呪われ皇子に口づけを ③
目が眩むほどの強烈な光。
反射的に俯いたアリアが閉じていた瞼をそっと開ければ、目の前には赤い布があった。
その裾から見えるのは、整った形の爪が並ぶ人間の足先。
視線を上に向けた彼女は精悍な美しさの顕現を目の当たりにし、無意識に何度も瞬きすることとなる。
この世のものとは思えぬ整った顔が驚いた表情で、アリアと彼自身の手や腕を見下ろしていた。
マントが覆っていなければ視界に入っていたであろう裸体も、人間の輪郭と思われる。
諸々にびっくりしつつも、アリアは視線を上げ下げし、ぽそりと呟く。
「なんだ、愛がなくても解けるのね……」
頭に疑問符を浮かべながらもアリアは納得できる解を導き出した。
これまでに既婚者でも呪いを解いた者がいるのだから、『乙女の愛のキス』ではなく、『乙女か愛のキス』だったのかもしれないと。
第一皇子との間に愛はないが、アリアはまごうことなき乙女と言える。
しかし、それでは呪いを解けなかった令嬢たちが皇子に恋をしていなかった場合、乙女でもなかったことになり……あれ、歴代の皆さん意外と早く大人の経験をされてるの? いいえ、キスすら初めてな正真正銘の純乙女は超希少ってことにしよう――とアリアは考えるのをやめた。
この自称・元純乙女、コリドラなどの魔獣には既にキスしまくっている。
自己申告の通り、人間とは唇同士の触れ合いをしたことはない。
ドラゴンの皮を被った異性に捧げたのが初キスとしてカウントされたのかどうか。アリアは微妙にどうでもいいことばかりが気になった。
「やっぱり他の皇子にはもう効果ないのかな?」
彼女の独り言に、目を丸くしていた皇子が、スンッ――となる。
妖精か、精霊か、神の如き人外の美貌は表情が消えると、本能的に怖い。
一瞬、目の前にいるのが人の皮を被った異質な何かかと脳が誤認識したアリアは身震いした。
逃げるように身体ごと左を向こうとすると、彼女の両手が誰かに取られた。
その誰かは何が気に入らないのか、眉を歪め不快さを隠そうともしない。
「既に貴方は私の婚約者だ。他の男の唇に触れるべきではない」
一度は許したくせに、第一王子ともあろう男がこの掌返し。贈り物を受け取るために合意した見返りがいまさらダメというのは、詐欺だ。
不機嫌なのに麗しさ溢れるハスキーボイスが放つ、有無を言わさぬ圧力に顔の良さも相まって、その威力は半端ない。
思わず暴挙に出た竜を許してしまいそうになる。
「えぇぇ……」
呪いを解いた令嬢と一年間の婚約が必須なのはアリアも知っている。
けれど、手続きまでの中休みすらないとは。帝都観光どころか、ロマンティックな間柄の男性に情熱的に別れを惜しむ時間もない。そんな相手、そもそもいないが。
自虐的な考えの彼女はピンときた。
万が一弟皇子たちがキス慣れしてしまい、そこかしこでキス魔と化したら彼らの呪いが解ける可能性は上がる。
帝位争いでのリードを少しでも長くキープするためだとしたら、強かというか、心狭いな、第一皇子、と。
「ご兄だ……」
「兄弟でもだ。すまないが、褒美は別のモノにしてもらおう」
「では末の皇子殿下への口づけだけ、お許しください」
「変わりないではないか」
まるで聞き分けの無い相手に呆れたかのような、優しさの欠片もない眼に鋭く睨まれる。
婚約済みどころか既婚女性にさえ口づけを強請るのが、帝族の専売特許ではなかったか。
専売だからこそ他者のおねだりは許さないと? いや、でも、皇子らは同じ一族。
特許違反にショタコン容疑が加わるとしても、アリアは食い下がる。
「あの……確信があるわけではないのですが、試してみるだけにしても、あの方への贈り物は早い方が良いかと思います」
「何故だ?」
「色鮮やかだからです」
「それが?」
「警戒色といって、色鮮やかな生き物には毒があることが多いです。しかも成長するほど強くなる可能性も。将来ご令嬢が苦労されるかもしれませんし、万が一の場合、皇子様本人への害もあるかもしれません。早めに女性との粘膜接触に課題があるかどうか試したほうが良いのでは?」
前世では毒のせいで触れず終いだった、魅惑のボディそっくりの末皇子。
ブルーエンジェル、ブルードラゴンの名にふさわしい。
触る機会に恵まれなかった地球産は、捕食した餌の毒を武器として再利用していた。
こちらの世界の皇子が普段から毒を摂取しているかや、地球産と同じ生態なのかは置いておくとしても、アリアの危惧はあながち的外れではない。
とはいえ根拠の薄い毒に言及しつつも、あわよくば……な思惑はたかが七割程度だ。
キスが許されなくとも、毒にやられようとも、手にのせてみたい。
きのこ類なり魚介類なり、一巻の終わりもありえる、食べ物に初めて手を出した人類はきっと空腹か好奇心のどちらかが限界突破していたのだろう。
たとえまだ我慢できる状態で思い切った人がいても、同類のアリアがその無謀さを非難することはない。
「呪いは解けないでしょうが、現時点で他者に影響があるかどうか確かめるのは、私が最適では?」
