30.生
二人は、少しの間立ち尽くした。
教室と廊下、二人の間をドアが区切っている。まるで、境界線のように。
先に動いたのは、響だった。
ゆっくり、"足音"を鳴らしながら、千鶴に近づく。千鶴は、俯いたまま動かない。
「千鶴」
響が千鶴の名前を呼ぶが、千鶴は一切反応しなかった。
響は、仕方ないというように肩を竦めてから、千鶴の手を引っ張り、教室の中へと引き込んだ。
「え、うわっ!」
いきなり引っ張られたことに驚いた千鶴は、転びそうになったが響に支えられ、転ぶことはなかった。千鶴は響に文句を言おうと口を開いたが、言葉になることはなかった。
千鶴のそんな様子を気にすることなく、響は千鶴の手を引っ張る。そして、千鶴を椅子に座らせる。
響も向かいの椅子に座り、千鶴を見つめる。
「どうしてわかったの?」
その声は、責めるような口調ではなかった。ただ、単純な疑問。
「結構、生者らしく振舞ってたと思うけど」
その言葉に、千鶴が小さく頷いた。だが、響にはそれが見えなかった。
「……凪ちゃんが、いつも誰と話してるの? って、聞いてきて」
「それでわかったの?」
「ううん、違和感は、あった。ずっと、初めて会った時から……」
千鶴の言葉に、響は見えない目を瞬かせる。そして、小さな声で「そっか」と呟いた。
響は理解したのだ。初めから、生者ではないと見抜かれていたことを。だが、その上で千鶴が気づかないふりをしていたことも。
「僕より先に、僕が生きてないってわかるの、凄いね。やっぱり祓い屋だから?」
不思議そうに聞く響の言葉に、千鶴は戸惑ったように顔を上げた。先程までの悲しそうな表情とは一転、困惑した顔をしていた。
「僕より先に……?」
「そう、僕より先に」
「え、待って待って、何言ってるの?」
千鶴は困惑した。
響の言っている意味がわからなかったから。
「あれ? 伝わらない?」
「響くん、説明を放棄するの良くない」
「放棄してるつもりは無いんだけど……」
そう言葉を一度区切る。どう説明しようか迷っているような雰囲気だった。
そして、微かに笑いながら話を再開した。
「悲しいことに、僕もつい最近、自分が死んでいることを理解した」
「……どういうこと?」
「君……千鶴と会った時までは、僕も生きてるって思ってた。みんなと、千鶴と同じように。
でも、死者が祓われるところを見てから、千鶴と過ごすようになってから、なんとなく、僕は千鶴たちとは違うのだと知った」
響の声は、どこか寂しそうで、悲しそうな声だった。千鶴は、そんな響の様子をただ見ていた。
「色々、試してみた。どこまで行けるか、とか。何ならできるか、とか。ねぇ、僕みたいな死者を地縛霊って言うんでしょ?
学校から、離れられなかった。もっと言えば、学校を中心に半径1kmくらい? なら外には行けたけど」
千鶴は、何も言えなかった。肯定すれば、認めるようなものだから。
地縛霊とは、亡くなった場所や建物から離れられず、その場に留まり続ける霊のこと。強い未練や恨みがある者が多いとされていた。
「千鶴、なにか話して。黙ってても何も変わらないよ」
響の言葉で、千鶴の顔が歪んだ。
わかっているのだろう。二人とも、わかっている。何も変わらないことは。変えられないことは。
「……響くんは、」
「うん」
「響くんは、なにか未練や恨みがある、の?」
とても小さな声だった。今にも消えてしまいそうなほど、小さな声で、千鶴は問いかける。
響は、小さく首を傾げ、人差し指を口に当て考え始めた。
「未練、恨み……どうだろう? あるのかな?」
「質問に質問で返さないでよ……」
呆れたような声。唇を少しだけ尖らせて、拗ねたような顔をしてみる。響には見ることはできなかった。でも、何かを感じ取ったのか、少しだけ笑っていた。
響が窓の方を見る。
二人が座っているのは、窓側の席。響からすれば右側に、千鶴からすれば左側に窓があった。
「……でも、学校生活は送りたかった気がする」
ふわりと、風が吹いた。窓は開いていないのに、千鶴の髪を撫でるように風が通り過ぎていった。
そのせいで、響の表情は見ることができなかった。




