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階層紀元7世紀 流砂のテーゼ  作者: 三科享史
第一章 沈みゆく都市
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第9話 ベルメト山再調査-②

「おお……酔った親父が暴れ回った後の部屋みてーだ。大自然が」


 というイグロスの感想は、一旦途方に暮れたくなるような気持ちを的確に表していた。木が薙ぎ倒され、地面が大きく凹んでいる。恐ろしいのは、これがたった一回の暴力によって生み出された光景だと一目で理解できることだ。


「穴、というよりはすり鉢状だが、これも飛竜の魔法による破壊なのか? ……恐ろしいな」

「もー……、嫌すぎ」とリエネが泣き言を言う。「レゾン君なら魔物の位置遠くからでも分かるんでしょ? さっさと帰ろうよ」

「残念だけど、それほど広い範囲のことが分かるわけじゃない。……そろそろ気を引き締めろよ。ここはもう明確に飛竜の縄張(ナワバリ)だ。羽虫が入る分には気にしないだろうが、羽音を立てると嫌われる」

「へいへい」

「前から思ってたけど、最近はもうイグロスよりレゾン君の方がリーダーっぽいわよね」

「おーいおい機嫌が悪いな、こいつ。遠出は苦手なんだろーが、無理して来なくてよかったのによ」

「バカ!」

「うおっ」

「バカバカバカ」

「テミさん、あんたがリーダーをやらないか。リエネ嬢が我々の手に負えない」

「仲良いね〜ホント」


 レゾンの提案は半分本気だったが、テミテミはやはりのほほんとしていた。結局緊張感は生まれなかった。

 四人は更に山奥へと進む。魔力の気配はどれも落ち着いていて、飛竜の統治による均衡が再び戻ってきているのだと分かった。その点、ギラムには良い報告ができるだろう。

 しかし、飛竜と不届き者との戦いはあの時感じた以上に激しかったらしい。至る所に残った破壊の痕跡に、一行は圧倒されるばかりだった。


「……飛竜は何と戦ったんだ? 荒れてる範囲がデカすぎんだろ」

「[雷を下す飛竜《パルカスト・ルナ・グォム》]が激しく『雷を下す』のは、周りにチョーシに乗るなって怒る時だからね」とテミテミ。「飛竜を刺激したのがどんな魔獣だったとしても、その魔獣がミンチになって、森に穴がたくさん開くのは変わらないのよね」

「飛竜の相手が群れだったとは限らない?」

「うん、まだ分からないと思う」


 もどかしくとも、経験のある人が慎重である時には従った方がいい。せめてどのくらいの強さの魔獣が動いたのかは調べておきたいが……。


「嫌な空気だね。抑えつけられて、誰も動けてないみたい」

「テミさんにもそう見えるか。よほどだな」


 雨季を過ぎた後の足場は、滑る危険もあるし、何より体力を奪う。イグロスは平気そうだが——。


「——待て」


 鋭い声。イグロスが弓に手を伸ばして、森の木々の奥の一点を凝視していた。反射的に、レゾンは剣の柄に手を置き、テミテミはリエネの腕を引ける位置に下がる。


「そこにいやがるぜ、魔獣が」

「何だって?」


 レゾンには感じ取れなかった。これは初めての事態だった。

 イグロスは矢をつがえ、弓を引き——そして——眉を顰めて、ゆっくりとその腕を下ろした。


「……死体だ」



 雨季の最後の雨が間に合って、血は既に洗い流されていた。それは奇妙なつるつるの皮膚を持つ獰猛な犬のような魔獣で、何か巨大な力で圧し潰されたような死に方をしていた。

 レゾンがその胸を切り開くと、手付かずの冀石が光を受けてキラリと輝いた。近くにいる相手に殺されたのなら、それが魔物であれ非魔法生物であれ、冀石があるのはおかしい。魔物は他の魔物を倒した後冀石化する前に喰らって強くなるのだし、非魔法生物は冀石を必要としている。すなわちこの魔獣は、遠くから何か強大な力によって殺されたのだ。


