⑫
「お母さ~ん? あれれ、どこいったのかなぁ?」
遠くでエリカの声が聞こえた。やがて足音が階段を上がってきて、この部屋に近づいてくる。軽快な足音が部屋の前で止まると、間髪入れずにドアが開いた。
「ただいま~」
いつもの声とともに、部屋の照明を点けたところで、エリカは異変に気付いた。
「なに、これ・・・?」
グチャグチャに荒らされた部屋を前にして、呆然と立ち尽くす。
けれど、呆然としていたのはほんの一瞬のことだった。不意に緊張の面持ちへと変わり、床に散乱しているものを掻き分け始めると、すぐに僕の身長と同じくらいの大きさの本を取り出してページを捲り始めた。最後のページに行き着いたら今度は逆方向にと、二、三往復したところで手を止め、ポツリと呟いた。
「やられた・・・。いったい、誰が?」
エリカは不安げな様子で立ち尽くしている。僕は大きな声で教えてあげた。
「お母さんの仕業だよ! 仲間を連れてきたんだ!」
でもやっぱり、エリカには聞こえなかった。
あのとき、お母さんはアヤパンの縫い目を切り裂き、内臓を取り出して何かを探していたけれど、そこには何もなかったようだった。内臓のほとんどを抜き取られたアヤパンは、動かなくなった。
「ちきしょう、なにしやがる・・・! おいっ、アヤパン! しっかりしろ!!」
痛みを堪えながら、モンキッキ先輩が叫んだ。しかし、アヤパンから反応は返ってこなかった。
「ひでぇことしやがる。いったい、なんなんだよ、こいつらは!?」
誰に尋ねるでもなく叫んだプリリンの声に、床に転がされていたマトリョーシカが答えた。
「この乱暴な手口は、ヤツらね・・・。あの女、向こうにも通じてたのか・・・」
「ヤツらって・・・?」
そう聞き返したとき、マトリョーシカのそばで屈みこんでいた男が声を発した。
「あった!」
その声の主を中心に三人の人間が集まり、何かを覗き込んだ。なにを見つけたのか判らなかったけれど、どうやらそれが目的のモノだったみたいだ。男たちはそこで見つけたものと、机の上のノートパソコンを奪って部屋を出ていった。
残ったお母さんは部屋を見廻し、床に転がっていたマトリョーシカに目を止めると、最後に彼女をさらっていった。
「ちょっと、アタシをどこに連れていく気よ! やめて! おねがい・・・」
マトリョーシカの悲鳴にも似た声が遠ざかっていった。
それから何時間も経って、すっかり夜になっている。エリカが帰って来るまでの間、僕たちはいつまたヤツらが戻って来るかと、ビクビクしながら過ごした。次に餌食になるのはプリリンだろうか、オメザメクンだろうか、それとも・・・、と震えながら不安な時間を過ごしたのだ。
エリカは何かを思い出したように、入口付近に置き去りにしていたバッグからあるものを取り出した。その途端に、懐かしい声が聞こえてきた。
「まぁ、いったいどうしちゃったのよ、これ?」
マトリョーナおばさんだ。エリカの手に握られたまま部屋を眺めている。
「あんたたち、大丈夫だった? えっ、誰っ、アヤパンちゃん!? いや、どう・・・」
エリカが無造作にマトリョーナおばさんの身体をよじり、二つに割った。次に現れたマトリョーナねえさんが少し甲高くなった声で言葉を継いだ。
「・・したのよ、それ!? 酷い! 誰にやられ・・・」
エリカはマトリョーナねえさんも捩じ開け、さらに小さなマトリョーナ、そのまたさらに小さなマトリョーナと次々と開けていった。マトリョーナは小さくなるにつて、声が高くなりながらも言葉をつなげた。
「・・たの! 信じられないわ、そんな酷い・・・こと。オモチャを大切にしない・・・、ヤツは、人間として最低よ!」
最後のマトリョーナが開けられ、中から小さく折り畳まれた紙が出てきた。エリカはそれを開いて目を通した。
「ウソ・・・、お母さんが・・・!?」
顔が青ざめている。この部屋を荒らしていったのが、お母さんだと知ったみたいだ。
エリカはまた、何かに気付いたようにカバンから携帯を取り出した。携帯にはドラックマがぶら下がっている。彼を手に取り、丹念に調べ始めた。
何かを見つけたようだ。結び付けられた紐を解く手ももどかしそうに携帯からとり外すと、首の付け根辺りから指を突っ込んだ。
「あふんっ!」
ドラックマがおかしな声を上げた。もちろんエリカに聞こえた様子はなく、ヤツのお腹の中を指でかき混ぜた。
「アッ・・・、ンンン・・・、ウララララァァァ・・・!!」
苦しいのか、なんなのかよく判らないうめき声が一段と大きくなったとき、エリカはついに何かを引っ張り出した。黒くて小さな電子部品のようなものだ。彼女の表情が、いっそう険しくなった。
「くそっ!!」
エリカはそう叫んで、ドラックマをベッドに叩きつけた。大きくバウンドしたドラックマは、僕らのそばにポソリと着地した。
なめらかな指先で摘まんだ黒い電子部品を睨みつけたエリカは、とても悲しそうな顔をした。
「あれは、なんだ?」
「なんだろうね? エリカがあんなに怒っている顔は始めて見た・・・」
「もしかして、盗聴器じゃないでしょうか? 何度かお目覚めTVで採り上げられていたモノと似ています」
「盗聴器!?」
「お母さんからもらったモノだろう? それって、お母さんがエリカさんのことを盗聴してたってことか!?」
お母さんがエリカを盗聴していた? そういえば、ときどきゴミ箱を漁ったり、パソコンをいじったり、マトリョーシカの中を覗いたりしていたっけ。そして今日の行動。お母さんはエリカのことを調べていた、ということだろうか?
