竜の棲み処
「……覆いかぶさるな」
竜に殺気を飛ばされた護衛騎士は抱えてきたアリアをベッドに横たえ、彼女の向こう側に折り返された掛け布団に手を伸ばそうとしていた。
「人を変態みたいに言わないでくださいよ」
食い殺してやろうかと問う圧をうなじに受けても、ケイリィに動じる様子はない。さっと身を起こして場所を譲った。
伸びあがったドラゴンが布団の端を器用に咥え、やり残された作業を完遂する。そのまま枕元に顔を埋めた。背中からは珍しく悲壮感が漂う。
「何故、こんなことに……」
「思い当たる節はないのですか?」
「ない」
ドュレイグは明らかに後ろ髪をひかれている。それでも自室を出ようと動き出したため、ユーリウスがドア代わりの布をめくる。
寝室から玄関ホールへ出ると、宝物庫を守る竜さながらにその中央に伏せた。
「殿下はここでお眠りに?」
「ああ。――彼女の希望に沿って、もっと快適に変えてくれ」
ドュレイグが顎で布の仕切りを指した。
婚約者が希望すれば一年間過ごせるよう部屋を用意させてはいた。
今となっては、まるで急ごしらえの安宿――追放先の方が整っているのではないかと、アリアには相応しく思えない。
時々泊まる弟たちのために整えさせた、顔くらいなら洗える自室の方がまだましだ。
かろうじて、飲料可能な水と湯が手に入る竜の棲み処は、たいへん簡素な造りをしている。
広い玄関ホールから続くのは二つの部屋。片方はホール二つ分以上の大きさの主寝室で、もう一つはシングルベッドとワードローブだけがある小さなゲストルーム。
出入りしやすい大きな間口に加え、扉がなくとも断熱や遮音が完備されているのが売りだ。
婚約者が誰でもいいと思っていた頃は思いやりが足りなかった。
しかし今からでもアリアに快適に過ごしてもらう方法はある。
「必要であれば建物ごと、箱庭球の実物を全て見せてもいい」
呪われてからの歴史は長く、異世界出身かと思うほど身体的特徴や生活環境が多岐に渡る皇子たち。
既に、さまざまな種類の空間や建築物、家具などを圧縮保存する魔法錬金技術が完成している。
生まれた皇子の生態や成長に合わせ、いちいち取り壊しや建設を繰り返す必要はない。
部屋一つ出し入れするにも相当な人数が必要だが、ドュレイグの有り余る魔力を使えば、模様替えの時間はかかれど消費魔力は心配せずに済む。
「めっちゃ惚れとる……」
あわわ……と護衛騎士の風格皆無のケイリィが慄いた。
「対等というか、興味の対象というか、あんな扱いは初めてだったからな」
生まれてからずっと竜だったドュレイグは、ほとんどの人間が同じ生き物とは思えない。
今まで行動範囲内に現れた人間には程度の差はあれど、恐れや畏れ、何かしらの拒絶めいた線引きが感じられた。
幼いながらに、姿形の違いだけでなく能力の差を悟った彼自身も、身内以外は下等生物のように感じていた。
「この姿に臆すことなく近づき触れて、目を見て話し、微笑んだんだぞ?」
「ちょっ……、俺だってそうだったじゃないですか!?」
不服そうなケイリィに竜は白い目を向ける。
「お前は身の程をわきまえず、狩ってやろうと獲物を見る目で嗤いながら近づいてきたからイラっとした。アリア嬢とは次元がまったく違う。しかも普通の人間からしたら化け物の体調や、弟たちのことまで心配し配慮するなど、惚れないわけがない!」
高ぶりを逃がそうとドュレイグは無意識に尾をブン――っと振った。
「いや、絶対ちゅーが理由っしょ。殿下って、ちょろい男だったんすね」
「適当な理由でもう一度口づけをねだればよろしいのでは? ご婚約者様なのですし」
温度のないユーリウスの提案に自然とドュレイグの熱も下がる。
「弟に呪いが戻る可能性がある。毒持ちとわかった以上、グラウの安全が確証されない限り、軽々しく試すことはできない」
「愛しのご婚約者様なのに、お悔やみ申し上げますっ! 会いもせずに婚約者に指名したツケっすね」
「むしろ婚約者にしておかなかったら後悔どころではなかった」
弟たちとも唇を合わせる気満々だったアリアに伝えた一言、「既に貴方は私の婚約者だ」は言い訳ではなく、ただの事実。
アリアは勘違い――いや、あえて知らされていなかったせいだが、実は既に第一皇子は彼女を婚約者に指名済みだった。
入都審査の役人が豹変したのも、わざわざ最側近のユーリウスが出迎え案内したのもそのためだ。
強制指名。
一年だけの期限付き婚約破棄へのカウントダウン式お試し期間だ。皇子が選べば、皇帝であろうが拒否権はない。令嬢本人やその家族の承諾も不要。