「これも飛竜か?」

「そうだろうな。飛竜にとっては、流れ弾程度の火力だろうが」

「びっくりしたあ。でも元々、レゾン君は冀石の気配は分からないって言ってたもんね」

「ああ……。冀石はもらっておこう。リエネさん、持っててくれ」

「う、うん」


 こんなことがあると、つくづく奇妙な能力に頼りきるべきではないと思う。レゾンは息を吐いて、周囲を改めて見渡した。やはりイグロスやテミテミの目は必要だ。


「ねえ……まだ奥に行くの?」


 リエネが怯えた声で苦言を呈する。彼女は良くも悪くも平和主義者で、危険に身を晒すこともできればしたくないという人間だ——虎穴に入らずんば虎子を得ず、などといった故事は彼女にとっては縁遠いものだろう。だが今はまさにそういう状況だった。


「行こ行こ——って言いたいところだけど、さすがにこんな場所に来て楽観してばっかりいられないよね。早くレゾン君の目的が達成できそうな穴が見つかればいいんだけど……」

「さっさと中央に行かねえのか?」

「痕跡のある地帯の外周をまわってめぼしい場所にあたりをつけられたら、それ以上のことはない」

「てめーならもっとギリギリ攻めれンだろ」

「無茶を言うな、相手は飛竜なんだぞ」


 言いつつ、レゾンはベルメト山の簡易地図の写しを取り出した。仰向けにし、「この辺りに気配を感じる。だから奥に行くルートは……」と指を乗せる。するとテミテミが何かに気付いたようで、レゾンの言葉を遮った。


「待って、レゾン君——もしかしたら……本当にそれが原因かも」

「ん?」


 それ、とは? レゾンはテミテミの真剣な面持ちを見て、彼女の言葉を待つ。


「レゾン君は、魔力の気配が分かるんだよね? それで今は魔物を避けてる」

「ああ」

「でも、やっぱりおかしいのよ……飛竜が暴れたのは一週間ちょっと前でしょ? ——この山の麓に近づいてから、ウチにはちょうど、一週間以内くらいの新しい中型以上の動物の痕跡が全くないように見えるの。全(・)く(・)っていうのがおかしいのよ。だって——」テミテミはレゾンの指と同じ箇所を指して眉を顰める。「飛竜に睨まれて身が竦んでるんだとしても、複数の魔物がこんなところで一週間も動かないなんて……考えにくいもの」

「!」


 そう言われて、レゾンは改めて地図を見て気付いた。レゾンが魔力を感じたと指した場所は、開けた斜面や、急峻な岩肌の続く地帯を含んでいた。もちろんそういった環境に適応した魔物もいるだろうが——、テミテミの言う通り「全く動いていない」のだとするとあまりにも不自然である。少しでも飛竜の魔法から身を守ろうとするならば、彼らは巣穴や遮蔽物に身を隠すべきだろう。


「じゃあ、何? 私たちが避けてるのは全部死体だったってこと?」とリエネ。

「いや、さっきそうだったみたいに、死体なら俺には感知できない。だから……生きた魔力的存在であることは確かなんだが……。魔法植物か?」

「詳しくは分からない。でも不自然に静かすぎるのは確かだよ……」


 レゾンは「いや、信頼するよ」と彼女に言った。とすると、状況は全く変わって見えてくるのだが。


「……少し登ってイグロスに見てもらおう。一旦、気配の正体を確かめたい」

「ヘイ兄弟(ブラザー)、慎重すぎだぜ」そこにイグロスが割って入る。「テミテミは要するに、て(・)め(・)ー(・)が(・)避(・)け(・)て(・)る(・)モ(・)ン(・)こ(・)そ(・)て(・)め(・)ー(・)の(・)お(・)目(・)当(・)て(・)だ(・)って言いたいんだろ」

「それは、イグロス……」レゾンはしばらくその言葉の意味を考えた後、狼狽えた。「……それはつまり——一週間以上、雷《ルナ》の魔力が着弾地点に相当量滞留してるって言ってることになるけど——」

「おかしいのか?」


 レゾンは困惑で頭を一杯にしてしまったが、イグロスがさも当然かのようにそう問うので、まるで自分の方が間違っているかのような気がしてきた。


「いや……何も、おかしくないのかもしれない」

「だろ?」


 普通、魔法として放出された魔力の集合は一日、二日と経てば離散してしまうものだ。いや、これはあるいは「魔力沈着」とでも呼ぶべき現象なのだろうか? 雷《ルナ》の魔力はあまりに強大すぎて……魔力同士の引力が……。


