第44話 四人編成
レゾンは魔力沈着の起きている地点に向かった。トウェンの言っていた通り、辺り一帯の土が木を含めて混ぜ合わされて、その上にこの六日間で降っただけの薄い雪が積もっていた。
「今日の昼までだからな」
「ああ、助かる。ジグマ」
ジグマの[絡め取る荊豆樹]は、やはりレゾンの[大地を泳ぐ蛇]の影響を堰き止めるために最も有効だ。早く階層を見て回りたそうなこの男を引き止めるのは悪いが、練習に付き合ってもらう。……付き合ってくれるということは、この男もあれでわりとレゾンのことを認めてくれたということなのだろうか?
レゾンは地面の雪を除けて、直接土が見えるようにした。鱗のついた手が悴む。息を吐きかけて温めていると、「はい、これ」と後ろから少年の声がした。
この階層に来てから作ったのであろう、皮の手袋。それを差し出すのは、短く広がったくすんだ金髪にそばかすの肌の少年だった。睫毛は長く、顔の骨格が男にしてはすっきりしていて鼻が高い。キィル族ではなくイト族に見える。キュミルより一回り年下だろう。
「これ、使っていいのか?」
「ん、カヤが今全員分作ってんの。アンタのは内側を補強した特別仕様ね」
カヤはのほほんとした感じの亜麻色の髪の女性だ。知っている。
「それはありがたい、後で礼を言っておかないとな。 ——君は? まだ名前を聞いてないな」
「リーデ」
彼は答えて、ジグマの隣に座った。見物するつもりらしい。
レゾンは土に通る魔力の気配を拾いながら、彼の姿を横目で見た。
「リーデ、不躾かもしれないが、君の両親は誰だ? イト族にいそうな容姿だ。名前は……シィアらしいが」
「見た目で分かる? きも」彼にはキュミルの口癖が感染っているようだ。つまり、きも、は正解を意味する。
「それは、数百人のイト族を見てきたからな。俺もティタ族の家系だが、母がイト族だ。都市ではシュカ族とイト族が人口の多い有力な二柱だった」
「ギラムとかいう所のことは何も知らね。自分は捨てられたんだって」
「そうか……。一体どこで?」
土は思ったように動いてくれない。沈まないようにすることはできているが、必要以上のことはできないのか?
「第34階層の砂漠のど真ん中で。要するに、ママが赤ん坊だけ〈昇梯〉させたんでしょ。ご丁寧に『オーティ』ってダサい名札まで付けて」
「そう言や、リュキアがどこで君を拾ったか、地図に示したのは——レゾンを拾った辺りだな」
ジグマがそう言うので、レゾンはハッとして顔を上げた。あの時、レゾンは生き残りを探すためギラムの座標を目指して歩いていた。——恐らく同じ思考に辿り着いて、ジグマと目が合う。
「十二年前の話だ。エルメと仲良くなりたての七歳のリュキアが拾ってきたんだ」
「……リーデ。ギラム人の一人として恥じ入るばかりだ」
「……? あ」リーデは少し考えて気付いたようで、怪訝そうに首を傾げた。「もしかして、アンタの言うギラムが自分の生まれ故郷だって話? 別にいって。どーでも。シィアに拾われて毎日サイコーだし。アンタも分かるだろ?」
「気持ちは分かるが、被害者本人が気にしていないと言っても加害者に罪は在る。そういうものだ。……考えたくないが、他にも何か捨てられてたんだろうか」
「その辺りを掘り返したって話はないな。ハッ、惜しいことをした。面白えもんが見つかったかもしれねえのに」
「確かめる術はない、か。……まあいい、重要なのは未来だ」
リーデは幸運だった。しかしシィアはどこにでもはいないし、全員が馴染めるわけでもない。そもそも赤ん坊だけを〈昇梯〉させようなどという発想に至らないような社会であるべきだったのだ。
