第42話 旅は道連れ-①
評価、ブックマークありがとうございます!
2000PVも達成しました。第三章の始まりはゆるめですが、これからも面白くしていくのでよろしくお願いします!
岩は蛇の魔法に馴染むのか異様に座り心地が良く、シィア新作の料理はモチモチして木の実の香ばしさがあり大変美味だった。聞けば第33階層以前の知恵の合わせ技だと言う。いったい移動し続けるシィアのどこにそんな資料があるのかと問えば、昔から手遊びの時に口ずさまれる歌の歌詞だといった。木の実を叩く動作のリズムに合わせて作られた歌で、今代のシィアは初めて遊びではなくそれを実践したと。
食後、レゾンはシィアと一緒にすぐにエルメのいるという方へ向かった。焚き火を離れると、立ち止まっているのが寒くて仕方がなかった。エルメは凍えていないだろうか。あの体では、焚き火で全身を温めることはできない。
「ほら、あそこだ」
とトウェンが言うなり、レゾンは必死に足を動かした。それに気付いて、座って目を閉じたエルメに寄り添っていたリュキアがすくっと立ち上がった。金色の髪は冷気を纏って鋭い輝きを増していた。
「リュキア。あの時はすまなかった、エルメを〈昇梯〉させられるかもしれなかったとはいえ……」
「レゾン」
彼女はそして、イメージに合わないほどのスタスタという早歩きであっという間にレゾンの目の前まで来た。思わず気圧されそうになって少し仰け反る。
彼女は相変わらずの無表情だったが、これまた意外な程の早口で言った。
「ありがとう。本当に感謝してる。エルメをここに連れてきてくれて」
「————」
「エルメと一緒にこの階層の空を飛んだわ。乾いていない空を。ちょっとだけ寒いけれど、二人なら寒くない」
「それは……何よりだ。本当によかった。——それで、エルメの調子が良くないって聞いたんだが」
言うと、彼女は唇を引き結んで、「来て」と言ってエルメの方へ戻って行った。レゾンはそれについて行った。エルメは薄く目を開けてレゾンを見ると、心なしか少し優しい声で短く鳴いて嘴を上下させた。
「エルメは何だって?」
「あなたに感謝してるって」
「恐縮だ。俺が勝手にやったことだよ」
「だからこそよ。あんなこと、あなたにしかできなかったもの」
その眼差しに嘘はないようだった。彼女たちはあれを功績として認めてくれたらしい。
「——エルメの体調不良はここ数日のことよ。最初は元気だった。魔力の不調ならエルメ自身に分かると思うのだけど、違うみたいなの」
「ふむ……」
「〈幻鎧〉じゃないあなたの魔法、まだ使える? 魔力が詳細に見えるんでしょう。それでエルメを診て欲しい」
「分かった」
レゾンは頷いて、瞼を閉じて魔力を活性にする。
当時はこれを魔法だと思ったが、そうではない、と今は何となく分かった。魔力の気配に過敏になっているだけだ。尚、有用であることに変わりはない。
エルメという魔獣を構成する魔力は濃密であり精緻で、その流れに淀みはないように見えた。
「……ん?」
しかしその中央——心臓のあたり——に、違う色の光があった。
そっと足を踏み出し、それを覗き込む。その光は微かに、だが確かにエルメの心臓に絡んでいた。
「——魔力じゃない」
レゾンは戦慄を込めて呟いた。魔力とは海神由来の力であるとするならば——魔力しか感じ取れないはずの今見える「魔力でないもの」とは、何だ。
海神でない、海神に並ぶものとは。
「まさか……天空神?」
自分で言って、レゾンは体が内側から痺れるような感覚を覚え、弾かれたように青天井を仰ぎ見た。
天空神は御覧じていたのか。あの場面を。海神の力を使ってでも一体の魔獣を一つの命として昇らせたあの瞬間を。だが、どんな感情で。……天空神は魔獣であるエルメを生命として認めて下さるのか?
