魔女の呪い
アリアは父親の傍でよく眠る赤ん坊だった。
父が特別好きだったわけでも、彼が子守りに長けていたわけでもない。
剣を持てばその重みで腕が折れる学者肌の父。目が開いたばかりの娘に、大人でさえ理解が難しい話をしていただけ。
それは地球で生きた記憶の一部と、前世に由来する自我を持つアリアにとっても、たいてい眠気を誘うものばかり。
一人で動き回れるようになるまでは、転生者といえどただの赤子。もっぱら周りの人間観察と聞き役をして過ごした。
子供の発育に役立つものを知らない父とは違い、母は絵本に始り帝国の歴史など、さまざまな話を娘に聞かせた。
抑揚をつけた臨場感たっぷりの声で。
――はるか昔、国々が乱立し、魔獣の脅威も大きかった頃の話。
小国ながら、ずば抜けた軍事国家として恐れられ、大陸全てを手中に収めんとした我が王国に異変が起きる。
血気盛んに侵略の指揮をとっていた王を筆頭に、王位継承権を持つ者は、それはそれは恐ろしい魔物の如き姿へ変貌したのだ。
強き王は欲の権化かと思わせる巨体の魔獣となり、自国の民でさえ恐れ戦いた――。
『偉大なる王よ、なぜに謝りに行かなかったのか』
王が魔女の機嫌を損ねたせいで呪いをかけられたと聞かされた幼児は心の中でツッコんだ。
『頭を下げても許してもらえず、魔女討伐もできなかったの? 魔女、最強説』
いつも同じ所で渋い顔をする一歳児を面白がっていた母も、まさかアリアが小難しい話を理解していたとは思ってもみなかった。
◇◆◇
アリアの疑問は少し大きくなった頃に読んだ歴史書が解決した。
後に初代皇帝となる件の王が『命や知能に問題がない』と異形のまま侵略を再開し、むしろ効率が上がり嘲っていたと記されている。
「なるほど。じゃあ王はお礼参りを忘れたのかな」
歴史書がいつも正しいとは限らないが、アリアは大人顔負けに憐憫の情を禁じ得なかった。
「天下を取る傑物に、常識という名のネジがハマる穴はなし。常人に異形の呪いは辛かろうに」
良くて四肢動物、悪くすれば二目と見れない異形たち。将来的には自分たちの種や腹からも生まれてくる。
帝国となった国の未来を担う次世代の母たちや、呪われた多くの者が気狂いしたとの一文に、アリアは頬を膨らませた。
「カッコいい異形も、カワイイ異形もいたはずなのに……」
個々の感想は別として、帝族の婚姻、姦通、離縁などにより、直系の帝位継承権を持つ者だけが呪われる法則に人々が気づいた。
「これは、帝族離脱の結婚ブームが起きるな」
アリアの安直な推理は、ページを捲った先で大外れする。
『もとより男児優先。我が子が皇女であったなら、その子には未来永劫、継承権はないものとする』
妊娠中だった妃の一人が、己の命と義祖父の名にかけて誓った。
「帝国の建国者を持ち出すなんて、結構、マジで、血の涙を流す勢いだったことでしょう」
さもあらんと、頷くアリアの推測は実は大正解。
珠のような女児が生まれ、他の妃も異形となっていた皇女たちも、こぞって同様の誓いをたてた。
もちろん、この誓いに胎児の性別を選ぶ効果はないが、跡継ぎを生むべく輿入れした妃の多くが娘を望んできた。
「初代皇帝が女だったことにしたら男女の立場が逆転したかもなのに。歴史を改ざんできる男はいなかったかぁ。――いや、女性側が上手だったのかも。実は女が強い、隠れアマゾネス帝国……?」
◇◆◇
きちんとした教育を受ける前のアリアの憶測はさておき、男児のみが異形で生まれてくるようになった頃、帝位継承者は直系男児のみと明文化された。
しかも兄弟の中から皇帝が決まり次代の跡継ぎが生まれるまで、皇子たちは帝位継承権を手放せない。今でもそう定められている。
参考資料を読む家庭教師の口が止まったタイミングで、アリアはコメントを挟む。
「法で禁止するほどなら、一回、皇子全員、逃げたってことですよね」
「その通り。第十五代皇帝陛下の跡取りたちが我先にと帝位継承権を放棄しました」
「堂々の不人気職業第一位かぁ」
「残念ながら、元帝族の方々は呪いから完全に解放されるわけではありません」
なんらかの理由で傍系が玉座に就けば、そこが直系の始り。本人とその息子たちは異形へと変貌を遂げるので、呪いは脈々と続く。
「いつまた異形に戻るかわからない。髪は抜け落ち、頬はこけ、逃亡犯の如く隠れて過ごした者もいたとかいないとか」
「帝位の押し付け合いの始りですね」
「回答は控えさせていただきます」
「はい、真面目な質問です。帝族は生贄なんですか?」
