辺境の灰色狼
「トカゲ、ムシ、クモ、イヌ、スライム。元ナメクジの赤子か」
客に気づいた異形たち。一緒にいる少女は娘ほどに年の離れた彼の妹だ。
遠目にも異様な光景だが、辺境伯が気になるのは実家と婚家の距離のみ。
魔の森に隣接している辺境では魔生物を討伐する機会も多く、領主は重要な役割を果たす。
成人と同時に跡目を継いだヴォルグは『魔を狩る灰色狼』と呼ばれ、辺境の守護を担うにふさわしい猛者であった。
どちらの覇者ですかと訊きたくなる、がっしりした体格の無骨な漢。
一見さんなら、笑っていた子は笑顔を忘れ、泣いている子は涙を増やす。
そんなヴォルグはずっと「自分が倒した魔獣より弱い男に妹はやらん」と言ってきた。
彼の手にあまる魔獣すら倒せるだろう第一皇子なら完璧だが、当主は妹の縁談に特段乗り気ではない。
「アリア」
「リア」
主催者と客人にほぼ同時に名を呼ばれたアリアリアことアリア。
懐かしさを胸に声の主たちを視線で追いかけ、兄にたどり着くと目を細める。
「ようこそ、お兄様」
「久しいな」
「約一年ぶりですね、お変わりなさそうでなによりです」
「お前もな」
帝族の婚約にともない、女性の保護者と皇子の顔合わせが行われるのは当然だ。
無礼講なら不遜だと思われがちな兄でもなんとかなるだろうと、アリアは最速で場を整えた。
異形の兄弟が勢ぞろいなのは、アリアの中では兄に対して諸々をごまかすためで、ドュレイグにとってはアリアに勘違いを気づかせないため。
「みなさま、エルムガルド辺境伯家当主のヴォルグです。お兄様、皇子殿下たちです」
ずっと聞こえている唸り声を無視して、アリアはそれぞれの名前を紹介していった。
誰が誰の婚約者かは誰も触れない。
来訪を感謝するドュレイグの言葉に、ヴォルグは「はい」とだけ返し目礼した。
臨戦態勢に突入している警戒心あらわなフェナリスの態度にもヴォルグは頓着しない。
地面に敷かれた大きな布に座る妹の横、空いてるスペースにドカッと陣取る。
「んぅ」
驚きに怯えをまぶしたグラウクスが、ぎゅっとアリアの左腕に抱きつき身を隠す。顔を隠して背は隠さず状態だが。
小さな右手を自分のそれで包み取ったアリアは、自分の兄だとわかれば気持ちがほぐれると期待して、丸まっている身体をゆっくりと開き直す。
「グラウ様の」
まずは胸を一緒に、ぽんぽんぽん。
そのまま二人分の拳を兄皇子たちに向け、拍子を取りつつ、
「にぃ、にぃ、にぃ」
五人分だと多すぎる。単純に字余る。
「にぃ、にぃ、にぃ、にぃ、すぅ~」
しかし、真似っ子で気分が上がるなら、リズム崩壊など関係ない。
一拍おいて、今度はヴォルグ、アリア、ヴォルグの順で重ねた拳を向ける。
「こっちは、あぃーの、にーですよ」
「あぃー。にー」
中途半端に混ぜたせいか、楽しそうな幼児はグラウクス語だけ抜き取った。呼び名に合わせてアリアを軽く叩き、隣のドラゴンを指さす。
アリアは指先を閉じた左手をヴォルグに向け、グラウクス語のみでもう一度試してみる。
「あぃーにー」
「あーにー?」
アリア兄という意味でくっつけてみたら、舌ったらずのグラウクスは別人の名前を呼ぶことになった。
「あぃーにー」
「あにー!」
ある意味、惜しい。ある意味、正解。
言えた気になっている様子が微笑ましいので、聖母の仮面をかぶったアリアは頷いておく。
勇気づけられたグラウクスは強面の侵入者を受け入れる一歩を踏み出した。
「ぁにぃ……」
おずおずと下から伺い見る天使の破壊力ときたら――、斜め上からしか見られなかった己の不運と、自身の持つ表現力の乏しさにアリアは泣きたくなった。
直視した兄の記憶をいただくことを心のカレンダーにデカデカと書き込むと、アニーの愛称を譲ってしまったことが悔やまれる。
「アーニーに『性名』変更したい……」
