第39話 捧ぐ、剣-①
「————」
エルメはリュキアを抱いていた。無傷のリュキアが、羽根を抉り取られるような広く浅い傷を負ったエルメに泣き叫んでいる。
……またこれか? また、全てを救おうとして全てを失うのか?
憎しみの矛先を、救おうとした者たちに向けなければならないのか?
リュキアが顔を上げる。レゾンを睨んでいる。彼女にとってレゾンは、“海”を連れて来た最大の元凶だった。
「……リュキア」
「何よ」
声に憎しみが乗っている。蛇が見守っている。
レゾンには分かっていた。我々で憎しみ合うのは“海”の思う壺だと。
「——お前は〈昇梯〉するべきだ」
「まだ言ってるの」
「ああ。俺は本気だ。本気で——人類の未来を想ってる」
「くそ喰らえ、よ、そんなの」
「お前は神鳥を見捨てて〈昇梯〉するべきだ。神鳥はお前のためにそれを受け入れて、快く送り出すべきだ」
「聞きたくない。どこか行って!」
「全ては“海”の厄災から逃れて人類が存続するため——俺が神鳥を尊敬しているのは本当だ」
「あなたの尊敬なんていらない。何でも思い通りにできると思わないで」
「思ってないさ。……今は」
レゾンは……リュキアと神鳥の姿を見た。
それは生命の命題と見紛うほど篤い、友情だった。
「——お前たちに、〈昇梯〉して欲しい」
レゾンは少し俯き加減で呟いた。それは理想論でしかないと、リュキアも、この声が聞こえているシィアも呆れているに違いなかった。いつも咎めるジグマは起きていない。
「俺はシィアには馴染めない。ああ、その通りだ。——都市ギラムにも馴染めなかった。でも俺はずっと本気で——本気で愛してる」
レゾンは短剣を抜いて、歩き出した。リュキアが立ち上がった。
「っ止まれ!」
「俺を理解してくれなくていい。だが——信じてくれないか。あと一度だけ」
「今更何を」
「——〈幻鎧〉、[風を切る大燕]」
「‼︎」
瞬間、レゾンはリュキアの背後に——エルメの背の上に——ひらりと現れた。リュキアが反射的に掴みかかろうとするが、レゾンは軽く半歩下がって躱す。対人間の護身術には心得がある。隙が見えたところで懐に「フッ」と滑り込んで肘で打ち、リュキアの体を地面に叩き落とす。
「うっ……! ああ!」
「——エルメ、飛べ! 俺はお前を殺さない」
「やめてっ」
「諦めるな。俺たちには共通の敵がいる——そうだろ」
レゾンは囁いた。エルメは力を振り絞って身悶えする。その毛並みを、そうっと優しく撫でてやる。リュキアがそうしていたように。
……リュキア……彼女らはまだ、冀石を得てもエルメが〈昇梯〉できないということを知らない。
「……今からやるのは一か八かの賭けだ。こういうのは本来、好きじゃないが——、お前たちの友情に応える」
神鳥が啼いた。
「エルメ——」
体が浮き上がる。レゾンは姿勢を低くし、エルメの背に捕まった。飛び立つ。
上空に舞い上がって、レゾンはやはり気高い魔獣に呼びかける。
「エルメ、よく俺を信じてくれた。……まあ、そうか——シィアが動けなくなった以上、翻訳者を連れて前線に戻るより余所者に賭けるのは当然だな」
エルメは黙っている。
「よし。……目が冴えてきた。エルメ、お前は生き残ってリュキアと再会することだけを考えろ。……それで構わない」
剣を握り直す。
レゾンはしばしば戦い方を危険だと非難されるが、もちろん自分の命を手放したくはない。敵わないと分かっている敵に挑み敗北することなど尚更だ。だから今レゾンはあくまで、「勝つ」気でいる。
「“海”よ——俺を見ろ」
レゾンはエルメの背の上で立ち上がり、剣を逆手に持って、両手で頭上に掲げた。
鋒はエルメの頸を捉えている。蛇は歓喜するようにうねり、空を仰ぐ。
レゾンはニッ、と笑ってみせた。
「行くぞ。——〈幻鎧〉、[風を切る大燕]!」
そしてレゾンは神鳥の背から飛び降り——直下へと空を切った。
神鳥の糸を纏って、それは天から下った細剣のようだった。
レゾンの姿は蛇の咥内に消えた。
砂漠の波は一瞬、荒れたが、すぐに静まった。蛇はのたうち回った後、ふらり、と力を失い、砂漠に頭を打った。そして動かなくなった。
絶命したのだ。




