17話 枝分かれした道
3月の中頃、鳳雅は4限目の授業を終えて職員室に戻る。
鳳雅は自分の席に座ると、ため息を吐いてデスクの上のスマホを手にした。
昼休憩と帰宅前、最低でもその時間帯に通知を確認しなければ、母親から大量の通知が溜まってしまう。
特に用があるわけでもない。
ただ母親は、自身の感情を自制出来ず、鳳雅に強く依存している。
けれど鳳雅は、その依存に反発せず、受け入れるよう努めていた。
自分に愛情を向けてくれる優しい母親。
他人からどう言われようと、鳳雅にとってその認識は変わらないからだ。
(寂しい。いつ帰ってくるのか。夕飯は何がいいか……どうせ今日もそんなメッセージばかりだろうな)
大方の予想をして画面を見ると、まず目についたのは不在着信だった。
「電話?」
通知は宰斗の病院からで、15分ほど前のもの。
鳳雅はしばらく考え、廊下に出て電話をかけ直す。
受付から内線を繋がれ待っていると、電話口で返事をしたのは担当医の藍だった。
「……お電話代わりました。担当のほずみです」
予想してなかった相手に、鳳雅は言葉に詰まり静止してしまう。
「あ……あの、先ほど連絡があったようで」
「お仕事中に申し訳ありません。今、少しお時間よろしいですか?」
「はい、休憩時間なので」
「良かったです。実は、宰斗さんの退院に向けて動いていこうと思うのですが、そのご報告に」
「えっ、もうですか? この前一般病棟に移ると言っていたのに」
鳳雅は驚き声を上げる。
面会禁止を言い渡されてから本人を見ていないせいか、退院の喜びよりも動揺の方が大きかった。
「えぇ、移動してから二週間足らずですが……食事も摂れて、気持ちも落ち着いているようなので。すぐにという訳じゃありませんが、早ければ一週間を目処にと、こちらとしては考えています」
「そう……なんですね。すみません、突然のことで驚いてしまって」
「いえ、こちらもなかなか連絡が出来ていませんでしたので。そこで提案なのですが、宰斗さんとお話しされませんか?」
ドクリと心臓が跳ねた。
以前なら特に思うことはなかったはず。弟と話すことに意識することはないし、兄弟としていつも通り接すればいい。
それが今は、以前の藍との面談で打ち壊された。
宰斗が自分に怯えている理由。
家族に自分と比較され続けたことで、歪んでしまった弟の心を知ったから。
今、その弟とどんな顔で話せばいいのか。
鳳雅はわからなくなっていた。
しばらく言葉が出ずにいると、藍は軽く息をついて話を続ける。
「……鳳雅さん、面会には僕も立ち会います。今まで見ていたレッテルを取り払って、宰斗くんの本当の姿を見てみませんか?」
藍の言葉に、鳳雅はふと前を見つめる。
本当の弟の姿。それを聞いて、何故か幼い日の笑顔が思い浮かんだ。
気にも止めずに忘れていた、藍と話すことで甦った遠い記憶。
「明後日……終業式なので、その後で良ければ」
辿々しく答えると、電話の向こう藍のため息が漏れる。
続けて、小さな声で「よかった」とも聞こえた気がした。
「こちらも大丈夫です。どうぞよろしくお願いします」
「……はい、それでは」
通話を終え、鳳雅は壁を背に寄りかかり息をつく。
母親のメッセージを作業的にスクロールしながら、鳳雅は苦悶の表情を浮かべていた。
「頭を切り替えないと……仕事中だぞ」
言い聞かせるように呟き、鳳雅は疲れた顔で職員室に戻っていった。
◇
それから6限目が終わり、鳳雅はクラスのHRで連絡事項を伝える。
「3学期の授業も明日が最後となりますが、皆さん気を抜かないようにしてくださいね」
生徒たちは挨拶をすると、それぞれ親しい友人のもとに集い帰っていく。
