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階層紀元7世紀 流砂のテーゼ  作者: 三科享史
第三章 再会
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第41話 旅の続き

 ……どこかから、複数人の集まった話し声がする。楽しそうにけらけらと笑う声は、半透明の膜に包まれたようにぼんやりと遠く聞こえた。流体の一部になったような曖昧な意識の中で、その軽い泡のような音はまるで非現実的だった。


 それが現実の音だと理解するのに随分かかった。薄暗い視界が水中のようにゆらゆらと揺らいでいないことに気が付いてから、ピントが徐々に合って、横に転倒した景色が見えてくる。否、横たわっているのはレゾン自身だった。少し呼吸が乱れた。軽い咳をする。喉が乾いていた。ここは“海”ではない。


 手を動かした。重たい。見れば、レゾンの体の上には、こんもりと色とりどりの美しい布が積まれていた。少し浮いた隙間から冷たい空気が入ってきて、思わず身震いする。醒めてきた目で布の紋様を見て、レゾンは全てを思い出した。

 シィアだ。


「!」


 ハッとして上体を起こそうとして、起きれなかった。体が異常に重い。それから……服も変えられている。厚着だ。布自体は砂漠でも見たものだった。砂漠の夜のための布を、常用する服に変えたのだろうか。天幕は砂漠仕様のままだ。

 外の話し声が少しずつ近づいてきて、それと共にじゃくじゃくという足音が鳴っていた。この寒さといい——もしかしてここは、第33階層では見られなかった降雪地帯というやつか?


 天幕の入口が捲られる。外から、刺すような冷たい空気と、たくさんのシィアの顔が代わる代わる入ってきた。


「起きたか」「起きた⁉︎」「起きたのね」「おはよう!」「よかったよかった」「よかったー」「飯用意するからな」

「みんな、」


 レゾンはなんとか、肘をついて少し体を起こした。……腕に妙な感触があって驚く。気になって布を捲って見ると——手の甲からぽつぽつと、二の腕にかけてはびっしりと、褐色の腕に白い鱗が浮いていた。


「‼︎」


 強烈な魔力の気配がする。だがそれは自分の皮膚に完全に癒着していて、腕だけでなく全身に広がっていた。腹のあたり、脚、それから顔に触れると、左側の頬から首筋にかけてまで鱗が生えているのが分かる……。


「蛇の鱗だ」


 そう平然と言ったのは、ジグマ。彼らの格好も、有り合わせだろう、ばらばらの色の布や皮を重ねて厚着になっていた。彼の目は魔力で光っていて、〈幻鎧〉をいつでも展開できるようにしているのが分かる。[絡め取る荊豆樹《メーシューク・アウドラ》]、[大地を泳ぐ蛇《ネルフェ・ローレ・ドーレ》]の攻略のために誂えられた魔法である。


「……今は〈幻鎧〉を使おうとしてないのに。しかもこの鱗、実体か」

「魔力の融合度が普通の〈幻鎧〉より高いんだろうね」奥からトウェンの声。相変わらず安心するトーンだ。「おれ達が最初に見た時はもっと蛇の部分が多かった。その後少し引いて、それからはずっと変わってないよ。安定してるんだと思う」

「暴走しないなら、まあ、いいが……」

「それと、魔力量も普通より多いみたいで……起きて来れそうかい? 体が重いだろう」

「端まで来い。補助する」


 そう言って、ジグマは天幕の入口を空けた。言われた通りに端まで這って移動すると、外の地面の白いのが見えた。その白を割ってめきめきと荊豆樹が伸びてくる。

 枝はうまく棘を避けてレゾンの体に沿うと、背中からレゾンを立ち上げるようにして斜め上へ押した。


「うお、」

「足場は自分で固めろ」


 言われて、慌てて集中する。足が地面につく——と、雪はずぼ、と呆気なく踝《くるぶし》までを埋めた。皆もそうなっている——と思いきや、レゾンの足はそれ以上にずぶずぶと沈んでいった。


