12話 追求
「施錠が無いだけで、個室なので以前とあまり変わらないですね」
病室移動の日。
看護師は独り言のような世間話をしながら、台車に乗せた荷物をタンス中にしまっていく。
荷物と言っても、数えるほどの衣服しかない。
宰斗はぼんやりと立ち尽くしたまま、無言でそれを見守っていた。
「これでよし……午後からは先生がこれからの説明をしてくれるので、それまでゆっくりしててくださいね。あ、気が向いたら、デイルームとか病棟を見ていただいても大丈夫ですよ。テレビや雑誌なんかも置いてありますし、自販機もありますから」
看護師は人差し指を立て、笑顔で説明する。
宰斗は返事をすることなく、ただ浅く会釈を返した。
その様子に看護師は微笑み、病室を後にする。
一人になった病室で、宰斗は小さな窓に歩み寄る。
全開には出来ない仕様の小窓だが、以前の病室には無かったものだ。
明るく差し込む日差しに目を細め、宰斗はガラスに手を当てる。
すると冷えた指先から、ほんのりとした熱が伝わってくる。
「……あったかい」
ポツリと呟き、宰斗はふと景色を見下ろす。
アスファルトの道路に信号待ちの車、まだ葉の付いていない街路樹、歩道を歩く人々。
どれも見馴れた何気ない風景。
宰斗は、それが何故か恐ろしく感じた。
自分がこのまま切り離されて、消えてしまいそうな感覚。
かつて過ごしていた場所が、とても遠く、繋がりのない世界に見えた。
もう二度と戻れない、切り離された世界。
(戻れない……戻りたい? 消えてしまいたいと、思っていたのに)
宰斗は恐怖を振り払うように、ベッドに逃げ込み布団を被る。
眠れやしない。ただ暗く、狭い世界に閉じ籠るために。
◇
外来終わり。
喫煙所から出た藍は、廊下を歩く酒井を呼び止める。
「酒井くん、ちょっといい?」
「あ、はい」
「今日、午後の回診代わってくれない?」
「え……まぁ大丈夫ですけど。何か用事が?」
不思議そうな顔をする酒井に、藍は苦笑いを浮かべる。
「今日、来栖くんが一般病棟に移ったんだけど。それでちょっと、これからの治療のことで話をね」
「あ、そういえば今日でしたね。でも良かったですよ、すっかり落ち着いたみたいで。股間を蹴られた頃が懐かしいなぁ」
「あっはは、そだね。だけど、まだ不安定な部分はあるよ」
藍の言葉に、酒井は頷きながら考え込む。
「だけど、治療の説明だけなら数分で終わるんじゃないですか?」
酒井に聞かれ、藍は笑顔をひくつかせた。
「……どんな様子か見ておきたいしね。ほら、彼若いから、今後のためにも治療方針をしっかり説明しておきたいんだ」
「なるほど」
酒井はキョトンとした顔で、とりあえずの返事をした。
「じゃあ、回診の方よろしくね」
呆けた様子の酒井を残し、藍は逃げるようにその場を立ち去った。
休憩後、藍は宰斗の病室へ向かう。
(確か、612号室に……あった)
ネームプレートを見て、藍はドアをノックする。
「失礼するよー」
軽い口調と共にドアを開け、部屋の中を見渡す。
以前と変わらない殺風景な部屋に、ぽっこりと膨らんだベッドの布団。
藍は困ったような笑顔でベッドに近づく。
「宰斗くん? 起きてるんでしょ?」
「……何だ」
数秒の間を置いて、宰斗は布団に潜ったまま返事をした。
それだけで藍は嬉しそうに目を細め、そっとベッドに腰を下ろす。
「説明に来たんだよ。看護師さんから聞かなかった?」
「聞いてる」
小さく答え、宰斗はようやくもそっと体を起こす。
「うん、素直でよろしい」
藍は優しく笑い、宰斗の髪を撫でる。
「……やめろよ」
呆れた声を漏らし、宰斗はその手を払った。
藍はキョトンとした顔で彼を見つめ、たいして気にも止めずに話を始める。
「よし、じゃあ早速説明だけど……先にこれを渡しとくよ。カウンセリングなんかの予定表と、作業療法の案内。作業は強制じゃないけど、日常に戻るための練習って感じかな。気分転換にも良いし、生活のリズムも出来てくるから。気軽にやってみるのもいいよ?」
渡された冊子を手に取り、宰斗は無表情でパラパラと捲る。
藍はその横顔をじっと見つめ、微かな違和感を感じた。
「……隈、今日はちょっと濃いね。眠れなかった?」