そんな中、席に残ったままの春貴は、不安げに鳳雅を見つめていた。
「……奥村さん、お母さんはいつ頃来られそうかな?」
鳳雅は春貴のそばに行き、小さな声で話す。
「たぶん、もうすぐ着くはずです」
「そうですか。じゃあ、先に面談室で待っていましょうか」
「……はい」
微笑む鳳雅をじっと見つめ、春貴は消えそうな声で返事をした。
春貴は母親のために頑張りたいと、無理をしてこの学校の特進クラスに入った。
もちろんその努力は褒められるべきことだが、入学して一年で、彼は自分の限界に気付いた。
そして鳳雅に相談したことをきっかけに、今回クラス変更を視野に母親と面談をすることになった。
正直、鳳雅はまだクラス変更には迷いがある。
確かに特進クラスの中では下の方だが、彼の成績は少しづつ上がっている。
それは、努力は必ず実るという鳳雅の考えの、裏付けにもなっているからだ。
「お母さんは、お仕事?」
「はい、スーパーのパートで……今日は終わってそのまま来るって」
「すみません。お忙しいのに、呼び出してしまって」
「いえ……俺のせい、なので」
「あぁ、違いますよ! そういう意味じゃなくて」
「……わかってます。ごめんなさい」
二人の会話はどこかよそよそしく、何故かうまく続かない。
鳳雅が苦笑いを浮かべていると、面会室のドアがノックされ、春貴の母親が姿を見せた。
母親は急いで来たのか息を切らし、鳳雅の顔を見ると丁寧に頭を下げる。
「先生、いつも春貴がお世話になっております」
鳳雅は立ち上がり、母親を春貴の隣に座らせる。
彼女はまだ何の話か知らない様子で、心配そうな瞳を向けていた。
「お忙しい中ありがとうございます。今日は、奥村さんのクラス変更のことでご相談がありまして」
「クラスの変更ですか? 確か、特進クラスは3年まで同じじゃ……」
母親はキョトンとした顔で話し、その隣で春貴は気まずそうに目を逸らしていた。
事情を話していない春貴に内心ため息をつきながら、鳳雅は母親にことの経緯を説明する。
「実は奥村さんから、特進の授業についていけないと相談を受けまして。2年から普通クラスに移りたいと希望が」
「え!? そうなんですか……春貴、そんなに大変だったの? 勉強、難しいけど楽しいって言ってたのに」
話の途中で母親は声を上げ、春貴の顔を覗き込む。
春貴は俯いたまま、しばらくして静かに頷いた。
「私が見てきた限り、奥村さんはいつも真面目に授業を受けていました。その結果として、成績は僅かですが上がっています。ですが奥村さんは今、その努力を苦痛に感じている。普通クラスに移ればそれも軽減されると考えて、私の方に相談をしてくれたんです」
「そうなんですね……私、春貴が進学校に受かって浮かれて、悩んでいることにも気付かなかった」
母親の暗い声に、春貴はハッとして顔を上げる。
「べ、別に、そんな大した悩みじゃないから」
「大したことでしょ!? どうしてもっと早く相談しなかったの!」
大人しかった母親は突然声を荒げ、春貴はその声にビクッと肩を揺らし固まった。
「お、お母さん、落ち着いてください。奥村さんは、お母さんのために少し無理をしてしまっただけで」
母親をなだめるはずの言葉だったが、それがきっかけで二人は鳳雅をよそに揉め始めてしまう。
「無理をして、私を喜ばすためにって言うの? そんなことをされても、母さんは全然嬉しくないよ!」
「……だって、母さんが言ったんじゃないか! 出来る限り頑張りなさいって……特進だって、母さんが勧めてくれたから」
「はぁ……あのねぇ」
母親は頭を抱えて深いため息を吐いた。
