出逢って数か月、アリアや皇子たちのことを思い出そう ②
城での生活に慣れてきたアリアは、皇子たち相手に着実に心を開き始めた。
基本的に敬語を崩さず、年上として子供たちに当たり障りなく対応しつつも、身分差を考えれば気安い態度と言える。
初対面の時や親しくない相手には、アリアは一歩引いた丁寧な話し方だ。
前世ではなかった身分差もきちんと考慮し、行儀よく対応する。
そんな彼女に早々に敬語を忘れさせた人物が物申す。
「ウィルシェル殿下はホットケなんて、アリア嬢は非常識人……」
「ケイリィには言われたくない、という返しを期待してるんでしょうけど、誉め言葉と受け取るわ」
「な……んだと、俺の言葉が誤解されずに受け入れられるとは――、返ってくるはずのブーメランを横取りされた気分だっ」
苦々しげな声のケイリィは、どや顔のアリアを見ないように、片手で顔を覆った。
「ふっ。とある教師は言いました。常識を知っている人しか常識の枠から抜け出せないと」
「その論理でいくと、SになるにはMでなければならない」
「……まさか、ケイリィも彼女の教えを?」
瞠目するアリアにケイリィはきょとんと返す。
「誰っすか? 俺のクラスは教えんのも男ばっかで女教師なら知らねぇ……なぁと思います」
ピリつくドュレイグに気づき、ケイリィは自主的に気安い言葉遣いを取り繕った。
「ケイリィ、学校通ったのね。私や殿下たちと同じで通信教育かと……」
「護衛には実技が必須だからな」
アリアに鬣を乱された第一皇子が「なぜお前が興味を持たれるんだ」と言わんばかりに、ケイリィを睨みながら話に割り込んだ。
弟たちだけでなく護衛すら取られたくないのか、と独占欲の強いドラゴンに呆れたアリアは完全に勘違いしている。
ドュレイグが妬くのは、彼女と触れ合い話す、すべての存在である。
すれ違う二人に感づきつつも、ケイリィはそのことには一切触れず、眉を寄せて唇を突き出す。
「当時、城で鍛錬しても良かったんですよ? なのに殿下が同年代の貴族と顔をつなげて来いって……」
将来を見据えた厳命だったのかとアリアが感心すれば、ドュレイグは遠い目になる。
「あの頃はまだ、少しでもケイリィを品行方正にしようとしていた。その負担を教師たちとも分け合いたかったが……」
「……失敗したんですね」
「ケイリィがこんなでもメリットがある。いいトコロだけ考えるようにした。――アリアが通わなかった理由は?」
ポジティブな竜に問われたアリアは斜めに俯き、憂いを帯びた視線を床に投げる。
「聖女一行や乙女ゲームに巻き込まれても誰にも言えず……、言ったところで理解してもらえず大変そうなので」
「人に言えない聖なる乙女の遊び……、情報提供を詳しく」
真剣な表情のケイリィが顎に手を当て、眉を上下に動かした。
長兄の手前、大人しく見守っている皇子三人は、アリアの目が薄くなったことで護衛の希望は叶えられないと察した。
話が一区切りついたと判断したアラ二アークが素朴な疑問を口にする。
「さっきのエスとエムって簡易魔術文字の話?」
英語のアルファベットに似た文字は、転移陣に必要不可欠だ。
アリアとケイリィは顔を見合わせ、けろりとした様子の竜を見た。
昼寝が不要な弟たち三人と一緒になって答えを待っている。
子供に訊かれたら一瞬たじろぐランキングに入る質問に対する気まずさが見当たらないことに、二人は衝撃を受けた。
地球で言うSとMのセットがこの世界のものと同じ意味でも、複数ある内のどれをケイリィが差したのかアリアには確信がない。
口火を切るのをためらう彼女とは違い、ケイリィは知らなくてもどうにかなるアレコレを皇子たちに伝授すると決意した。
「SとMは、需要と供給の関係でなりたつエぉお、かんけぉお……」
