13話 一番近くで
宰斗の病室を出て、藍は俯き立ち竦む。
何気なく眼鏡を外し握りしめると、短いため息が漏れた。
「……踏み込み過ぎたか。けどあの様子、やはりお兄さんの話の通りか」
先日の鳳雅の話では、宰斗は高校時代に同級生の男子生徒と交際していた。
そして、当時その少年を深く傷つけたという。
それは身体的になのか、それとも心理的にかはわからない。
宰斗の罪は、おそらく事実。
でなければ、優秀だった彼が大学を退学に追い込まれるとは考えにくい。
(宰斗くんの反応を見る限り、彼が傷つけたという少年は「あきな」くんで間違いないだろう。あの動揺……お兄さんの時と同じくらい乱れていた。一体、彼は何をして)
考えながら一歩踏み出し、藍は白衣のポケットに手をつっこみ廊下を歩く。
休憩スペースには、食い入るようにテレビを見つめる人、ひたすらに雑誌をめくり続ける人、様々な患者が午後の時間を過ごしている。
一見異様に見えることも、日常を保つための自己防衛。
それぞれが心の平穏を取り戻すため、懸命に日々を過ごしている。
そんなフロアの様子を眺めながら、藍はふとあることに気付いた。
(過去を聞いた時、彼は苦しんでいた……あれは、後悔? 昔の自分の行いを悔いて、罪悪感を感じているとしたら……それが、宰斗くんの本当の心)
藍は立ち止まり、顎に手を当て考える。
「だけど、傷つけた事実はなくならない……だからあんなにも、苦しんでいる」
呟いた後、藍はハッと目を見開いた。
そして自嘲するように、薄い笑みを浮かべる。
「駄目だな……被害者のいるのに、どうしても彼に肩入れしてしまう」
◇
翌日の午後、宰斗は初めてカウンセリングルームを訪れた。
しばらくドアの前で立ち尽くし、宰斗は軽くため息を吐く。
(何を話せっていうんだよ……はぁ、面倒くさい)
気が進まないながらも、宰斗はゆっくりと腕を持ち上げドアをノックする。
すると中から、落ち着いた女性の声が聞こえてくる。
「どうぞ、入ってください」
宰斗は促されるまま、慎重にドアを開ける。
中にいたのは、年配の女性カウンセラーだった。
「いらっしゃい。そこに掛けて寛いで下さい」
ひとり掛けのソファーを指され、宰斗はゆっくりとそこに腰かける。
部屋は適度に狭く、ちょうど病室と同じくらい。
女性が座るデスク、そのそばには観葉植物の鉢植えが置かれている。
デスクの後ろには光の差し込む小さな窓、壁には所々に装飾が施され、自然と緊張が和らぐような空間だった。
宰斗は静かに、ゆっくりと部屋を見渡していく。
「初めまして。カウンセラーの柳木です。来栖さん、今日はよろしくお願いします」
「……はい」
椅子から立ち上がり、柳木は柔らかい笑顔で丁寧に頭を下げた。
宰斗も無表情のまま、彼女にならい軽く頭を下げる。
(笑顔……どいつもこいつも、ヘラヘラ笑いやがる)
宰斗は黙ったまま、心の中で悪態をつく。
その頭の中には、何故か藍の飄々とした笑顔が浮かんでいた。
「じゃあ早速、初回のカウンセリングを始めようかしらね」
表情を変えニヤリと微笑む柳木に、宰斗はゴクリと息を飲む。
そして、カウンセリング開始から30分後。
宰斗はソファーの上で項垂れ青い顔をしていた。
「それでね、うちのお義母さんが酷いのよ! 言うことなすこと毎日ころころ変わって。味付けが濃すぎる、私を早死にさせる気か! なんて騒ぐもんだから、減塩にしたら今度は味が薄過ぎて食えたもんじゃないって怒ってね? ほんと毎日毎日言い合いばっかり。主人は我関せずで何も言わないし、お義父さんは去年に亡くなってるし、邪険にするのも可哀想だから言うこと聞いてるんだけどね。もう、ストレスがたまって仕方ないのよ。来栖くん、おばさんの気持ちわかってくれる?」
デスクに肘をついて、柳木のマシンガントークは止まらない。
宰斗はひくひくと眉を動かし、黙ったまま耐えるように話を聞いていた。
「……はぁ」
(なんだよこれ……一体何の時間なんだよ。これ俺のカウンセリングだよな? 今のところコイツのカウンセリングじゃねぇかよ。いや、別に話すことは無いんだが、何でババアの愚痴を30分も聞き続けなきゃなんねぇんだ!)
