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役立たず令嬢と呼ばれ婚約破棄されましたが、実は古文書解読で王国中枢を支える唯一の存在でした。今さら必要だと言われても遅いです、私は戻りません   作者: 常陸之介寛浩✪書籍・本能寺から始める信長との天下統一


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第130話 第二往復、道は少しだけ日常へ戻る

 第二往復隊が出発してから、閲覧室の時間は不思議なほど静かに流れた。


 初回往復の時とは違う。


 あの時は、紙の上に置いた理屈が初めて泥道へ出ていった。

 戻るのか。戻らないのか。

 荷はどうなるのか。人は無事なのか。

 何も分からないまま、ただ時計の針と窓の外の光だけを見ていた。


 今日は、少しだけ違う。


 不安がないわけではない。

 むしろ、不安ははっきり形を持ってそこにあった。


 細荷のみ。

 昼前後。

 人足同行。

 道守りの判断。

 太荷不可。

 荷車不可。

 帰還後即時記録。


 条件は多い。

 けれど、その条件はもう机の上だけのものではなかった。


 市場に貼られ、人に読まれ、ルカとミーナの荷を減らし、太荷を止め、リゼットの口から二番目へ渡された。


 だから、アリアは少しだけ信じることができた。


 信じる、というより、祈るように確認することができた。


 言葉は届いた。

 ならば、道の上でも少しは働いてくれるはずだ。


「今日は、読めていますね」


 フェリクスが言った。


 アリアは顔を上げる。


「え?」


「資料です。昨日ほど、目が止まっていない」


「ああ……」


 アリアは自分の手元を見た。


 確かに、今日は筆が動いている。


 第二往復帰還時の確認項目。

 市場再集合兆候表。

 王城への続報候補。

 中荷試験枠の下書き。

 それらを、少しずつ整えていた。


「初回の時は、何も読めませんでした」


「私もです」


 フェリクスは苦笑した。


「と言っても、私は道の上でしたが」


「今日は行かれなくてよかったのですか」


「正直に言えば、少し行きたかったです」


 意外な答えだった。


 アリアが目を向けると、フェリクスは照れ隠しのように紙を揃えた。


「初回を見たので、第二との違いを自分でも見たかった。ただ、王城確認役は道守り側の補助官が入りましたし、私はここで比較整理をする方が役に立つと判断されました」


「残念ですか」


「少し」


 フェリクスはそこで小さく笑った。


「おかしいですね。少し前なら、泥道へ行かずに済んで安心していたはずなのに」


「それは、かなり変わりましたね」


「ええ。自分でも困っています」


 その会話に、グレゴールが低く笑った。


「よい困り方ですな」


 フェリクスは反論しなかった。


 午後の光が少し傾き始めた頃、市場から最初の伝令が来た。


 第二往復隊、橋手前を通過。

 昼前後の水筋確認後、道守り判断により通行。

 荷量制限守られる。

 人足誘導あり。

 異常なし。


 アリアは、その短い報告を読んで、胸の奥の力がわずかに抜けるのを感じた。


「順調、ということでよろしいのでしょうか」


 マリーが尋ねる。


「今のところは」


 アリアは答えた。


「でも、戻るまで分からないわ」


「はい」


 マリーは頷いた。


 その慎重さが、今は心地よかった。


 成功という言葉を急がない。

 戻るまで、そして戻った後の言葉を聞くまで、何も決めすぎない。


 それも、この数日で覚えたことだった。


 夕刻前。


 門の外から、馬の音がした。


 初回往復の時ほど荒くはない。

 複数の足音が、比較的整った調子で近づいてくる。


 それでも、アリアは立ち上がった。


 記録紙を持つ。

 ペンを取る。

 帰還時確認項目を開く。


 レオンハルトも立った。

 グレゴール、フェリクス、ハインツも続く。


 外へ出ると、門の向こうに第二往復隊が見えた。


 ルカは、相変わらず青い顔をしていた。

 けれど、倒れそうな顔ではない。

 緊張が抜けて、今さら自分が何をしてきたのか分からなくなっているような顔だった。


 ミーナは馬の横で荷を押さえていた。

 疲れてはいるが、背筋は伸びている。戻るなり、荷の縄を確認しているあたり、彼女らしい。


 布荷は、湿っていなかった。


 少なくとも、外から見た限りでは。


「戻りました」


 道守りが先に言った。


「全員、無事です」


