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階層紀元7世紀 流砂のテーゼ  作者: 三科享史
第二章 流砂のテーゼ
37/46

第37話 [大地を泳ぐ蛇]-②

 レビューありがとうございます!(10/12)

 堅苦しいタイトルにも関わらずお読みいただき、いつもありがとうございます。二章も佳境ですので是非最後までお付き合いください!


 目が痛み、涙が滲む。目を閉じて魔力を感じる。

 そしてレゾンは見(・)た(・)。砂埃のベールの奥に建つ、尖(・)塔(・)——。それは螺旋階段のようなシルエットを持っていて……。否。それは階段ではない。


 蛇(・)だ(・)。


「イレーナさんっ!! 頼む、塔を——壊してくれ!!」

「塔ですって……!? ——キュミル、合わせなさい! 私(あたし)の鎌を通して!」

「っ」


 キュミルが砂埃を止め、イレーナの鎌を通す隙間を作る——しかし、キュミルの魔法は風に流されてしまって形にならなかった。厚い砂の霞は、旋風も巻き起こしていた。たったそれだけのことで、キュミルの魔法が安定しない。


「キュミル!」

「ごめんっ……!」


 万策尽きたシィアたちが固唾を呑んで空を見上げる。上空で、二者の大魔獣が対峙する——。

 無数の糸が陽光で煌めき、砂の間に星のように見える。それは美しい光景だった——直後、塔がバラバラに砕け散る。しかしその直前、蛇はその体をしならせ、空へと飛び上がっていた。

 エルメはその接近にも冷静だった。

 エルメは急旋回、その動きに同調するかのように、糸が蛇を縛り上げていく。翼のない動物が空中にいるとき、その体は無防備になる——エルメは蛇が何か仕掛ける前に、その状況に追い込もうとしたのだ。


「あ——!」


 誰かが悲鳴を呑む。

 蛇は体に砂を纏っていた。砂は——エルメの糸よりも鋭い。相殺される。

 そして砕け散ったはずの塔が瞬く間に再建される。いや、噴き上げるようにして弾け、蛇はそれを一瞬の踏み台にした。魔力の爆風がレゾンの息を奪う。


「うそ——」


 口を閉じた蛇の牙が、エルメの翼を掠ったように見えた。

 蛇の体はそのまま落下し——砂に迎えられたが——さらにエルメの魔法によって強く地面に激突し、明らかにのたうった。


「っ追撃!」


 霞はほとんど晴れていた。その隙にシィアの反撃が始まる。しかしレゾンはエルメを見ていた。

 ただの魔力と、魔法になった魔力には違いがある。魔法同士にも個性がある。エルメの魔法と蛇の魔法は違う——。


「エルメ……まさか……」


 蛇の牙が掠った翼。そこにエルメのものではない魔力がある。あれは——毒では。その時、エルメの飛行が初めてふらついたように見えた。彼女はすぐに持ち直したが、その一瞬は衝撃的だった。


「ッさっきの牙の接触! あれは——毒だ! エルメが毒をくらった!」

「何」ジグマが弾かれたようにエルメを見る。「重症か」

「分からない。だが……」

「毒が魔力なら、くらってすぐならキュミルが応急処置できる。だが、今空からエルメがいなくなったら……」


 レゾンはぐっと拳を握り締めた——エルメはこの作戦の要であり、目的でもある。エルメに何かあれば本末転倒だ。


「……キュミルの戦力が一瞬抜けることについては?」

「キュミルだけならまだ……どうにかなる。僕がその間少し頑張ればいい。蛇も大分弱ってる」

「なら、俺が連れて行く」


 宣言したレゾンに、キュミルは呆けた声を出した。


「〈幻鎧〉。[風を切る大燕《カッカス・フォン・ドルン》]だ」

「ちょっ——」


 レゾンはキュミルに手を伸ばした。腕に羽根が生える感覚が気持ち悪いが、もう気にしないことにしている。使えるものは全て使う。必ず[大地を泳ぐ蛇《ネルフェ・ローレ・ドーレ》]を倒し、シィアをエルメごとまとめて〈昇梯(メタナスタシス)〉させるために!