「ぷはぁー! あぁ、シュッキリした!」
甲高く明瞭な声とともに、ドラックマがすくと立ち上がった。
「あのヘンテコなモノをお腹に突っ込まれてから、目が廻って頭がクラクラして、ひどく調子が悪かったんでしゅよね・・・」
「オマエ、ちゃんと喋れんのか!?」
「はい! ご主人様があのヘンテコなモノを取り出してくれたおかげで、完全復活でしゅ!」
昨日まで、まったく聞き取れなかった話し声がウソのように、少し舌足らずながらもペラペラと喋り始めた。顔は相変わらず病的な不気味さを保っていたけれど。
お母さんが、どうしてこんなことをしたのかは判らなかったけれど、その手先となって働いていたドラックマのことを、素直に受け入れることも出来そうになかった。
「だけど、これまでキミがエリカのことを盗聴してたってことだろう? キミはお母さん側、つまり僕らにとって敵じゃないのか?」
「ぼくはあのヘンテコなモノをムリヤリ突っ込まれてただけで、それが盗聴器だということも今の今まで知りましぇんでしたし・・・」
ドラックマは悪びれることもなく、無邪気な声で答えた。だけれど、僕はやっぱり素直にコイツを許すことには抵抗を感じた。そのとき、
「イヤッ! どうして!!」
エリカの悲鳴が上がった。ようやくアヤパンの惨状に気が付いたようだ。背中が大きく裂けたアヤパンと、はみ出した内臓に恐る恐る手を伸ばした。
「ここまでするなんて・・・。ゴメンね、みんな、ゴメンね・・・」
エリカはアヤパンの背中をそっと撫でた。その頬を一筋の涙が流れた。
「わたし、行かなきゃ・・・。しばらく待っててね。きっと治してあげるから・・・」
そういって立ち上がると、ドラックマのお腹から取り出したものを握りしめ、ストラップの無くなった携帯をバッグに放り込むと、部屋を出ていった。ドタドタと大きな足音を立て、廊下を進み階段を降り、その勢いのまま足音は家を出ていった。
取り残された僕らは、途方に暮れるしかなかった。久しぶりに帰ってきたマトリョーナはバラバラのままだし、モンキッキ先輩も苦しそうだ。僕はこれからどうしていいのか、全く分からなかった。
「とりあえず、アヤパンの内臓を元に戻してみませんか?」
オメザメクンが口を開いた。
「そ、そうだな・・・。やろうぜ」
プリリンも同意した。この状況ではとてもイヤだとはいい出せなかったけれど、僕はやっぱり人の内臓を触るのは怖かった。恐る恐る白くてフワフワの内臓に手を伸ばしたとき、甲高い声も追従した。
「ぼくにもお手伝いしゃしぇてくだしゃい!」
ドラックマは躊躇することなく、自分よりも大きな内臓の塊りを抱え上げ、アヤパンの中へと押し込んだ。
「このヒトがこうなってしまったしぇきにんは、ぼくにもありましゅから」
清々しくいってのけたけれど、その姿は、元々が不気味な顔をしている上に、全身を内臓の綿ボコリに塗れ、いっそう気色の悪いモノになっていた。
僕の怪訝な視線も気にせず、ドラックマは黙々と内臓を運び、半ばアヤパンの中に入り込みながら詰め込んでいった。手先の不器用な僕らでは、アヤパンの身体の隅々にまで内臓を押し戻すことは難しかったけれど、身体の小さなドラックマのお陰でほとんど元の膨らみを取り戻すことができた。
全ての内臓を詰め込み終えたとき、真っ黒だったドラックマの身体は大量の綿ボコリに塗れて灰色になっていた。
僕は彼のことを少し見直した。けれども、アヤパンは眼を覚まさなかった。
「やっぱり、詰め込むだけじゃダメか・・・」
「オレは、内臓が五分の一はみ出しただけで・・・、死にかけたんだ。あれだけ大量に取り出されると・・・、もう・・・」
モンキッキ先輩が切れ切れの息で呟いた。
「そんな・・・」
「ちきしょう、あのババァ!」
「なんとか助かる方法がないか、オメザメ・データベースで調べてみます」
オメザメクンの前向きな言葉に望みを託すしかなかった。顔のまん中で、長針と短針が追いかけっこをするようにグルグルと廻る姿を、固唾を呑んで見守った。みんなの注目を浴びて数分後、オメザメクンは顔を上げた。
「おもちゃ病院というのが、全国に約1000軒、千葉県内にも40軒ほどあるそうです。そこでなら治せるかも・・・」