「質問の意図と自分なりの考察をレポートにまとめて提出してください。期限は明日までです」
しれっと課題を増やされたアリアは、カレンダーに予定を書き込む家庭教師に、『領地産ハンドクリームを一か月間ずっと塗りこまないと、指の関節の皺が深まる』というささやかな呪いをかける。そんな能力はないが。
このように、呪いと解呪方法はセットが基本。
異形の呪いを解くのは『乙女の愛の口づけ』だと言い伝えられている。
言うまでもなく、呪われた一族に嫁ぎたい女性はほぼ皆無。
異形の帝位継承者たちの婚約者探しは難航する。
婚約破棄が前提と言っても過言ではないのにだ。
「ある意味、嫁除けの呪い」
「呪いが解けた皇子はモテモテ、帝国一の花婿候補に躍り出ますけどね」
呪いが解けた皇子は玉座に近づくが、呪われたままの皇子が皇帝となれば、妃は異形との子作りが義務となる。
どれだけ富や権力を得ようとも、愛情深い親は娘を生贄のごとく差し出さない。
血も涙もない親でも、皇帝が決まらないまま異形を婿として迎え入れる賭けは避けたがる。
「先生、待ってください。そういう親なら、虐待してる気に入らない方の娘に異形の婿を取らせて、可愛がってるほうの娘と甘い汁を吸うと思います。そして離れで暮らすうちに仲良くなった娘夫婦が、溺愛ザマァ展開に持っていくって相場が決まってるじゃないですか」
アリアが手を上げて力説したところ、歴史と教養を教える家庭教師(当時三十代、彼氏なし独身)に鼻で笑われた。
そして、課題図書が増えた。
皇子への成人祝いとして口づけを贈ることを貴族女性の義務とした、とある皇帝の一生が書かれた伝記本。
呪われていても『愛せそうな者』や『血筋が残せそうな者』を、それが無理でも何かしらのヒントを探すため。
まずは独身かつ婚約者のいない、妙齢の貴族女性たちがキスを贈る。
その次は婚約者のいる女性や既婚女性。対象年齢を意思の疎通ができるところまで上げ下げしても駄目なら、さらには身分度外視で希望者が招かれる。
「どれだけ渋ろうが、体調が悪かろうが、貴族女性であれば遅かれ早かれ城からの召喚状とご対面ですからね。登城しなければ皇子が家まで来ますよ」
他に気を取られ後回しにしそうなアリアに、教師は釘を刺し続ける。
「珍しい異形と会えるチャンスを無駄にはしません。私の番までに解呪されてしまえば仕方ないですけど、その時は絵で我慢します」
「あなたはそういう子ですね」
教師は鼻の付け根を指で押さえた。
貴族令嬢を教える家庭教師たちの一番の使命は、女性貴族の重要な義務を教え子の魂に抜かりなく刻み込む事だと、教え子たちも知っている。
辺境伯家の令嬢は苦も無くやり遂げるだろう。むしろ、嬉々として異形の皇子に口づけしそうだ。
そう信じている彼女の両親や本人は、口づけ回避方法の伝授を省く許可を出している。
ただ、寄り道している間に、義務を果たす意思なしとみなされ、うっかり国外追放されそうだと心配させる何かがあると、常々言われてきた。
「何度でも言いますが、いいですか。正式な手続き――令嬢本人が皇子本人の前で見返りを伝え、皇子本人が令嬢本人に可否を伝える――なしで贈り物を拒否しようものなら、国外追放一択。コリドラたちに会えなくなるのが嫌なら、絶対に皇子と対面しなければいけません」
「いつ聞いても、全か無か過ぎません?」
「庶民の私としては、お鉢が回ってきてほしいくらいです」
「先生はもし皇子さまの婚約者になったら、国政の向上に寄与するんですか?」
「一年間の強制婚約期間中、外では栄華を謳歌し、家では三食昼寝付きマッサージライフに突入します」
教師の隠し持っていた俗物な一面を垣間見た。
「大丈夫です、先生。いつの世も人気の小説では、婚約や結婚時に偽装契約したカップルは高確率で前言撤回します。皇后陛下も夢じゃないですよ」
「私は自分の面倒だけ見て生涯独身でいられるよう仕事に励んでいるので、興味ありません。そういうのはお嬢様がおやりなさい」
「ふぅ~、視覚に訴えかける補助資料を添えた統計結果を出せとか言われなくて、セーフ」
「お望みなら追加しますよ?」
「もう胸やけ気味です」
サバサバハキハキした家庭教師と人生二回目のアリアはなんだかんだと気が合った。
彼女のおかげで、結局召喚状を受け取るはめになったアリアでも『遅れるが贈る』旨の返事をきちんと出し、義務を果たす気ありますアピールを忘れなかった。
そうして遂にやってきました、アリアの欲望を満たすついでに皇子へ口づけする日が――。




