皇子の呪いは解けている
天窓から降り注ぐ清々しい朝日に照らされるのは、床に足を伸ばして座る麗しの黒髪皇子だ。
扉を開けた先で側近二人が目にした家主は、この世の終わりとばかりに闇を背負って項垂れていた。
文句の付け所がない肉体美を無造作にさらす彼は、何一つ身に着けていない。足先が玄関方向に向いていないのが二人にとってなによりだった。
「うら若きご令嬢が眠るすぐそこに裸族が……たってなくてよかった」
のっぴきならない状態に陥っている第一皇子には、ケイリィの軽口を気にする余裕などなく、ユーリウスが無人の部屋へ消えたのにも気づかなかった。
人の姿に戻れたのなら喜ばしいはずにも関わらず、ドュレイグは昨夜よりも深い絶望を背負っている。
「何故、こんなことに……」
「ま、まさか意識不明の相手に夜這いを……いたいけな少女になんて所業をぉぅ……」
上司への失望を身体全体で表現するため、部下は四つん這いで泣き真似をする。
いつもの冗談だとわかっているドュレイグだったが、気まずげにアリアが眠る部屋から絶妙に顔をそむけた。
「んん? もしやマジで破廉恥なことしたんすか?」
ある意味ケイリィに図星をつかれたドュレイグはすぐさま反応した。
「同種の子孫繁栄行為を夢みるくらい、変なことではない」
「お年頃ですもんね~」
「いずれにしろ、帝位継承には良かったではないですか、人の姿に戻れたのですから後継者も作りやすいでしょう」
ユーリウスの言葉は、彼がドュレイグにかけたブランケットと同じくらい温かみに乏しい。
「まずはグラウの確認を」
頷いたユーリウスは一人、外へと消えた。
鱗のおかげで必要なかったブランケットの肌触りは人の身でも慣れない。
アリアにはもっと良い寝具を手配しようと決めたドュレイグは、両手に顔を埋めたまま頭を横に振り、溜息を吐く。
「……最悪だ」
アリアは末っ子皇子の婚約者になったと勘違いしている。ドュレイグの呪いがもう一度解けたとしても、彼女との接触が理由でなければ意味がないのだ。
勝手に解けたと言ったところで、どれくらいの人が信じるだろうか。
万が一、彼女の中で他の女には義務を課さないクズだと認識されたらどうする。
否、そんなことよりも、もし「本物の婚約者はどこに?」とアリアが問えば、「正真正銘あなたが第一皇子の婚約者です」と誰かが本当のことを伝えるだろう。
その後、一切の迷いなく婚約破棄をつきつけるアリアの姿が目に浮かぶ。
このままであれば、アリアを口説き落とすよりも、漁夫の利を得た令嬢たちの一人が妻の座に収まるほうが早い。
たとえ呪いをかけた魔女を討つ機会がもらえるとしても、耐えかねる結末だ。
異形には率先して口づけしようとするくせに、人型に戻った優良物件には大して興味がなさそうだった。
今朝、目覚めるまではそこがアリアの魅力の一つだと感じていたのだが……。
ため息の尽きないドュレイグは回数を重ねるごとに、吐く息の深さや長さを更新していく。
そこへ仕事の早いユーリウスが戻ってきた。ドュレイグ用と思われる服一式と、泣き叫ぶグラウクスを携えて。
呪いが解けてから、いや、アリアが倒れてからほぼ愚図りっぱなしの幼児には兄弟たちもお手上げだ。ご機嫌伺いにやって来た兄の側近にこれ幸いと託した事情が伺える。
抱きしめるように受け取った弟をしばし腕の中でゆする。
顔見知りから見知らぬ全裸男に渡されたせいか、泣き声は一層大きくなった。あらん限りの力で離れようとするグラウクスは、両腕をドュレイグの鎖骨に置いて突っ張ったり、両手を暴れさせてぽかぽかどんどん兄を叩く。