呪いを解いた女性は、呪いを解いてもらったモテ度爆上がり皇子にとって、必要不可欠な存在ではない。一年後の婚約破棄か解消までの付き合いであることも多い。
この先、他の皇子へ祝いをよこせと城に呼ばれることもない。
万が一があっても、一番損がない女がアリアである。
第一皇子は何か言いたげに顔を歪ませるが、黄金比の美顔では憂いの成分により美の魅力が増しただけ。
どれだけ人外美で責められようが、ブルーエンジェルの憂いを払えるかもしれない機会をアリアが譲る気はない。
「それとも、どなたかがキスして問題ないことが確認されていますか?」
「いや……わかった。しかしグラウが許せばだ。嫌がれば、他の褒美で我慢してくれ」
溜息まじりに渋々お許しが出た。
帝位争いをしているかもしれないが、兄弟仲はそこまで険悪ではないようだ。
ぱっと表情を明るくしたアリアは一番遠くに並ぶ皇子の前へ歩いていった。
「はじめまして、グラウクス殿下。贈り物があるんです。後で私と一緒に遊んでくれますか?」
「……ん」
物陰に隠れながらも、ちょこんと小さな頭が縦に揺れた。
ただの偶然で、一歳児に肯定の意味はないのではという不安は押し切る。
世にも美しい生き物に触れられ、しかも遊べるというご褒美が確定した。
握り拳を作ったアリアは天にも昇る浮遊感を味わいながら、今度もまず自分の唇と手を拭った。
綺麗になった手を水につけ、体温と水温が少しでも馴染むのを待つ。
幼い皇子は扇のようなヒレを持つ手足を広げ、ぷかぷか気持ちよさそうにお腹を上にして浮いている。青と白銀のコントラストが美しい。
やっぱり水中の天敵に見つかりにくいよう背中は白銀なのだろうか。金魚鉢を持ち上げて確認したいが、驚かせてせっかくのチャンスをフイにするのは愚の骨頂だ。
ブルードラゴンのためなら、中腰での待機時間がどれだけ長かろうと苦も無い。
時折顔を出す己の欲望と戦いつつもアリアがにこにこと観察している。――と、おずおずと皇子の方から近づいてきた。
「手は熱くなさそうですか?」
「……ん」
不用意に触れば皇子の体調や生命に悪影響の可能性があるため、今度は勝手に意図を解釈しない。
つんつんと、皇子から触れてくるまでアリアは辛抱強く待った。
ファンタジー作品の神獣もかくやという美しさの、アオミノウミウシに似た体をそっと水中から少しだけ掬い上げる。
ぷるんとした軟体動物特有のやわらかさで、ぬるっと感や毒針に刺された感じはしない。
胸が高鳴り、小刻みに震える体には鳥肌が立つ。
閉じ切らないアリアの口は無音で開け閉めを中途半端に繰り返している。
保護者が気づいたら通報されかないアリアの様子は見咎められずに済んだ。
ポシェットが濡れるのもお構いなしに新しいシルクのハンカチを取り出す。
「失礼します」
小さな皇子の口元辺りをちょんちょんとつつけば――顔全体を拭いたようなものだが――、皇子はくすぐったそうに身をよじった。
「可愛い……」
思わず本音を漏らしたアリアはにっこり微笑み、ちゅっと軽く唇をウミウシに当てる。
ヴォァカッ――!!
ガッ、ゴン!
先ほどと同じく皇子が光った。
その途端、目を焼かれかけたアリアの体が前のめりに引っ張られる。
なんと、末の皇子の呪いも解け、人間の姿に戻っていた。
アリアの両手を下敷きにして。
宗教画にでも描かれそうな、くりくりお目目のくるくるした金髪が愛らしい、水に濡れた天使がちょこんと座っている。
反射的にフヨフヨのお尻を握り潰さなかった自分をアリアは褒めた。
びっくりしつつも幼子に泣き出す気配はなく、アリアの口から安心の吐息が漏れる。
「っ――……」
小さな小さな悲鳴と共に。
幼児の体重だけならまだ良かったのだが、手の甲を金魚鉢に打ち付けてしまった。
ひっくり返らずに済んだ器は割れず、こぼれた水はアリアの髪の毛とワンピースがほぼ吸収したので、惨状は回避できた。
手が痺れて痛いけれどガラスが割れずに済み良かったと、やらかしてしまったアリアは一息ついた。
複数の皇子の呪いが同一人物によって解かれるとは誰も思っていなかったので、解けた場合のことなんて誰も考えていなかった。
そりゃぁ、謁見の間が驚愕の声で包まれる。
とりあえず、呪いが解けた皇子はテーブルから転げ落ちずに済んだ。
いつの間にか、次兄の甲殻類エイリアン系皇子が末っ子の背を支えている。
痛みに耐えるアリアはお礼の気持ちをありったけ込めた目で彼を見つめ、静かに感謝した。
「早く手当をっ――いや、私が運ぶ。さぁ、もう一度口づけを」
斜め横から焦った声がかかる。
近づいてきたのは先ほどまで人間の姿をしていたはずの第一皇子。
残念ながら四足歩行に戻っていた。
そりゃぁ、騒ぎも大きくなる。
一番年上の皇子と一番年若い皇子を見比べたアリアは頭を下げた。
「申し訳ありません。私は今こちらの殿下の婚約者だと思われるので、他の男性には触れるべきではないのです」
そう言われたドラゴンは絶句して魂が抜けたように固まった。
今ならころんと軽くひっくり返せそうだと思った――が、実際に倒れたのはアリアだった。