「ちょっ、」

「レゾンくん太ったね」

「キュミル、これは魔力で……」

「分かってるって。面白〜」


 レゾンは地面を見下ろした。……ただ重いから沈んでいるわけではない。荊豆樹の根の間、地面に自分の魔力が通っているのが分かる。蛇の魔法だ。地形を操作する。なら、歩くことができるようにすることもできるはずだ。

 レゾンは一歩を踏み出した。


 ——カカン族の実記にある雪の描写はこうだ——「陽の光を照り返し雪原は銀色に光り、小動物の足跡が気まぐれに散らばっている。間もなく豪雪と共にあの恐ろしい化物が現れる。我々は決死の覚悟で雪原を横断した」。

 今レゾンの目の前に広がるのは、薄く雪の積もった、葉のない細い木々が立つ林だった。一面の銀世界というよりは土や枝草が混じっていて不純な印象を受けるが、豪雪地帯でもない場所の現実の雪はこんなものなのだろう。更に言えば、近くにいる魔(・)法(・)を(・)使(・)え(・)る(・)生(・)き(・)物(・)というと、レゾン自身、キュミル、ジグマ、少し離れてイレーナとバルター、そしてエルメ……と、全員がレゾンの味方である。実記の危機的状況とはまるで違う。


「……それにしても、寒いな……」

「特に、蛇は寒いのが苦手だからね。無理はしないで」

「レゾンくん冬眠するの?」

「冬眠——」妙に現実的な響きだ。「嫌だな。活動時間を減らしたくない。そこは人間で頼む」

「アハハ、そう言うと思った」

「それで——ここは第35階層か? エルメは無事か? ……あれから何日経った」


 腹に穴が空いて死にかけ、大燕の〈幻鎧〉を獲得した時は、四日だった。今回はあの時よりも酷い無茶をしている。大燕の〈幻鎧〉で[大地を泳ぐ蛇《ネルフェ・ローレ・ドーレ》]の口に飛び込み、大燕の〈幻鎧〉を持っているにも関わらず蛇の生き血を飲むという暴挙に出たのである。大燕の気配は——もう体の中になかった。蛇の魔力が上書きしてしまったのだろう。少し寂しいが、元々経緯があれだ。早く解放できてよかったと言うべきかもしれない。


「きみが眠っていたのは六日かな。怪我が治るのに一日、鱗が引くのに二日、そのあと今まで目を覚まさなかった」

「状態を考えると早いな。……また“海”が治したのか」

「きみが乗っ取られたりしなくて安心したよ。“海”は何か言っていたかい?」

「いや——」レゾンは初めて経験するほど穏やかだった先程の目覚めを思い出した。「……初めてだ、夢のことをほとんど覚えてないのは。“海”は俺に構うのを辞めたのか?」

「いや、普通に魘されてたけど」

「そ、そうか」

「いいことなのかな」

「さあな。……それより重要なのは、第34階層で最後に言われたことだ」


 レゾンは唾を呑んだ。……ギラムでは、ここまで人に話したことはない。だがシィアはなら大丈夫だ。むしろ正直に共有せずに何かが起こってしまう方が取り返しがつかない。


「あの時、“海”は俺に……エルメを殺させるつもりだったらしいい」

「何だって!」シィアたちはざわつき、顔を見合わせる。

「笑えないよな、悪い。やっぱりあんた達は警戒して然るべきだったわけだ。……“海”の思い通りにはならなかったが、彼女は俺をまだ生かすことにしたみたいだ」

「それは……まだエルメを狙って?」

「いや」レゾンは首を横に振った。「あんなに穏やかな目覚めは初めてだった。まだ“海”の中にいる感じはするが、言葉も干渉もない。経過観察ってところだろう。その証に一つ、俺にエルメの力じゃなく蛇の力を適合させて、妥協したんだ。ざまあないな」