「マジかっ! そこへ連れて行こうぜ!」
「そうだ! そうしよう!」
プリリンと僕は興奮気味に叫んだ。でも、オメザメクンは哀しげに返した。
「えっと、そうしたいのはヤマヤマですが・・・、私たちの力ではアヤパンを運んでいくのはムリです。階段を下りることも、玄関のドアを開けることすらできません」
「そ、そうだな・・・。でも、なんか方法はねぇのかよ? アヤパンだけでも送り届けることはできねェのか!?」
そこで再び甲高い声。ドラックマだ。
「宅配便で送るのはどうでしょう?」
「おおっ、その手があった! おい、その宅配便はどうすりゃ送れるんだ!?」
「アヤパンしゃんを箱か袋に詰めて、宛名を書いて、宅配業者に電話をかけて、取りに来てもらえば・・・」
「宛名を書く? 誰か、字が書けるヤツはいるか?」
プリリンの呼びかけに、誰も返事ができなかった。暫しの沈黙の後、モンキッキ先輩が切れ切れの声で語った。
「オレたちの仲間には・・・、人間様の文字を理解できるモノも・・・、いないワケではない・・・。けれど、そうなるには、百年くらい生き続けなければ・・・、ならないといわれている・・・」
「ひゃ、百年、ですか・・・?」
「マトリョーナおばさんは、幾つかなぁ・・・?」
モンキッキ先輩は、尚も続けた。
「そうすれば、不思議な力が、身に付くそうだ・・・。文字がわかるだけじゃなく・・・、人間様と会話をしたり・・・、髪の毛が伸びたり・・・、涙を流したり・・・。そうなった仲間のことを人間様は・・・、ヤオヨロなんとかって、呼ぶそうだ・・・」
「ヤオロヨ・・・?」
それって怖い話!?
「稀に、未熟なオレたちの言葉でも判るような・・・、不思議な力を持った人間様もいるらしいが・・・。いづれにしても、いまのオレたちに・・・、できることは無さそうだ。でも、まぁ・・・、心配するな・・・。エリカは、きっと、帰ってくる!」
モンキッキ先輩は苦しそうな息遣いながら、最後は力強くいいきった。その言葉に、僕はほんの少し、力を与えられた気がした。
「そうだね・・・。エリカを信じて、待とう!」
「・・・そうだな、そうすっか・・・。てか、オマエ、どさくさに紛れて、ずっと呼び捨てにしてたな! もういい加減止めろっつーの!」
モンキッキ先輩のおかげで、絶望的な雰囲気に支配されていたこの部屋に、希望の光が射した。
「では、アヤパンのことはエリカさんの帰りを待つことにしましょう。しかし、それまでの間、わたしたちにできることは、なにか無いのでしょうか?」
オメザメクンの問いかけに、僕らは考え込んだ。
僕たちにできることとはなんだろう? 僕たちがこの世界に生きている意義とは、ズバリご主人様の心を癒すことだ。ご主人様がいないこの部屋で、いったい何ができるのだろうか?
そのときプリリンがぶっきらぼうにいった。
「難しいことは置いといて、とりあえず、あのババァをなんとかしてやんねぇか?」
ふくふくとした手が指した先には、バラバラになったマトリョーナおばさんが散らばっていた。
「ほら、あそこを伝えば、なんとか降りられそうだろ?」
いい終わる前に、プリリンはベッドの足元の方へと歩き始めていた。
その先には、お母さん一味がクローゼットからぶち撒けたたくさんの服が、ベッドの縁に引っ掛かって、床とベッドを繋ぐスロープのようになっていた。
「よーし、いくぜ! ひゃっほーぃ!!」
プリリンはツルツルした生地のキャミソールでできたスライダーを一気に滑り降りた。床に到達すると勢いあまってコロコロと転がり、マトリョーナおばさんの身体たちを蹴散らしてようやく止まった。
「お~い、大丈夫か~い!」
「いてて・・・。大丈夫だ。なかなか愉しいぜ! 早く来いよ!」
僕はこういう絶叫系のアトラクションは苦手だ。一度でいいから、エリカと一緒に観覧車とか、メリーゴーランドとかに乗りたかったなぁ。と妄想しながら、思い切って滑り降りた。僕のあとからオメザメクンとドラックマも続いた。
床に降り立った僕たちは、プリリンのせいで一段と散らばってしまったマトリョーナおばさんの身体をかき集めることから始めた。