「天空神までエルメに何かしようとしてるの?」
「確証はないし、どういう作用なのかも分からない。だが……」
それ以外にありえるか? レゾンは天空神の信徒の一人として祈ることしかできなかった。
魔力を静め、エルメに歩み寄る。レゾンはそっと彼女の頬に鱗の少ない右手を沿わせた。彼女は唸るように喉を震わせながら、その手に擦り寄るように体を捩る。
「エルメ、大丈夫か? 何か俺にできることはあるか?」
「……あなたがいると、少し違和感が強くなるって」
「そ、そうか。失礼した」レゾンはその瞬間に手を引っ込めて後ろに下がった。
「でも、悪い意味じゃないみたい」
リュキアは距離を取ろうとするレゾンの手首を躊躇なく掴んで、もう一度引き寄せた。そして自分の半身をエルメの羽毛に埋める。まるで痛みを半分引き受けるように。
「……リュキア。言わなきゃいけないことがある。あの時“海”は、俺にエルメを殺させようとしてたんだ。エルメは命を持たない魔獣であり、魔獣は〈昇梯〉しないと。だから、蛇をただ殺すだけじゃいけないと分かった」
「そうだったの」
「ああ。……この先も、エルメを〈昇梯〉させるには苦労するかもしれない」
「あなたの階層に穴を開けたの、あれはまたできないの?」
「できないとは言わないが、あの時は……少なからず、特別だったんだと思う。何がかは分からないが。神話の世界に肉薄した気分だった」
「フン、わざわざ主役の座を神にくれてやるな、バカめ」とジグマが背後で悪態をつく。
「ふ……あんたらしい言い方だな。——再現できないか、必ず練習するよ。これはエルメのためでもあるし、階層世界のルールに革命を起こすためでもある」
レゾンは再び自分の手の甲に浮かんだ白い鱗を見た。非活性状態でこれだ、この融合の仕方なら四ヶ月より長い猶予が見込めるかもしれない。この魔法はあまりに有用だ。収支は……人間離れしてしまったであろう容貌と不自由さを差し引いても、プラス。
「——シィアには第34階層で本当に世話になった。迷惑もたくさんかけた。もちろんエルメのためになることは何だってやるし、他にも恩返しになることは惜しみなくやるつもりだ。何でも言ってくれ。できる限り叶える」
レゾンは久しぶりに襟を正した声で、全員に聞こえるようにそう言った。シィアたちはいまいちピンときていなさそうにきょとんとする。
「恩を返すったって、エルメをここに連れて来た以上になんかあるか?」
レゾンは苦笑した。——共に過ごして、シィアの価値観はだいぶ理解したつもりでいる。「個人のやりたいことを妨げない」というのは、常に誰かの脱線を許せるほどの余裕を持て、そのために尽力せよ」という道徳だ。全員で脱線を楽しむからそれは一見遊びのように見えるし、気楽にシィアを名乗る本人たちにとっては実際そうだろう。しかし異なる精神性の人間がついていくには限界がある。例えば——レゾンのような。
「……俺はシィアとは違う。俺はまだ、自分の願いを他人に押し付けるやり方しか知らない。今回の件も結局はその結果だった」
なぜレゾン・オベスムは都市ギラムを救えなかったのか——その理由も、少しずつだが自覚してきたつもりだ。
シィアに同じことをしたくなかった。シィアのように魅力的な人々に仲間だと言われたら、また欲が出て何か間違えてしまうような気がした。だが、恩を返さなければならないという線を引いていればきっと、それは不正当なことだと立ち止まって判断できる。
「……君、まだ僕の言ったことを気にしてるのか?」
「ジグマ、あんたはずっと正しかった。気にしてるってわけじゃない、強いて言うなら……感心してるんだ」
「はあ、大バカめ。君、まだ何か勘違いしてるな」
「勘違い?」
ジグマは呆れたように黙った。ソデルの根を咥え直し、ゆっくりと舌全体で味わうようにもぐもぐと口を動かす。口調と裏腹に、機嫌は全くもって悪くなさそうだ。
レゾンが続きを待っていると、リュキアが引き継いだ。
「——あの時あなたは本気だった。本気になってエルメを昇らせるために頑張ってくれた人のことを、シィアはもうみんなとっくに大好きなの。当然でしょう」
「————」
本気で愛してる、と叫んだ自分の声が脳裏に蘇った。生命の命題に捧げた無償の愛だった。カニスに裏切られて以来、それが報われるビジョンは年々見えなくなっていて、あの時はただがむしゃらで、差し出し方は落第点だった。結果的な成功には意味がないと思っていた。
シィアのみんなは、リュキアの言葉に賛同するように笑顔だった。
「あなたはもうシィアよ。深く考えなくていい。不安なら——また殴り合いしてあげる」
「っは……はは、」レゾンは反射的に首を横に振ったが、笑うのを抑えることはできなかった。「……俺は元護衛だぞ。あんたはもう二回俺に腕っぷしで負けてる、それでも……殴り合いで止めてくれると?」
カニスはレゾンと弁論することを諦めていた。「優秀な味方」のレッテルは必ずしも良いものではない、と、レゾンはその時に思い知ったのだ。
リュキアは迷わなかった。
「ええ、私は一人じゃないもの。それにそもそも、あなたがちゃんと何をしたいか話せばいいだけのことよ。最初の時は私が喋らせなかった。二回目の時は、あなたは私じゃなくてエルメだけに伝えることを優先した。でもこれからは信頼と余裕ががある、そうでしょう」
「…………」
レゾンは額を押さえていた手を下ろした。
「それともあなたは悪い人なの?」
「……いや、それは、違うな」
「そうでしょう? ——じゃあ、言ってみて。今あなたが何をしたいと思ってるか」
そう言われて思いつくことは、一つしかなかった。シィアへの恩返しではない。エルメへの献身でもない。