ギラムは〈大浸食〉を抜きにしても決して理想郷ではなかった。レゾンは胸の奥に、このことを深く書き付けた。
「——ジグマ。出力を少し上げてみる」
「分かった」
レゾンは自分の手のひらを裏返し、手首の血管を見た。エルメが軽くレゾンを拘束した時にそうだったように、現在レゾンは足場を魔法で固めているが血が光っていない。蛇の魔法の本領はここからのはずだ。
「〈幻鎧〉、[大地を泳ぐ蛇]——」
レゾンは唱えた。大燕の〈幻鎧〉を使っていた時の感覚を思い出して、全身の魔力を活性に——。
「……う⁉︎」
ズキ、と頭に痛みが走り、よろめく。
「レゾン」
ジグマが立ち上がるが、近寄らないまま魔法を使う。レゾンの足元から小さな荊豆樹が生えた。レゾンは足がずぶずぶと沈んでいくのに気付いて、その樹に捕まった。手袋越しなせいで魔力が微量しか吸われない。
とにかく液状化した足場を元に戻さないと。レゾンは足を上げて、一歩ずれて慎重に足を置いた。手首の血管は光っていて、白い鱗にその光が絡んで、癪だがこの世のものとは思えないほど美しい。視界良好。問題はない——。
その時、通りがかったキュミルと目が合った。彼女は目を大きく見開くと、ぴょんと大股で跳ねて叫びながらこちらへ来た。
「え——っ何それ何それなにそれ⁉︎」
「……?」
キュミルは[氷を生む精霊]の〈幻鎧〉を展開し、器用にも溶けた地面をふわりと越えて目の前まで飛んできた。
「何だ、キュミル」
「えー自分で分かんないの?」
キュミルはニヤニヤすると、レゾンの手を取って持ち上げた。レゾンの目の上のあたりに。
「ツノと尻尾、生えてる」
「……は?」
手袋越しに、その硬いものはあった。力をかけると、その重さは頭に伝わってくる。
「…………」
「かわいー! 触れる! スゴ‼︎」
レゾンはぽかんと口を開けて硬直してしまった。キュミルが無遠慮にツノを撫で回し、背後に回って尻尾を——尻尾⁉︎ 恐る恐る見下ろすと、レゾンが体を捻ったのに合わせて、何か重たいものがズリ……と雪の地面を擦った。白い鱗。蛇の尾だ。
「おお、かっこいいかも」とは、リーデ。
「それも実体か。相当だな」
今魔法を暴走させたらキュミルたちが危ない! ——皮肉にも、その危険信号が脳に走ったことがよかったらしい。意識が急速に冴えていく。
地面のさざ波が止まる。レゾンはふらふらと飛ぶキュミルの脇を掴んで、そっと地面に下ろしてやった。冷や汗が止まらない。
自分の姿が今どうなっているのか、想像すると途方に暮れてしまった。鱗だけでも異常だったのに、ツノに尻尾。魔力で瞳も光っているだろう。ギラム人からの心証は悪いどころでは済まない。
「お、安定した? 相変わらず慣れるの早いね〜」
「……はあ。危険だから離れろ、キュミル」
「えー、つまんないの」
キュミルは唇を尖らせて、ふわりと上昇して荊豆樹の枝の上に着地した。〈幻鎧〉を消してしゃがんだ姿勢で、揶揄うように頬杖をついて上から眺められて、少し懐かしく思う。イグロスも樹上で落ち着くタイプだった。
「もっとさあ、攻撃っぽいことしてみてよ」
「なんて危ないことを言うんだ。今は移動が大問題なのに」
「でも、一旦大胆に使ってみないと分かんないじゃん?」
「…………」
それは単なるでたらめな発言ではないのかもしれなかった。だって彼女は幻鎧士としては先輩だし、他の幻鎧士たちのことも見てきたのだから。
レゾンは人のいない方に向いて、直線をイメージして魔力を展げた。
「————」
「お」
次の瞬間、魔法がその直線を伝って、地面が割れた。罅が入ったように雪の隙間から黒い土が覗いている。……なるほど、先に魔力を展延して、それを魔法に変換することによって大地の形を変えることができるのだ。