「リア」
「はい、ごめんなさい。もうしません」
「たとえアリアの名や性別が変わっても私の気持ちは変わらない」
兄の低い声を聞き、すかさず謝ったアリアに横から口説き文句が届いた。
グラウクスが名前を呼んだ初めての人になりたいアリアと、隙あらば仲の良さを見せつけたいドュレイグはさておき、末っ子以外もヴォルグに気圧されている。
辺境伯は殺気を出していない。
それなのに、ケイリィでさえも剣柄を握りたい衝動を覚える。
無感情でおなじみのユーリウスとは質が違う無表情。全てを飲み込み無にかえす雰囲気の黒目は底が知れない。
「おい、待て待て。アリアの兄だぞ」
ヴォルグに飛びかかりかけたフェナリスをドュレイグが落ち着かせようと試みる。
「大丈夫ですよ。お兄様は噛みつかれても引っ搔かれても動じません。――フェナリス様、不安なら歯が折れない程度に噛んでみますか? こう見えて基本的には安全ですよ」
「え~、身内の発言とは思えない」
アラ二アークは兄に対して薄情な妹に呆れ、フェナリスは牙を剥く。
「……躾けるか?」
睨まれたわけでもないのに、『キャゥンッ』と鳴いて逃げたフェナリスは尻尾を丸めてドュレイグの腹の下に潜り込んでしまった。
「もう、お兄様、いじわるしないで」
輪郭がガタガタに固まっているスレィアムが兄妹をぎこちなく見比べた。
「あねうえに、……にてない」
「そうですか?」
「僕らへの否定的な反応がないところは同じですね」
「それが普通よね?」
同意を求める妹に兄は実直に答える。
「国益と恩寵の根源たる帝族に叛意はない」
「いや、オレたちこんな見た目だし」
「だからどうした」
いつもの調子でツッコミを入れたアラ二アークに、ヴォルグは因果関係が理解できないと首を傾げる。
「え、や、見てるほうの気持ち的に、なんか、その……」
異形の兄弟たちに視線をちらりとちらりと投げ、言いにくそうに言いよどむ。
怒られた気がしてというより、平気なフリをしている自分が一番 異形をコンプレックスに感じているのを見透かされた気がして、アラ二アークは気まずさを覚えた。
「魔獣でも新種でも、なんでも飼う妹だ。今さら初見の小動物にまとわりついていたところで驚かん」
奇妙な生き物の一匹や二匹 生んでいたとしてもだ、とはさすがのヴォルグも声には出さなかった。
「なんて失礼なっ、ドラゴンと甲殻と蜘蛛と狼とスライムとウミウシ似の魅力溢れるご兄弟よ! どこにただの小動物が!?」
「狩る必要がなく、馬車より小さければ、小動物だ」
小動物扱いされたドュレイグは辺境伯の豪胆さに感心した。
「グラウが成人するまでアリアには世話をかける。辺境伯もいつでも訪ねて来てくれ」
「…………」
不動のヴォルグは否定も肯定もせず、妹は意味ありげな視線を兄に送る。
一応、是か否かの返事はするが、基本的には無反応を貫くのが、普段、貴族と顔を合わせた際のヴォルグの処世術であった。
誰が相手でも敬語を使えず、唯我独尊とも取れる言動のヴォルグ。
他意はないものの、王侯貴族と言葉を交わせば問題しか発生しないだろうことを、エルムガルド領へ出入りしたことのない商人たちでさえ知っている。
現皇帝と対峙した辺境伯就任の挨拶でも、いっさい無駄口を挟まなかった。
ヴォルグの代わりに補佐官が今後の展望を述べる間、言葉少なめな皇帝とヴォルグはじっと見つめ合い、締めの「よく務めよ」というお決まりの励ましに「はい」と答えたのみ。
両人ともにがっしりした体つき。溢れ出る雄々しさに反して喜怒哀楽が乏しい顔と口ぶり。ある意味、実の親子のように似ているとしばし話題に上がった。
ドュレイグにはヴォルグが義兄になる宿命を持っているとしか思えない。
「アリアのためにも、いつでも来てくれ」
「はい」
