこりゃ……バケモノ……っ!」
男が腰の剣を抜こうとした、その時だった。
ヒュンッ、と風を切る音が一つ。
男は、自分の視界が急に斜めに傾いていくのを感じた。
(あれ……? なんで、地面が……)
それが、彼が最後に抱いた疑問だった。
死蟷螂の放った不可視の絶対切断鎌が、男の胴体を革鎧ごと斜めに両断していた。
悲鳴を上げる間すらない。上半身と下半身が泣き別れになって地面に崩れ落ちた男の肉体を、死蟷螂は無機質な複眼で見下ろした。
そして、鋭い牙が並ぶ口を大きく開き、バリバリと咀嚼を始める。
暗い遺跡の奥には、愚かな盗掘者が自ら招いた結末――肉と骨が砕かれる不気味な音だけが、虚しく響き渡っていた。
* * *
カンカンカンカンカンッ!!
ポポロ・コーポの自室で就寝の準備をしていた俺は、けたたましく鳴り響く半鐘の音で弾かれたように立ち上がった。
窓を開けて北の空を仰ぐと、ポポロ山の山腹で、巨大な木々が次々と薙ぎ倒されていくのが見えた。土煙が上がり、鳥の群れがパニックを起こして夜空へ飛び去っていく。
(……最悪の想定が、ドンピシャで当たったか)
何か途轍もなく巨大なものが、一直線に村へ向かって下山してきている。
直後、俺の目の前の空間が、警告を示すように赤く明滅した。
『ピコン!』
【就業時間外です】
【緊急事態を検知しました。福利厚生メニューを使用するには、残業申請が必要です】
【残業申請しますか? YES / NO】
空中に浮かぶ、冷たいシステムメッセージ。
これに『YES』を押せば、俺の肉体に社畜時代のあの呪いが一時的に戻ってくる。
首を締め付けるような肩こり、胃袋を雑巾絞りにされるような激痛、そして鏡を見なくても分かるほど濃く淀む目の下のクマ。
誰かに強制されたわけじゃない。ここで『NO』を押して布団を被っていれば、理不尽な身体的負荷を負うことはないのだ。
「…………」
俺は前職で、上司から叩きつけられた山積みの書類を思い出した。
『これ、明日までにやっといて』という無責任な言葉。誰の顔も浮かばない、ただ会社というシステムを回すためだけの虚無の残業。
だが、今回は違う。
脳裏に浮かぶのは、芋ジャージ姿でみかん箱の上で歌うリーザの姿。
徹夜で村のために書類と格闘していたキャルル。
そして、俺が自らの意志で提案し、結んだ『防災協定』の重み。
「……ふざけんな。俺の平穏な定時退社ライフを邪魔する奴は、絶対に許さない」
俺は、迷いなく『YES』のボタンをタップした。
ズンッ……!!
その瞬間、両肩に鉛を乗せられたような重圧がのしかかり、胃の奥がキリリと痛んだ。
(くっ……! これこれ、この嫌な感じ……!)
社畜の後遺症が全身を駆け巡る。だが、頭は逆に恐ろしいほど冷え切っていた。俺は【支給品】タブからメガホンと強力懐中電灯を取り出し、部屋を飛び出した。
広場に出ると、村人たちがパニックに陥って逃げ惑っていた。
「化け物だ! 山から化け物が来るぞぉ!」
「キャーッ! お父さん、どこ!?」
闇夜と恐怖が群集心理を最悪の方向へ煽っている。
俺は広場の中央にある木製ステージ(先日リキ兄貴と作ったアレだ)に飛び乗り、メガホンのスイッチを入れた。
「――村民の皆様! 落ち着いてください! 足を止めて、私の声を聞いてください!」
サイレン音を二秒だけ鳴らし、腹の底から極めて通るバリトンボイスを響かせる。
パニック時の誘導は、怒鳴ってはいけない。安心感と明確な指示を与えることが鉄則だ。
一瞬だけ広場が静まり返った隙を突き、俺は懐中電灯の光の束を、村の南側――事前に指定していた避難所の方向へと真っ直ぐに向けた。
「自警団は現在、北の防衛ラインにて迎撃態勢を整えています! 皆様は光の指す方向、第一避難所の地下シェルターへ向かってください! 荷物は最低限! 足元に注意し、絶対に走らないでください!」
俺の落ち着いた、だが絶対的な自信に満ちた声に、村人たちのパニックがスッと引いていくのが見えた。
「あ、あの肉まん屋の兄ちゃんだ!」
「行こう、急いで地下へ!」
濁流のようだった人の波が、整然とした一つの流れに変わり、地下シェルターの入り口へと吸い込まれていく。
俺が誘導を続けていると、武装を固めたマンミアとキャルルが駆けつけてきた。
「早川! 避難誘導感謝する!」
「リクト君、怪我はないですか!?」
「俺は大丈夫です。防衛ラインの構築は?」
「予定通りだ。奴が広場に到達する前に、森の出口で私が食い止める」
マンミアが巨大なパイルバンカー式シールド『アグニ』を構え、決意に満ちた顔で頷く。
「……どうか、ご武運を」
二人が北へと向かっていくのを見送りながら、俺は避難誘導の最終確認に移った。
広場から人影が完全に消えたことを確認し、俺はポータル画面から『点呼表(村民名簿)』を呼び出した。
事前にニャングルから共有を受けていたデータと、避難所入口に配置した班長からの報告をリアルタイムで照合していく。
チェックマークが次々と埋まっていき、生存者の確認が完了していく。
(……よし、全員避難完了だ。これで人的被害は――)
安堵の息を吐きかけた俺の視線が、名簿の最後の一行で凍りついた。
チェックボックスが、一つだけ空欄のままだった。
『リーザ・シーラン・リヴァイアサン』
「……嘘だろ」
嫌な汗が背中を伝う。
村長公邸の物置にいたはずの彼女が、地下シェルターへ来ていない。
逃げ遅れたのか? いや、あの悪運とサバイバル能力の塊である彼女に限って、ただ逃げ遅れるなどあり得ない。
だとすれば、自らの意志で、避難ルートから外れたということだ。
彼女にとって、命の危険を冒してでも守らなければならないもの。この村に置いてきた、一番大切なもの。
俺はゆっくりと顔を上げ、照明の落ちた真っ暗なステージを見つめた。
そこにあるはずのものが、消えている。
木製のステージの傍らに設置してあった、古びた掃除機型の『賽銭箱』が。
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