 その一言で、門前の空気が緩んだ。


 アリアはルカたちへ近づく。


「お帰りなさい」


 ルカは、少し遅れて頭を下げた。


「戻りました。……戻れました」


 その違いを、アリアは聞き逃さなかった。


 戻りました、ではなく、戻れました。


 そこには、無事だったことへの実感がある。


「道はどうでしたか」


 アリアが尋ねると、ルカはすぐに答えようとして、ミーナを見た。


「僕が話す?」


「兄さんは話すと荷の話が長くなるから、先に私が」


「ひどいな」


「事実です」


 ミーナはアリアへ向き直った。


「初回往復の時より、道は読みやすかったそうです。道守りさんが、昨日の記録を見てくれていたので」


 道守りが頷く。


「水筋を見る位置が分かっていた。橋板も、踏まない板を先に決められた。荷が軽かったのも大きい」


「人足の声は?」


「役に立ちました」


 今度はルカが答えた。


「怖かったですけど、“右”“待て”“そこは駄目”って声があると、足を出せました。黙っていたら、たぶん止まってました」


 ミーナが少しだけ笑う。


「兄さんは二回止まりました」


「止まる判断も大事だろ」


「それはそう」


 道守りが低く言った。


「今日は、止まったのがよかった。急がせていたら、荷が傾いた」


 アリアはすぐに書く。


 ――第二往復、全員帰還。

 ――荷損なし。

 ――水筋確認、橋板選定、荷量制限有効。

 ――人足の声により通行安定。

 ――候補者自身が恐怖を認識し、途中停止判断あり。

 ――停止は失敗ではなく、安全判断として機能。


 ルカがその一文を覗き込み、少し複雑そうな顔をした。


「止まったことまで書かれるんですか」


「はい」


「恥ずかしいですね」


「でも、大事です」


 アリアは顔を上げた。


「止まれたから戻れたのだと思います」


 ルカは黙った。


 少しして、気まずそうに頭をかいた。


「……そう言われると、少し救われます」


 ミーナが横で頷く。


「兄さん、今日はよく止まりました」


「誉められてる気がしない」


「誉めています」


 その兄妹のやり取りに、周囲から小さな笑いが起きた。


 初回往復の帰還時にはなかった笑いだった。


 疲れている。

 怖かった。

 でも、戻ってきた。


 その事実を、笑える余裕が少しだけあった。


 これが二歩目なのだと、アリアは思った。


 リゼットが言っていた通りだった。


 最初の一歩は、泥まみれで戻ってくるだけで精いっぱいだった。

 二歩目は、まだ怖いまま、それでも少しだけ笑える。


 市場が、道が、ほんの少し日常へ近づいた。


「リゼットさんは?」


 ミーナが尋ねた。


 ハインツが答える。


「店で待っている。来ようとしたが止めた」


「なら、あとで顔を見せに行きます」


 ルカが言うと、ハインツは頷いた。


「そうしてやれ。あいつは、自分が戻した道を二番目がどう歩いたか気にしている」


「リゼットさんに言ってください」


 ミーナが少しだけ胸を張る。


「荷は濡らしませんでした、と」


「それを聞いたら悔しがるでしょうな」


 ハインツが笑った。


「初回より上手く通った、と言ってやるか」


「怒りませんか」


「たぶん喜びます。怒った顔で」


 アリアはその会話も記録した。


 ――第二往復が初回より安定したことを、初回往復者へ伝える必要あり。

 ――初回の証言が次を改善したという実感が、初回往復者の損失感を軽減する可能性。


 フェリクスがその文を見て、静かに言った。


「そこまで見るのですね」


「必要だと思いました」


「はい。必要です」


 彼は素直に頷いた。


 初回往復者は、損をした。

 荷も傷んだ。

 身体も疲れた。

 それでも、その証言が二番目を安全にしたと分かれば、彼女の一歩はただの損ではなくなる。


 戻ってきた言葉に値段がつく。


 リゼットの言葉が、またここへ戻ってきた。


 閲覧室へ戻ると、第二往復の記録整理が始まった。


 ルカとミーナは、温かい茶を飲みながら証言した。


 ルカは何度も話が帳面の数字へ逸れ、そのたびにミーナが戻した。

 フェリクスは、それを驚くほど丁寧に書き取っている。


「荷量三分の一は、商売としてはぎりぎりです」


 ルカは言った。


「でも、戻れたことで客には言えます。うちは動いた、と」


「利益は?」


 フェリクスが問う。


「小さいです。でも、客をつなぐには十分」


 アリアは書く。


 ――第二往復の利益は小。ただし顧客維持効果あり。