独身かつ婚約者がいない貴族令嬢は多くても数十人だが、平民にまで捜索範囲を広げて希望者最後の一人まで解呪を試すとなると、とてつもなく時間と労力の無駄だ。
ばっさり切り捨てたドュレイグが、次に対象となる婚約者持ちの貴族令嬢を呼べない理由もあった。
他人に興味がなかったドュレイグは、解呪を願ったことがない。
しかし、弟たちが一時的にでも呪いから解放されるなら、帝位継承を早めるための結婚は望むところ。
仕事の効率が良くなるという理由以外、執着もない帝位は弟の誰かが望めば譲るつもりだ。
とりあえず時間を稼ごうと、成人したら適当に婚約者を見繕うとずっと前に決めていた。
計画通り、一番贈り物が遅い令嬢に白羽の矢を立てた。
期待以上にアリアの登城が遅れ、彼女が帝都に着いた時には根回しも済んだ。
あとは第一皇子の婚約者だと、本人に通達するだけとなっていたのは、今となっては嬉しい誤算。
◇◆◇
今では遠い昔のことのように感じる、ユーリウスとの今朝のやりとりをドュレイグは思い出す。
「おいでになったそうですので、行ってまいります」
「任せた」
強制指名する婚約者が到着したとの連絡にも、ドラゴンは書類から目を逸らしもしなかった。
「ご本人への告知は贈り物の後で本当によろしいのですね?」
義務から解放されたと安堵したところで実は婚約者だと発表し、今日から一年間城に縛り付ける予定だった。
「これほど遅れたのだ。罰にちょうどいいだろう?」
「自虐心なんてないでしょう」
親戚で幼馴染でもある側近は主をよくわかっている。
己の姿が異形だろうが、歴代でも類を見ない戦闘能力を持とうが、たいして悲しみも喜びもしたことがない。
「罪悪感もないな」
「万が一、本当に事情がおありだったのならどうするのです?」
「待たされたことには違いない。私の心はとても傷ついた。たった一年、王宮に留まるくらいの処世術、誰にでもできるだろう?」
「一年後も居座ってもらえるよう少しは交流してください」
竜は知っている。淡々と話すユーリウスが、贈り物の義務を婚約者持ちの令嬢に課す事態をなんとしてでも避けたいのだと。
「時間の無駄だな。その時はまた別の誰かを選ぶから心配するな」
鼻で笑い、そうのたまっていたドラゴンは、現在、絶賛ふて寝中。
◇◆◇
ユーリウスとの朝のやりとりを思い返したドュレイグは、珍しく悪戯心を催した過去の自分を褒める。
自分の見た目に関して悲観していなかったが、呪いがあろうがなかろうが変わらないアリアの反応は想像以上に好ましいものだった。
今や、一年後の婚約破棄を受け入れる気はドュレイグには微塵もない。
しかし実際問題として、強制指名や解呪の際、令嬢に婚約を強いる皇子は彼女たちからの婚約破棄を拒否できない。
アリアに自分と結婚したいと思わせるのに、期間が一年しかないというのが正直、痛い。
少しでも早く好感度を上げなければ――。
「……いや、待て。結婚したいと思わせずとも、一年後に私との婚約破棄を望まなければいいだけのことか」
不思議に思いながらも、心得ている側近のユーリウスは「それが問題なのでは?」とは口にせず、心得ていない護衛のケイリィはいつもの調子でツッコミを入れた。
「強制指名により私とすでに婚約中だったと知らず、最終的に呪いを解いたグラウの婚約者になったと思っているようだ」
まずドュレイグとの婚約を来年破棄しなければ、アリアは誰とも婚約できない。
が、未成年の皇子と婚約中だと認識していれば、彼女の中で婚約破棄をするのは、早くともグラウクスが成人してから一年後。
約二十年。形はどうあれ、アリアがその間ここに留まれば、惚れさせる時間はたっぷりある。
呪いを解いた女性と成人した皇子が一年間の婚約期間を経た後、解消や破棄とならない場合、自動的に夫婦となる。
これでもかと甘やかし、夢うつつに時間を忘れた嫁を逃がさんとする、姑息な帝族があわよくばを狙う常套手段。
貴族女性なら誰でも、婚約破棄の権利とその告知義務を知っている。
慣例に則り、ドュレイグの成人前に仔細を改めて公布させ、駄目押しもしておいた。
「帝族や主要貴族が居並ぶ前で、はっきり私の婚約者だと告知したのだから、わざわざ一年後に婚約破棄できると知らせる義務はない」
ニヤリと腹黒く笑ったドラゴンに、ケイリィが白い目を返す。
「あらやだ、立派な詐欺師。バレて嫌われてしまえ」
護衛でありながら、主を呪わんとばかりに開いた指をぐにゃぐにゃと動かす。
翌朝、変わり果てたドュレイグの姿を見た彼は、「自身の呪術師としての素質が怖ろしい」と主に語ることになる。