再度の誘いに今度はヴォルグも素直に首を縦に振った。
「そうだ、お兄様、黒い花の魔生物、知ってる? 自立歩行型で知能もあるみたいな」
「ドリアレントの亜種か?」
「花が付いてる樹型のモンスターというよりは、本当に花で。今のところ狂暴さはなくて」
「どこで飼ってる?」
「飼ってるわけじゃないの。王宮で見つけて、今もどこかに……」
「放し飼いか」
「飼ってませんって」
唐突にヴォルグが指笛を吹くと、いの一番に反応を示したフェナリスが背筋を伸ばした。
「取ってこい」
無礼講とはいえ皇子を顎で使う兄がさすがにアリアも心配になった。が、命令された当のフェナリスは間髪入れずにアラ二アークを咥え駆けていった。
しばらくすると、黒い花を持つアラ二アークを背に乗せてフェナリスが戻って来る。
「よくやった」
ヴォルグは飼い主然と、無遠慮にわしゃわしゃと二人を撫でた。気づけば双子皇子はそろって地面に仰向けになっている。
フェナリスは最初腰が引けていたとは思えない懐きっぷり。異形の種族的に強きモノには従順になるのかもしれない。
アラ二アークから黒い花を受け取るためにヴォルグの手が離れると、ハッと我に返ったオオカミは照れ隠しなのか、ウィルシェルの後ろに隠れてしまった。
「……とどめを刺せる気がしない」
ところがどっこい、花首を無遠慮に握られ、道管と師管が一本になりかけの黒い花は、余命いくばくもない気持ちを味わっている。
どうにか根っこでアリアの髪にしがみつこうともがく花は、彼女にとってかわいそうな庇護対象になった。
「異質だ。斬っておくか?」
「城のモノを勝手にお星さまにしてはダメです」
健全な生き物の生育には助け合いによる住環境の維持と向上が必須。アリアは動物だけでなく植物にも優しくありたい。
解放してやると、黒い花はヴォルグと皇子たちを睨むそぶりをして、一目散に逃げていった。
「手に負えなくなる前に、対策しておけ。――手に負えないといえば、赤子の世話ばかりだとコリドラが暴れるぞ」
護身ができない子供はすべて赤ん坊だとヴォルグは認識する。いまさら細かいことを訂正する気のないアリアだったが、魔生物に関しては兄に全幅の信頼を寄せていた。
「お兄様たちなら、なだめられますよね?」
「多少被害が出る」
乗ってきた青コリを最後に、アリアの姿を見たコリドラがいない。旅の荷物も預けっぱなし。
嫉妬や寂しさ、パニックやらで、各地のコリドラたちに浮足立つ気配が濃くなっている。
「近いうちに顔出します」
「帰ってくる時は、一匹もらってこい」
「殿下の意思に反してもらえるわけないでしょ。それに、もらうモノはもう決めてるの」
「……領で描かせろ」
婚約破棄した暁には、絵を持ち帰る算段なのがバレている。
負けを認めたアリアは悔しげに嘆く。
「後でもらえるご褒美では、今の欲望にはあらがえない。絵が手に入ると脳が知ってしまった今、我慢なんてしたら絶対に禁断症状がでる……。さわりだけ、途中まで、一回だけ。ズルズルと言い訳かさねて、なにがなんでも絵を描かせてしまう自分を、止められる気がしない」
「……領で描き直させろ」
「ご本人たちだけでなく、これから見つかる同士たちとの語らいで足される思い出という名の付加価値……初版を手放すことなど可能にあらず」
「そうか」
饒舌に、独特な語り口調で奇抜な言い訳をし始めれば最後、妹の説得は難しいと知っている兄は一度試して無駄なら、そっとしておくと決めている。
跡継ぎ確保をもくろむヴォルグをけむに巻けたアリアはほっとした。
平凡令嬢には「結婚できません」と断った相手に「ご兄弟をください」とは土下座をしても、とても言えない。
「家族と話す時は雰囲気が変わるな」と感想を述べたドュレイグに言うべき言葉は別にある。
「実家に帰らせていただきます」