自然に目元に触れる藍の指先に、宰斗はピクリと反応する。
「だから、触るなって言ってるだろ」
不機嫌な声に、藍はフッと小さく微笑む。
「じゃあさっきみたいに振り払ったら?」
からかうような口ぶりに、宰斗はじっと藍を睨み付けた。
「怖い顔……いつか、君の笑った顔も見れるのかな?」
そう言って微笑みかける藍に、宰斗は困惑して目を逸らす。
「説明が終わったなら帰れよ。暇じゃねぇんだろ?」
「まぁそう邪険にしないでよ……それに少し、君に聞きたいことがあるんだ。いいかな?」
藍の改まった態度に、宰斗は小さくため息をついて彼を見据える。
「君の……ここに来る前の事を知りたいんだ」
宰斗は驚いたように目を見開く。
返事のない宰斗に、藍は真面目な顔で話を続けた。
「実は先週、君のお兄さんと話をしたんだよ」
その言葉を聞いた瞬間、宰斗の体は大きく跳ねる。
くしゃりと握られた冊子を見つめ、籃はそっと彼の手を包むように握った。
「大丈夫……でも、少し我慢して聞いてほしい」
しばらく手を握っていると、宰斗の力は徐々に抜けていった。
その様子を見て、藍はまた話を続ける。
「宰斗くんの、高校時代の同級生について教えてほしいんだ」
「……えっ」
「その子との関係……君がしたことについて、詳しく知りたい」
怯えた目を向ける宰斗に、藍は冷静な口調で詰め寄る。
ガッチリと握られた手と、真っ直ぐな瞳。
逃げ場などないと、宰斗は混乱の中そう思い知らされた。
「お、俺は……あいつに」
震えながら声を絞り出すと、息の仕方すらわからなくなりそうだった。
(あいつを……暁那を、貶めて……めちゃくちゃにして、苦しめた)
——『そうだよ。教えてやりなよ。宰斗が何をしてきたか。ふふ……本当のことを知ったら、きっと軽蔑されるだろうけど』
頭の中で嘲笑う暁那の幻影に、宰斗は怯えた目で頭を抱えた。
荒い呼吸を繰り返す宰斗を、藍は変わらず真っ直ぐに見つめる。
「……あきな、くん?」
宰斗はその言葉に大きく反応し、恐怖に怯えた表情でゆっくりと藍を見上げた。
「どう、して」
微かに漏れた声に、藍はふと目を伏せる。
「以前、君がうわ言で呟いてた。それがどうしても引っ掛かって……やっぱり、その子なんだね」
そう言い終わった瞬間、ひゅっと大きく息を吸い込む音が聞こえた。
「……宰斗くん!」
浅い息を繰り返し、宰斗は胸を押さえて屈み込む。
藍は咄嗟に宰斗をベッドに寝かせ、彼の唇を迷いなく塞いだ。
「ん……うぅ」
くぐもった息が口内に響き、しばらくして胸の動きはゆっくりと上下する。
息が整っていく様子を察し、藍はゆっくりと唇を離した。
「ごめん……無理に聞いた僕が悪かった」
宰斗の頬に手を当て、藍は苦しそうに目を逸らす。
まだ少し荒い呼吸を繰り返し、宰斗はぼんやりと揺れる視界で藍を見つめていた。
「……何で、あんたが……そんな顔すんだよ」
なんでコイツは、俺なんかに必死になるんだ。
なんでこんなに、辛そうな顔をするんだよ。
「手……冷たい」
頬に当たった手を、宰斗はそっと上から触れる。
だんだんゆっくりになる呼吸と、力が抜けたように閉じた目蓋。
藍は徐々に脈打っていく鼓動に戸惑い、息を飲み押し黙った。
「……本当に、君は」
(放っておけない……どうしてこんなに、目が離せなくなるんだろう)
しばらく静かな時間が流れ、藍は名残惜しそうに手を離す。
「この話はまた今度にしよう……そろそろ行くよ」
「……ほずみ」
背を向けて立ち上がる藍に、宰斗は僅かに手を伸ばす。
宰斗の声に動きを止め、藍は顔を見ないまま口を開いた。
「僕は……君がどんなことをしていても、絶対に離れていかない。それだけは、知っておいて」
そう言い残し、藍は病室を出ていった。
宰斗は伸ばした手をパタリと布団に落とし、ぼんやりと天井を見上げる。
「暁那……お前は、どんな気持ちだった……もっと、もっと苦しかったのか?」
(俺がどうしようと、許される筈もない。これは……俺が招いた結果で……当然の罰)
「なぁ……清々してるか? 笑ってろよ……この様を見て……笑ってろよ、暁那」
過去の自分の行いが、次々と脳内にフラッシュバックしていく。
宰斗は苦悶に顔を歪めながら、それを嘲笑うように呟いていた。