「ま、見りゃ分かるぜ」

「……そうだな。見に行こう——全員、引き続き飛竜への警戒も怠るなよ。これまで飛竜は多くの魔物を含めた動物たちと共存してきた。魔物が完全に動きを封じられているとしたら、この地帯の秩序に変化があったということだ。都市に影響が出るようなら報告しないと」

「何か見つけたら言うよ!」

「もし危険なら、その報告で〈昇梯《メタナスタシス》〉を急かせるじゃねーか。よかったな」


 イグロスがレゾンの思考を読んだように言う。しかしレゾンは既にそのような悪い考えを済ませていたので、それに反論する用意ができていた。


「大きな説得材料の一つにはなる。俺はあくまで、積極戦略として〈昇梯《メタナスタシス》〉したいんだけどな。——こっちだ。一番ましな魔力がある」


 レゾンは一度立ち止まって南東を指差した。横目に見たリエネの顔色が少し悪いが、ここまで来て彼女に配慮することはできない。


 森が深くなり、足場の傾斜がきつくなる。レゾンはやはり何かいるのではという胸騒ぎを抑えられなかったが、テミテミの言う通り、獣の活動した気配は全くない。イグロスが欠伸をする。レゾンの手は柄に触れている。何も起きない。

 魔力の気配の感じ方は、「肌で感じる」という表現が最も適当だろう。レゾンにとってそれは、嫌な予感という抽象的な感覚が大気中で感触を得たようなものだ。強い魔力の気配に向かって近づいていく時、レゾンは物理的な息苦しさすら覚える。


「……そろそろだ」


 息苦しさとは裏腹に、レゾンの感覚は研ぎ澄まされていく。風の流れ、葉の動揺、そして殺気を見落とさない。

 ——果たして、その魔力の気配の源を見たときレゾンは、これまで見た破壊の痕跡のどれもが雷《ルナ》本来の力によるものではなかったのだということを全身で理解した。


「これが——[雷を下す飛竜《パルカスト・ルナ・グォム》]の……」


 絶句する。ジャラの木ほどではないが、建物三階分はあろうかという大穴! 土や木々、岩石までもがその火力に負け、周囲に飛び散っている。

 自然の中にいきなり現れたそれに近づくと、レゾンは全方位から肉食獣に睨まれているような気分になった。何でこいつらは平気なんだ、と、単に光景に圧倒されているらしいイグロスたちを見る。自分は……この魔力の向こうに飛竜という強大な魔獣の気配を感じ取っているのだ、と、レゾンは思った。


「こんなん食らったらひとたまりもねーな」

「何を当然なことを……」イグロスの言葉で力が抜ける。「それより、本当に雷《ルナ》の痕跡だったとは。——そうすると魔物の分布図は大きく変わる可能性が高くて、ここ以外に大穴がある可能性もまた高いってわけだな。もっと深いのがいい。もう少し探ろう」

「オッケー!」

「ああ、でも、一つ問題が——」


 レゾンは調子を取り戻そうとしたが、すぐにそれに気が付いて思わず頭に手をやった。


「雷《ルナ》の魔力が残ってるせいで、地中の魔力が全然感じ取れない。これじゃ本末転倒だ……」

「あちゃあ」

「はあ? どうにかできねーのか、それ」


 イグロスが白い目で見てくる。イラついたが、世界の真相を知ろうとしない人間には人間の力ではどうしようもない壁にぶつかることなど想像がつかないのだろう、と哀れんでおくことにした。


「魔力の除去に使える植物って、何かなかったっけ?」リエネが帰りたそうに言う。

「それは下階層から持ち込まれた秘宝だ。ギラムの中で厳重に管理されてる」

「レゾン君でも持ち出せないの?」

「俺に権力はもうない。それに、一回都市に帰る時間があれば魔力はそもそも大分散るだろ。そうだな……、せめて土のサンプルを採って離れることにしよう。方法は、少し考える」

「おいおい正気かよ、めんどくせーことになったな」

「仕方ないだろ」レゾンはまたため息を吐いて、次の大穴を目指して歩き始めた。「いい場所を探しつつ、魔物がどうなったかの方をメインで調査していこう」

「ういー」「はーい」「…………」

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