冷静を装ってはいるが、宰斗の心は穏やかではなかった。
夫との馴れ初めから始まり、娘の進路の話、それに加え姑の愚痴。
初対面の者にする話としても、かなり濃いめの内容だ。
ふるふると震える宰斗の膝に気付き、柳木は楽しそうに微笑む。
「やだ、もうこんな時間? 来栖くんお疲れさま。今日のところはこれで終わりにしましょうか」
「え?」
「初回だし、あんまり長くなると疲れちゃうからね」
正直言いたいことは山ほどあるが、宰斗はそれをぐっと飲み込み立ち上がった。
そのままドアへと向かう宰斗に、柳木は笑顔で声を掛ける。
「ありがとうね。私の愚痴聞いてくれて」
宰斗は足を止め、前を向いたままボソリと呟く。
「……あなたが勝手に話したことでしょ」
「ふふ、そうね。でも、まずは私がどんな人間か、あなたに知ってほしかったのよ。ただでさえよく知らない人間に、自分のデリケートな部分なんて見せたくないじゃない? だから少しでも、話してみるきっかけになれば、ってね」
宰斗が後ろを振り向くと、柳木は穏やかに笑っていた。
(……やっぱり、ここは変わりものばかりか)
心の中で呟き、宰斗はペコリと頭を下げて部屋を出た。
パタリと閉まるドアを見つめ、柳木は天井を見上げ息を吐く。
「不思議な子……これから、どんな話をしてくれるかしら」
デスクに広げたカルテに目を落とし、柳木はニヤリと口元だけで笑う。
——兄に関すること、高校時代の話は急変の可能性あり。注意を払い会話を進めて下さい。
特記事項には、藍の文字でそう書かれていた。
「ほずみ先生のお気に入りか。そういえば凄い隈だったけど、今日は疲れて眠れるかもね。ふふふ」
同じ日。
藍は午後の回診を終えた後、その足で柳木のもとを訪れた。
「失礼します」
「……あら先生! どうしたんですか、そんな慌てて」
デスクでパソコン作業をしていた柳木は、老眼鏡を外し声を掛ける。
「いやぁ、別に……あの、彼はどんな感じでしたか?」
「彼?」
「あ、来栖くんです。今日が初めてのカウンセリングでしたが」
藍はソファーに腰かけ、苦笑いで話をする。
柳木は「あぁ」と手を打ち、思い出し笑いを浮かべ話し始めた。
「来栖くんね! いい子だったわよ。黙って私の愚痴を聞いてくれて」
柳木の満面の笑みを見て、藍はがっくりと頭を下げる。
「はぁ、やっぱり……そうだろうと思いました」
「あら、何ですかその言い方。だって、これは私のやり方ですもの。簡単には変えられないわ」
「相手を知る前に、まずは自分を知ってもらう、でしょ? まぁ、理屈はわかりますけど。カウンセリングの度に自分の事を話して、面倒じゃないんですか? それに、個人情報だだ漏れですし」
藍が呆れて言い返すと、柳木は右から左というように背伸びをする。
「いいでしょ別に。自己紹介(愚痴)は初回だけだし、ちゃんとプライバシーには配慮してるわよ?」
「そういう問題ですかね」
深いため息をつく藍に、柳木はにっこりと笑みを浮かべ話を振る。
「先生は……やけに気にされてるんですね、来栖くんのこと」
「は? いや……まぁ、若い患者さんですし、これからのことも色々と気がかりで」
「ふぅん、本当にそれだけかしら?」
柳木は意味深な相槌を打ち、試すように笑いかける。
彼女の視線に耐えきれず、藍はふいっと視線を逸らした。
「そうですよ……それ以外、何があるって言うんです?」
「ふふ、ごめん。少しからかいすぎたわね。ところで……この特記事項だけど」
柳木は突然真剣な声に変わり、宰斗のカルテを手にする。
「急変の可能性って言うのは、どんなものなのかしら」
「あぁ、それは……彼の過去と家庭環境に問題がありまして。話を聞こうとしたら、パニック発作の症状が出たんですよ」
「……なるほど」
藍の話を聞き、柳木は神妙な表情で考え込んだ。
「なので、しばらくはその話題を避けて」
「わかりました。でも、彼が自分から話す場合は、問題はないですよね?」
「えっ……」
柳木の提案に、藍は言葉に詰まり目を見開く。
一体何に動揺しているのか、自分でも理解できなかった。
ただ、心にはモヤモヤと重いものが渦巻いている。
そんな感覚だけがあった。
呆然としていると、柳木が小さく笑い声をあげる。
「先生、そんな怖い顔しないでくださいよ」
「……こ、怖い?」
藍はハッと我に返り、ペタペタと自分の頬を触る。
「安心してください。先生の指示通りにしますから」
「すみません……よろしくお願いします」
藍は複雑な表情のまま、深く頭を下げた。
一番の望みは、宰斗の症状が改善し、元も生活に戻ること。
その為には医師である自分だけでなく、看護師や臨床心理士など、様々な立場からのアプローチは必要。
しかし、その事実とは裏腹に、そのきっかけは全て自分でありたい。
宰斗が変わるきっかけは自分であり、自分が一番、彼の近くで寄り添いたい。
そんな、主治医にあるまじき気持ちが、藍の心に渦巻いていた。




