EP 11
「段取り八分」
定時退社という絶対の権利を守り抜くためには、完璧な事前準備が不可欠だ。
翌朝九時、俺は村長公邸の会議室に、ポポロ村の主要メンバーを緊急招集した。
壁に貼り付けたホワイトボード代わりの巨大な羊皮紙の前に立ち、俺は極めて真面目な顔で三人の顔を見渡した。
「本日はお忙しい中お集まりいただき、ありがとうございます。これより、ポポロ山遺跡の封印決壊を想定した、BCP(事業継続計画)策定会議を始めます」
長机に座っているのは、村長のキャルル、自警団リーダーのマンミア、そしてゴルドスマイル銀行支店長のニャングルだ。
「びーしーぴー? なんやそれ、美味いんか?」
キセルを咥えたニャングルが首を傾げる。
「美味くはありませんが、村の損害を最小限に抑えるためのマニュアルです。マンミアさん、自警団の防衛ラインはどのあたりに設定していますか」
水を向けられたマンミアは、テーブルの上の村の地図を指差した。
「遺跡から村へ下る一本道、ここを『第一防衛線』とする。突破された場合は、広場の手前で私が盾となり、村民の銃火器で十字砲火を浴びせるつもりだ」
「なるほど、防衛戦術としては妥当ですね。……では、その戦闘中、村の非戦闘員――老人や子供たちはどこへ避難し、誰が誘導し、最終的な点呼は誰が行うのですか?」
「えっ? そ、それは……各家庭で、安全な地下シェルターへ……」
マンミアが口ごもる。
(……やはりな。戦うことばかり考えて、肝心の『逃がす手順』がすっぽ抜けている)
俺は羊皮紙に素早く図解を書き込んでいった。
「パニック状態に陥った群衆は、必ず出口に殺到して二次災害を起こします。事前に『ハザードマップ(危険予測図)』を共有し、第一避難所、第二避難所を指定してください。そして、自警団の二割を戦闘ではなく『避難誘導』と『点呼』に割り当てます」
「自警団を戦線から外すのか!? ただでさえ火力がギリギリかもしれないのに!」
「戦線を維持できても、逃げ遅れた村民が巻き込まれては意味がありません。人命を最優先とし、全員の安否が確認できる『点呼表』を各班長に配布してください」
俺の淀みない説明に、会議室は水を打ったように静まり返った。
総務部時代、防災訓練のたびに何度も作り直し、叩き上げられてきた避難計画のノウハウ。それを異世界の農村に合わせた形で最適化していく。
沈黙を破ったのは、ニャングルだった。
「……恐ろしい男やで、アンタ。最悪の事態を想定し、その被害を極限まで圧縮する完璧なロジスティクスや。住民の命が失われれば、村の経済力はガタ落ちやからな。この計画書、金貨百枚で買いたいくらいやわ」
「お褒めいただき光栄ですが、売り物ではありません。……村長、これらを迅速に実行に移すため、一つ提案があります」
俺は真っ直ぐにキャルルを見つめた。
「万が一の事態が発生した際、私の判断で村の皆さんに救護物資や炊き出しを迅速に提供できるよう、村と私の間で『防災協定』を結んでいただけませんか?」
「防災、協定……?」
「はい。行政を通さずとも、非常時には私が独断で動けるようにするための事前契約です。費用はいただきません。ただ、皆さんが無事に明日を迎えられるようにしたいんです」
キャルルの純白の兎耳が、ピンと伸びて微かに震えた。
彼女の『絶対嘘発見器』の超感覚が、俺の胸の奥から鳴り響く心音を拾い上げている。
そこに打算や、名声への欲求、見返りを求める浅ましい音は一切ない。ただ純粋な、「自分の手が届く範囲の人間を、理不尽から守り抜きたい」という、重く、温かい責任感の響きだけがあった。
(……トゥンクッ!)
キャルルの顔が、耳の先まで一瞬で真っ赤に染まった。
「も、もちろん結びます! 結ばせていただきますっ! 私、キャルル・ムーンハートは、村を代表してリクト君との防災協定に同意します!」
彼女が勢いよく立ち上がって宣言した瞬間、俺の頭の中に澄んだ電子音が鳴り響いた。
『ピコン』
【契約者が1名追加されました】
【対象:キャルル・ムーンハート(ポポロ村)】
(よし。これで、村の非常時でも【福利厚生】のメニューを大義名分を持って使える)
俺は内心でガッツポーズをした。
「さて、避難計画はこれで良しとして。次は防衛火力の問題ですね。マンミアさん、相手が災害指定クラスだった場合、村の魔導戦車や機関砲で足止めは可能ですか?」
「相手の規模によるが……硬い外殻を持つ魔獣だった場合、既存の火力では決定打に欠ける可能性がある」
俺はニャングルの方へ向き直った。
「支店長。ゴルド商会のツテで、個人携行できる最高火力の兵器を取り寄せることは可能ですか。例えば、ルナミス帝国軍が使っているという『魔導誘導バズーカ』のような」
「……取り寄せは可能や。せやけど、アレは軍の最新鋭やで。一発撃ち切りの使い捨てやのに、価格は安く見積もっても『金貨五十枚(約五百万円)』は下らん。今のリクトはんの肉まん屋の売上じゃ、到底手が出ん高嶺の花やで」
金貨五十枚。
現在の俺の全財産(売上と残業代の貯金)をすべて掻き集めても、到底届かない金額だ。
俺は軽く舌打ちをして、腕を組んだ。
「……分かりました。購入は保留します。自警団の火力で凌げることを祈るしかありませんね。段取り八分、事前準備は可能な限りやりました。あとは野となれ山となれ、です」
「ドライやなぁ。まあ、商人はそのくらいの割り切りが大事やで」
ニャングルが笑い、会議はお開きとなった。
できる限りの手は打った。だが、どこか胸の奥に一抹の不安が残る。
それは前職で「想定外のトラブル」に何度も直面してきた、総務の直感だった。
* * *
その日の夜。
俺の不安を嘲笑うかのように、事態は最悪の方向へと転がり始めていた。
ポポロ村から遠く離れた、暗闇に包まれたポポロ山の遺跡。
幾重にも施された古代の封印石の表面に、メキッ……と不吉な亀裂が走る。
そして、その亀裂の奥から、ギリギリ……という硬質な音とともに、得体の知れない『何か』が内側から岩を削る音が、夜の静寂に響き渡った。
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