「母さんは、春貴の将来の夢の為にこの学校を勧めたの。進路の先生に言われたくらいで、諦めてほしくなかったのよ」
「そんな……」
「春貴は凄く努力して、特進クラスにも入って……どんどん自分の夢に近づいてるって思って応援してた。でも、それがあんたのプレッシャーになってたのよね」
呆然とする春貴の背中を、母親はゆっくりと擦りながら優しく語る。
春貴の目には涙が滲み、小刻みに鼻をすする音も聞こえた。
二人の姿を見ていた鳳雅は、目の前の光景と自分の母親を無意識に重ね合わせる。
『鳳雅は本当にいい子よね! 勉強はもちろん、運動もなんでもすぐ出来ちゃう。宰斗とは大違いね』
『お母さん、宰斗も頑張ってるんだよ?』
『頑張るだけじゃダメなの。結果が出ないと意味がないわ……やっぱり、お父さんに似てるわね』
『……どういう意味?』
(奥村さんの母親がもし、僕の母だったら、無理をしてでも特進クラスを選ぶだろう。だけど、これがきっと母親の愛情なのだろう……通常、あるべき親子の関係性)
鳳雅は寂しげな笑顔を浮かべ、春貴たち親子を見守っていた。
そして、思い出した母親との会話の意味に、小骨がつっかえたような引っ掛かりを覚えた。
(父さんに似ている……あの言葉は、何だったんだろう)
鳳雅が物思いにふけっていると、春貴の母親は改まって頭を下げる。
「先生すみません! 私からも、普通クラスの変更をお願いします!」
「お母さん……奥村さんも、それで構いませんか?」
春貴は静かに頷き、ゆっくりと顔を上げた。
「ごめん、先生……俺、勝手に勘違いして」
「周りが見えなくなるほど、奥村さんは一生懸命だったんですよ。クラスは変わっても、いつでも質問は受け付けますからね」
「……はい、ありがとう先生」
穏やかに微笑む鳳雅に、春貴は初めてホッとした笑顔を見せた。
自分の考えとは別の方向に、春貴はこれから進んでいく。
少し前の自分なら、素直に納得できなかったかもしれない。
しかし今の鳳雅には、彼が羨ましくも思えていた。
(宰斗も……こんな風になれる道が、あったかもしれないのに)
◇
「おせぇよ……来ないのかと思った」
「僕、一応お医者さんなんだけど。これでも必死に仕事終わらせて、時間作ってるんだよ?」
夕日の光が差す病室。藍はベッドに座る宰斗に近づき、腰を屈めて口づけをする。
まるで習慣のように自然な口づけを、宰斗は当たり前に受け入れていた。
(もう何度こうしたんだろう……俺としては当然嬉しいんだけど、まだ彼の心はよくわからない。あまりにも素直すぎるというか……これが宰斗くんの素、なのだろうか)
考えながら舌を絡める藍を、宰斗は目を細めて見つめる。
しばらくして唇が離れると、ムッとした顔で藍を睨んでいた。
「何考えてる」
「え、別に何も……」
見透かすような瞳に耐えられず、藍は無意識に視線を逸らす。
「あっそ。まぁいいけど……なぁ、突っ立ってないで座れば?」
「……うん、じゃあ」
宰斗は自分の隣をポンと叩いて藍を誘う。
藍がそこに腰を下ろすと、宰斗は寄り添うように彼の肩に頭を預けた。
予想外の仕草に目を丸くする藍だが、すぐにふわりと嬉しそうな笑みがこぼれる。
「ふ……何で今日はそんなに可愛いことするの?」
「ただ眠いだけだ。特に意味なんてない」
「そうなの? じゃあさっきのキスも?」
「ごちゃごちゃうるさい……いいから黙ってここにいろ」
「はいはい」
藍はあきれたように笑い、宰斗の腰に腕を回した。
「こんな時間が、ずっと続いたらいいのにね」
「……ほずみ?」
藍の呟きがやけに寂しそうに感じて、宰斗は彼の横顔を見つめる。
いつもと変わらない微笑み。
その笑顔に、宰斗はどこか偽りの感情を感じていた。