地球なら公共の場で子供に教えるのが憚られる定義だと理解したアリアは、急いで情報元の頬を両手で潰して塞ぐ。
「私だって頬を挟み挟まれしたことないのに――」
歯ぎしりする竜を尻目に、右手をゆっくり離したアリアはケイリィの口の前で親指と人差し指をくっつけ、横に線を引く。
人間離れした身体能力を持つ男は、ただの令嬢の目力に気圧され、縦に広げた口をつぐむ。
「アーク様、簡易魔術文字のSとMの関係は需要と供給です」
「どういうこと?」
脳みそをフル回転させたアリアはクモ皇子に向き直り、おもむろに口を開く。
「Sの字が足りないという需要に応え、MがSを供給するみたいな感じです」
「足りない状況とか意味わかんないけど、どうやって?」
「Mから一画目の線を抜いて角を丸くすればSにできます。……転移陣の作成者には字が汚い人もいるので、丸くしなくてもイケるかも?」
「……NやZじゃダメなの?」
「鏡文字になってしまうので」
やり切った顔で頭を左右に振るアリアだが、納得していないアラ二アークの鼻から「ふーん」という音が抜けた。
「他の意味の場合もあります。ご両親か親戚の人に聞いてみてください」
「例えばどんな?」
「Sサイズを供給するにはMサイズはないと物理的に無理です」
「他には?」
「これ以上は従叔父様に聞いてみてください」
予防線を張れるだけ張ったアリアはボロが出る前に話の矛先を変える。
「ディー様はご兄弟に会いに?」
第二皇子の指揮のもと、未成年の皇子たちは転移陣や魔道具を利用して勉強する。
執務を行うようになって以来、ドュレイグの足はこの部屋から遠のいていた。
「側近たちがアリアに確認したいことがあるらしい。一緒に来てくれ」
転移陣は通信にも活用されており、アリアも支給された子機を携帯している。
「連絡をくださったら行きましたよ?」
「視聴の邪魔をしたくなかった」
部下のおつかいについて来たドラゴンにいじらしさを感じたアリアは、鱗まみれの喉を撫でる。
喉を鳴らして尻尾を振るドラゴンにケイリィは何か言いたげだったが、おとなしく転移陣で一緒に移動した。
◇◆◇
執務室に着くなり、ケイリィは話を掘り返す。
「殿下、アリア嬢が子供にSとMを嘘でごまかしたけど、いいんですかぁ?」
「文字やサイズでないならエストエムとはどんな意……」
「人聞きが悪い口はこうよ」
基本的な営みに関しての知識はあれど成人皇子は耳年増ではない。
アリアはあえて邪魔をし、しつこい男の両えくぼをチョキの指で挟む。
「アーク様は嗜好の一種じゃなくて簡易魔術文字だと思ってたの」
「嗜好の一種とは、アリアも嗜むのか?」
「こぇえす、こぇ。あぃあおぅわえすっす。うしとこぇ」
簡単に自由になれるはずのケイリィは不明瞭な発言でアリアを指さす。
彼女の髪の毛を払うだけで首を噛み切りかねないドラゴンの前とあり、わきまえている。
縦長の刑に処された口が『これです、これ。アリア嬢はSっす。無視とこれ』と動いていたのは、主導権を物理的に握ろうとする指の持ち主には伝わった。
しかし、部下の柔軟な口元に対抗するため、「私の唇を縦にすぼめるには……」とアリアへの売り込み方法を考えるのに忙しい男に、ケイリィの意図をくみ取る余裕はない。
「なんとなくでも知ってるなら、やんわり教えるけど、ただの音しか知らない状態なのよ。ソフトに説明するのか、ごまかして後回しなのか、親の教育方針に反するかもしれないのに、わざわざ教えなくていいでしょ」
殺気もどきを放つアリアの指に力が籠もるも、ケイリィは蚊に刺されるほどの痛みも感じていない。
一方で、彼女の指先が他の男の唇に近づくのを見守ることしかできないドラゴンにとっては、すでに大ダメージだ。