「グラウクス殿下に異変はなさそうです。――アリア嬢を騙すために、偽の婚約者を用意しますか?」
「ぃやぁめてあげて、ユーリウス! アリア嬢が妬いてくれなかったら、殿下、泣いちゃうっ」
「はああぁぁぁ……………人間の身体なんて……あのおぞましい姿に戻りたい――」
長く重い溜息とともに心の底から愚痴れば、天井へ引きよせられるような感覚とともにドュレイグの体が膨れた。
「なん……」
ヴォンッ――。
切実な願いは眩い光とともに叶う。
慣れたドラゴンの姿に、いとも簡単に戻ることができた。
驚いたのか、そばに見慣れた長兄が現れたおかげか、鱗がびっしりの首に自力でぶら下がるグラウクスもピタリと泣き止んだ。
「きゃーぁあ」
喜びの声を上げて、幼子とは思えない力強さで竜の首をよじ登る。
遠慮なく鬣を引っ張られても、足場代わりの頬を小さな足で蹴られても、兄は弟の好きにさせた。
「問、題、解、決!」
発声ごとに違う決めポーズをとるケイリィは全員で無視である。
「昨日、謁見の間で呪いが戻ったことに関してお心当たりは? ………………今ならあるんですね」
「他の誰でもなく私にだけキスしてほしいと、キスしてくれるならもう一度呪いが戻ればといいのにと歯を食いしばっただけだ」
「歩き始めたばかりの弟君に嫉妬するとは……」
「自分からは、ぶちゅっとできないくせに……」
「天罰じゃないぞ」
呆れ顔で語尾を濁す側近たちにドュレイグは釘をさした。
「とりあえず、昨日姿が戻ったのは殿下の自業自得ということですね」
「あ~だから、呪いが入れ替わったにしては変な時間差があったのか」
握った右手で逆の手の平をポンと打ったケイリィに視線が集まる。
「どういうことだ?」
「どういうって、グラウクス殿下の体が光る0.5秒くらい先に、ドュレイグ殿下が光ったじゃないですか」
「何故それを早く言わなかったのですか?」
「えぇ、誤差範囲でしょぉ? ――まあまあ、試しに、アリア嬢と人間の姿でイチャイチャしたいって、股の間を刺激しすぎない程度に妄想してみてください」
ケイリィの言い方に辟易しつつも、本当に思い通りに姿を変えられるのか、目を閉じたドラゴンはしばし欲望まみれの雑念で頭の中を満たす。
数度経験したくらいでは、変化の際の光は強烈すぎて常人なら目を開けていられない。
例外のドュレイグは落ちていたブランケットを掴み、素早く下半身を隠す。
「おおぅ……、弟君を背負って、いったい何を想像したのか……気になるような気にすべきではないような」
「にー?」
後頭部に抱き着いているグラウクスが、人の姿になった兄の顔を覗き込み、頬や額をペタペタと撫で叩く。
「ああ」
「にーっ」
ドラゴンも全裸男も同じ兄だと理解した末っ子は、嬉しそうに長兄の頬にあむあむとかぶりつく。
幼児が青年を涎まみれにする微笑ましい光景にも、ユーリウスは事務的に対処する。
「万が一アリア嬢に見られたら困るのは殿下ですよ。迅速に呪われた姿に戻ってください」
「あらまぁ、なんで殿下がまた人に? どこの乙女がぶちゅりとなさりやがりましたの? 私の出る幕はもうないのね、よよよ……よっしゃー、弟君の唇制覇すんぞー」
アリアには似ても似つかぬ裏声を使い、ケイリィが的確かつ嫌な感じに触発する。げんなりとしたドュレイグだったが、すんなりと異形の姿に戻れた。
「………………。一度呪いが解ければ、どちらの姿にもなれるとわかっただけマシか。――アリアの目覚めをグラウと待つ。執務室をこちらに移してくれ」
そうして仕事をしながら四人で仲良く待っていると、アリアが起きた気配をユーリウス以外が察知した。