「……農地を耕すのに使えそうだな」
「え、そこ?」
「それだけじゃない」
進行方向の地面に予め魔力を通す——いいかもしれない。ではどのように? 連続的な変化が望ましいのだから、流体か。元々『大地を泳ぐ』と呼ばれていた魔獣の力だ。
足元の土を柔らかくして、半歩前に踏み出す。そして——そのまま足を押し流すように——。
「うわっ‼︎」
バランスを崩してしまった。体ごと視界がぐらっと傾き、立て直せずに尻餅をつく。転けるなんて何歳以来か。重たい体は雪を散らして、衝撃が骨に響いてみしみしと痛んだ。
「……ってて」
「大丈夫ー?」
「ああ、……この方針で練習するよ。地面を滑る」
「面白そう! 乗せてよ」
「上手くなったらな」
「やった! ——そういえば、レゾンくんについてくメンツどうするの? エルメと別で行くんでしょ? 一人じゃ可哀想だし、何人か乗せてもらおうよ」
「乗せてもらうって、俺にか⁉︎」
「自分も一緒に動こうかな。自分を捨てた奴らがどんなのか見てみたいし」
リーデは乗り気のようだ。子供二人の体重は、確かにレゾン自身の体重と比べれば軽い。しかし大変な旅路になりそうだ……。それ以上に心強いが。
と、その時、もう一人こちらに近づいてくる足音がした。
振り返ると、そこにはまだ話したことのないシィアの一人が無言で立っている。目元以外に布をぐるぐる巻きにした格好——これは砂漠で見かけた時と変わらない。体格は良い方だ、男性だろう。髪色は分からないが瞳はぱっちりとしていて、血が透けたような赤色の虹彩が印象的だ。見えている範囲だけでも皺が濃いが……形と深さが加齢にしては不自然だし、痣のように赤くなっているから、何かの怪我の跡だろう。訳ありかもしれない。
「あんたは——」
「お、イヴンも興味ある? 珍しいじゃん」
リーデが驚いたように、しかし納得した声で言う。
「レゾン、こいつはイヴンな。アンタと同じ途中参加だって——第33階層の頃の話らしいから自分は知らないけど。怪我しててあんま喋れねんだって」
「そうか……第33階層か、興味深いな。意思疎通はどうやって取れば?」
「テキトーだよテキトー。あ——でも、そうじゃん、イヴン、文字読めるんだった」
「——へえ? 一人だけか?」
「そうそう」
レゾンは前のめりになった。これまで、シィアの身の回りに文字というものは見かけなかった。シィアの生活の中で廃れたのだろうか。ギラムに伝わるユンカ語の文字は元々、別の言語の文字を崩して当てはめたものだった。シィアはそれが定着しないうちに別れた集団なのかもしれない。
「ユンカ語か?」
イヴンは首を横に振る。
「じゃあ、ラディン語か」
リーデの『オーティ』という名前が書かれていたのもラディン語だったはずだ。イヴンは少し逡巡した後、首を傾げたが、最終的には頷いた。
「——それはいい! 何せギラムの公用語だからな。一番使い慣れてるんだ」
「イヴンもレゾンと一緒に来たい感じ?」
リーデが訊ねると、イヴンはまたこくりと頷いた。レゾンはもう一度イヴンのガタイを見て、額に手をやる。困った。
「……嬉しいが……三人背負えと?」
「がんばれ! レゾンくん!」
「イヴンは働き者だ」とジグマはわざとらしく笑う。「連れて行けばガキ二人の子守も安心だぜ」
「……はあ、そういうことなら」
キュミルは幻鎧士とはいえ、子供二人預かることの責任は重大だ。それに大人が一人ついてきてくれると考えたら、確かに多少無理してでも欲しい人材だった。
*
——というわけで、南西へ向かうレゾンは、背中にイヴンを背負い、その上にリーデを乗せ、キュミルは前で横抱きにして大地を滑走していた。