「アリアが手を汚す必要はない。もう訊かないからケイリィを離してくれ。――なぜハンカチの一つも持ち歩いていないんだ、私はっ。後で切る。気にせずこれで拭ってくれ」
首を振ったドラゴンの鬣が、ふぁさっとなびく。
「ケイリィのせいでディー様が散髪なんて、絶対に嫌です。私の髪でお願いします」
「なら俺の毛をむしって使ってくれ」
ドュレイグが鬣を差し出してでも排除したかったのは、もちろんアリアの指についたケイリィの皮脂だ。
それをアリアは、助け出したケイリィの口元を拭くためだと勘違いした。自分のハンカチの存在を忘れる程度には動揺し、指が広がる。
アリアが穢れたと竜が面倒くさくなるくらいならと、ケイリィは己の毛を犠牲にすることを選んだ。
両人にばっちいモノ扱いされている自分の毛でアリアを拭けば結果は同じだと、言ってから気づいた。
そんな三つ巴の攻防に無関心に見えるユーリウスが準備を整え解決に動く。
表面を乾式洗浄できる転移陣を起動し、淡々とケイリィの頭とアリアの指を通した。
「皮脂がごっそり無くなったかもしれませんので、こちらをどうぞ」
さきほど彼が医務局から転送してもらった新品の保湿剤だ。
封を切られては受け取るしかないと、ケイリィから手を離したアリアは遠慮なく指にクリームを塗り込む。
その間にケイリィのパサついた髪は広がり、乾燥を危機的状況と判断した肌からは油分が染み出す。
皮脂を過剰分泌したせいでみるみるテカる彼を直視できなくなったアリアは、残りの保湿剤を無言で手渡した。
彼は身体能力だけでなく新陳代謝も高すぎる。
祝福がいつも期待通りの結果に繋がるとは限らないが、ドュレイグは満足した。
「ケイリィの毛根細胞が根を張れば、引っ張っても湯をかけても抜けないだろう。触れていたらアリアの身が危ないところだった」
「毛根ごと抜けなんて言ってないっす、むっつり初心殿下めっ」
肌と髪の保湿ケアに忙しいケイリィだが、なんの話をしていたかは忘れていない。
「アリア嬢も! おためごかしで乗り切れるとお思いかっ?」
「好き勝手しゃべって取り返しのつかないことになるリスク取るのはケイリィくらいよ」
「どう受け取られるか心配するより、自分自身の言葉で相手をハッとさせるのが大事っしょ」
「誰もが名言を残せると思うなんて甘い! うっかり口でやらかすべからずと、私は肝に銘じてるの」
「それなのにキス魔で、真実を知った時に子供が不信感を持つかもしれない嘘をついたと?」
何気に痛いところをつかれたアリアは腹を括って息を吐く。
「いいでしょう、罪を認めます。――権力者の家族に賄賂を渡しました。子供を傷つけないために薄い正論も言います。人のためと見せかけ己の欲望に忠実で、気に入らない相手はとことん叩きのめしたい性格の悪さ。場を流すための嘘くらい朝飯前ですわっ」
殊勝な態度で懺悔すると見せかけ語り、慣れない悪役令嬢気取りの口調で締めくくる。
「大人な対応と贈り物で私たちは喜んだ。アリアは人の気持ちを考え前に進む。どこに問題が?」
「一度満たされた欲望と実行中の復讐は蜜の味だよな。で、アリア嬢は今後も悪意のない嘘をつくんすか?」
「半分身内状態の帝族相手なら賄賂にあたりませんが、役人相手には気を付けてくださいよ?」
表情をなくしたアリアは、舌の後ろを持ち上げ喉の奥で息を勢いよく破裂させた。
「兄なら煙に巻けたはずなのに、沈黙の効果なし……しかも増えた。突拍子もないケイリィに慣れてる……」
「家族同然に接してくれたということか」
「素が出るくらいアリア嬢が慣れてきても、殿下との親密さは増してねぇっす」
余計な一言で浮きたつ気分を害されたドュレイグだったが、発言者に臨時ボーナスを与える結果になる。