 そう言ってレゾンは不敵に笑ってみせた。シィアは嬉しそうにレゾンを小突く。


「体調はどう?」

「……腹が減ったよ」

「だと思った。きみが寝てる間、この辺りの食べられそうなものは全部試したんだよ」

「それは楽しみだ。——けどその前に、トウェンさん、……リュキアに会わせてくれないか。エルメと一緒にいるんだろ?」


 ちら、とエルメがいるのであろう魔力の気配の方を見ると、トウェンは「ああ、ごめんごめん、食べさせないとってそればっかりで気が回らなかったや」と照れたように頬を掻いた。


「そう、きみを運ぶのが大変だから、拠点がここから動かせないだろう? 木の間隔が狭くてエルメは入れないから、彼女は少し遠くを寝床にしてるんだ。あっちの方だね」

「あっち?」トウェンが指したのは、レゾンの意識とは全く別の方向だった。「あの魔力の気配はエルメじゃないのか?」

「ああ、そっちの方角は……」


 トウェンはレゾンの視線を追って、少し考えると、それから納得したように一人で頷いて言った。


「多分、きみが階層に穴を開けた跡だね。もう塞がってしまったけど」

「!」


 第33階層ベルメト山の[雷を下す飛竜《パルカスト・ルナ・グォム》]の雷(ルナ)と同じ魔力沈着現象か! レゾンは内心盛大にため息を吐いた。いよいよ本格的に、自分も化け物側になってしまったようだ……。


「最初、きみは土に埋まってたんだ。おれ達が〈昇梯《メタナスタシス》〉して来たら、エルメが、怪我してるのに必死に掘り返そうとしてて」

「もー、めちゃくちゃ深いところにいてちょう大変だったんだから。みんな戦った後で魔力カスカスなのにさ。結局坂作ってみんなで引っ張ったよね」

「……それでも助けてくれて、しかも六日も拠点を動かさずに看てくれた……のか」

「そりゃそうするでしょ。——あたし達、ホンットに嬉しかったんだから!」


 キュミルは屈託のない笑みで、自分のことを誇るように両腕を広げた。“海”を呼んだ罪、エルメを助けた功績、余所者の立場、重過ぎる体……、そんな一つ一つを勘定するレゾンの思考をまとめてすっ飛ばして、シィアは「嬉しかった」と言うのだ。相変わらず、なんて気持ちがいい集団だろう。


「後で見に行ってみるといいよ。木が土に巻き込まれて、いかにもすごいことがあったって感じだから」

「……ああ。正直、はっきりとは覚えてないんだ。どこまでが現実でどこからが幻覚なのか、分からない」

「神業だった。きっと、全部現実だよ」


 トウェンは簡単にそう言ってのけた。レゾンはつられてふっと笑った。


「それで、エルメは——」


 その調子のままレゾンは訊ねた。エルメは無事に昇れている。頭の中には希望が満ち溢れていた——しかし、一転、シィアの空気は重くなった。


「エルメは……実は、少し元気がないんだ」

「え」

「原因は分からない。どこか悪いってほどでもないんだって」


 心臓が嫌な音を立てる。エルメを賭けに乗せたのは自分だ。あれは、神の領分を侵す荒業だった。だがよく考えてみれば、元々海神に憎まれていたエルメがそんなことをして、あの神が黙っているか?

 自分の夢見が悪くなかったことが、突然酷く恐ろしく思われた。海神の興味が自分からエルメに移ったのだとしたら……。


「きみが起きたことは二人に伝えておくよ。先に何か口に入れた方がいい。きっと長話になるからね」

「……ああ、その通りだな」


 彼はレゾンの性格をよく分かっている。確実に長話になるだろう。


「さあ、座って」


 どこから引っ張ってきたのか、焚き火の前にはぽつんと平たい岩が置かれていた。トウェンがその上に積もった雪をぱっぱっと払ってくれる。自分でやろうとしたが、まだ歩くのに慣れず雪と土に足を取られた。自分はこれから一生元のように走れないのかもしれないと思うと、少しだけ心にくるものがあった。


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