 ――商売上の“戻る意味”は利益額だけでなく、動いた実績にある。


 ミーナが付け足す。


「あと、荷を減らしたことで、次に何を増やせるかが見えました」


「何を増やせそうですか」


「布は少し。乾物はまだ危ない。薬草は束を分ければいけるかもしれません」


「中荷試験枠へつながりますね」


 フェリクスが言うと、ルカが苦笑した。


「王城の人は、すぐ枠にしますね」


「枠にしないと、王城で扱えません」


「それもそうか」


 ルカは妙に納得した顔をした。


 ミーナが横から言う。


「枠にしてもいいですけど、増やしすぎないでください」


「兄さんに言ってる?」


「王城にも言っています」


 フェリクスが小さく咳払いした。


「肝に銘じます」


 アリアは思わず笑った。


 王城文官が市場の娘に釘を刺されている。

 その光景は少し前なら想像できなかった。


 けれど、今はそれが自然に見えた。


 机と道の間に、人が行き来し始めている。


 夕方までに、王城への第二往復報告がまとまった。


 ――第二往復、帰還。

 ――全員無事。荷損なし。

 ――初回往復記録に基づく水筋確認・橋板選定が有効に機能。

 ――荷量三分の一以下、昼前後出発、人足同行、道守り判断の条件維持。

 ――候補者自身の途中停止判断により、安全性が保持された。

 ――市場側に、顧客維持・軽荷処理・次回中荷試験への関心が発生。

 ――以上により、第二往復は再集合兆候確認として成立。

 ――ただし一般再開にはなお至らず。中荷試験枠の設計を次段階とする。


 フェリクスが最後に一文を提案した。


 ――第二往復は、初回往復の勇気を反復するものではなく、条件を守った日常的通行の最初の兆しである。


 アリアはその文を見て、静かに頷いた。


「入れましょう」


 グレゴールも頷く。


「よい文です」


 フェリクスは、少しだけ照れたように目を伏せた。


「現地にいると、妙な文を書きたくなります」


「良い傾向です」


 アリアが言うと、彼は苦笑した。


「王城に戻ったら怒られそうです」


「ベルナー様なら?」


「嫌な顔で残すと思います」


 その答えに、皆が少し笑った。


 報告文が送られたあと、ルカとミーナは市場へ戻った。


 戻る前、ルカは少しだけアリアに頭を下げた。


「行ってよかったです」


「怖かったのでは?」


「怖かったです」


 彼は即答した。


「でも、怖かったから条件を守れました」


 ミーナが隣で頷く。


「兄さんにしては、良いことを言いました」


「今日くらい誉めてくれ」


「荷を増やさなかったので、そこは誉めます」


「そこだけか」


 兄妹は言い合いながら出ていった。


 その背中は、出発前より少しだけ軽く見えた。


 夜になり、アリアは記録帳を開いた。


 ――第二往復、帰還。

 ――荷損なし。全員無事。

 ――初回より静かに、少しだけ上手く戻った。

 ――怖さは消えなかった。けれど、怖さが条件を守らせた。

 ――市場は、ほんの少し日常へ戻った。


 ペンを置こうとして、まだ書き足りない気がした。


 アリアはもう一行、ゆっくり書いた。


 ――道は、英雄の一歩ではなく、怖がりの二歩目で日常に戻り始める。


 その一文を見て、彼女は小さく息を吐いた。


 ようやく、少しだけ肩の力が抜けた。


 第二往復は成功した。

 いや、成功という言葉を使うなら、やはり条件付きだ。


 それでも、初回とは違う。


 初回は道が戻れることを示した。

 第二往復は、条件を守れば人が続けることを示した。


 この違いは大きい。


 その夜遅く、王城から返書が届いた。


 いつもより短い文だった。


 ――第二往復報告、受領。

 ――再集合兆候確認として成立。

 ――現地成果をもとに、王城内正式照合席の設置協議を開始する。


 アリアは最後の一行で、指を止めた。


 王城内正式照合席。


 いつか来ると分かっていた話だった。


 でも、いざ文字になると、胸の奥に別の緊張が生まれる。


 道が少しだけ日常へ戻り始めたその夜、今度は自分自身の席が、王城の中で動き始めた。


 アリアは返書を閉じ、しばらく机の木札を見つめた。


 現地照合担当 アリア・ウェルグラン


 この机を選んだ。

 ここで、道を見た。

 市場の声を拾い、王城の言葉を変えた。


 次は、その成果をどう王城の中へ持ち込むか。


 物語は、また別の扉の前に立っていた。

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