「……お手柔らかにねっ……」

「そんなこと言ってる場合じゃない。失礼する」

「っ」


 顔を引き攣らせながら手をとったキュミルを両腕でしっかり掴み、レゾンは地を垂直に蹴った。初めての〈幻鎧〉の成功体験がエルメとの追いかけっこであり、[絡め取る荊豆樹《メーシューク・アウドラ》]の枝の間を縫う戦闘を経験したレゾンにとって、これは簡単な復習の動作だった。

 景色が縦のストライプになる。全身の肌を刃物のような風が撫ぜ、耳がゴウという音に覆われる。


「むりむりむりむりむり——」

「リュキアッ! エルメの背中を貸してくれ! 毒を治しに来た!!」


 空中で魔法を止め、落下し始める直前に、レゾンは全力で叫んだ。すかさずリュキアがエルメに触れて指示を出し、レゾンとキュミルはその背にふわりと掬われる。


「はあっ——」

「助かった、リュキア。用が済んだらすぐ降りる——キュミル、さあ」

「ちょっと待って、ちょっと待ってったら」


 キュミルはレゾンの胴に皺がつくほどしがみつきながら、エルメの背中に立って〈幻鎧〉を展開し直した。リュキアが驚いた顔のままこちらを見ている。


「やっぱり毒だったの。……ありがとう」

「当然の判断だ。しばらく飛びづらくなるかもしれないが……」

「大丈夫」リュキアは言って、レゾンに微笑んだ。レゾンは嬉しくて微笑み返した。

「——でも——」

「でも?」

「……いや、何でもない」

「どうした」


 リュキアの顔が曇って、エルメを横目で見る。おおよそ戦場でしていい表情ではなかった。レゾンは不安になって食い下がる。


「どうしたんだ。まさかもう何か致命的な症状が?」

「……違う」

「じゃあ何だ」


 伝達不足は命取りだ。一人ではどうにもならなくても、話せば何とかなることだってある。

 リュキアは言った。風に攫われそうな声だった。


「——。……エルメが……、撤退を指示しろと言ってるの」

「撤退……?」


 レゾンは——愕然とした。〈昇梯(メタナスタシス)〉を前にして、巨大な冀石を与えてくれるであろう魔獣を目前にして、撤退? まだ味方は戦えているのに?

 エルメは気高い魔獣だ。“海” から生まれた魔法生物でありながらその胎へ戻らず〈昇梯(メタナスタシス)〉することを選ぼうとしている、尊敬すべき生命だ。それが——理解ある仲間を持ちながら、諦める?

 そんなことは許されない。


「駄目だ! 魔獣の回復力は高い——人間よりも遥かに。シィアであるあんたの方が知ってるだろう。俺たちは今、蛇を殺さなきゃいけないんだ! エルメのために!」

「ええ——分かってる……分かってるわ。……私にも、なぜエルメがそんなことを言い出したのか分からない。シィアはみんな本気で、エルメと一緒にいたいから戦ってくれているのに」

「あんたも分からないのか。……エルメほどの魔獣の直感だ、無下にはできないが……」

「今、説得してる。……でも本当に危なかったら、あなたがみんなを撤退させて。いい? 地上への指示は遅れるかもしれない」

「……ああ、もちろん、シィアが一人でも欠けるようなことがあれば本末転倒だ。だが……」

「——いいわね」


 リュキアは有無を言わせない口調で言った。レゾンは、己の理想論の限界を感じざるを得なかった。

 無力感。ベルメト山にいる時に〈大浸食〉が始まった時と、同じ。だが……時には引き際を見極めなければならない。レゾンにはそれができる。できるのだ……。


「……分かった」


 レゾンは頷いた。頷いてしまったが、それは正しかった。リュキアは息を吐いて、


「——大丈夫。シィアがみんな〈昇梯(メタナスタシス)〉しても、私はずっとエルメのそばにいるから」

「……え」


 は?


「エルメは孤独にはならない。私も。私たちはそれだけで幸せなの。それに加えて、みんなが私たちのために戦ってくれた。この事実だけでもう十分」


 ……は?


「だから何かあれば、すぐに撤退してくれて構わない。シィアのみんなも、分かっていると思うから」

「何を。……お前が死ぬことを?」

「死なない。この階層で、エルメと共に生きるのよ」

「それを死ぬって言うんだ——お前——、天空都市はっ? 地上にいれば生きても死んでも“海”に呑まれて終わりだ、墓が欲しいって言ったのはお前だろ?」

「夢を語っただけよ」

「立派な思想だった」

「死んだ後のことは分からない。それよりも、生きているエルメと離れ離れになって一人にする方が、残酷よ」

「お前は——つまり——エルメへの執着に殺される」

「言い方」

「間違ってない」

「エルメを一人にしろって言うの」

「ああ」

「最低」


 パシンッ……と、乾いた音と、鋭い痛みが走った。頬に。


「…………」

「————」


 レゾンは醒めきった表情で、リュキアを見下ろした。理想を共有したと思っていた相手と結んだ視線は、リュキアのそれは冷たく、レゾンのそれは身を焦がすほど熱かった。


「ちょ、ちょっと。喧嘩してる場合じゃないでしょ」


 処置を終えたらしいキュミルが慌てて間に入ってくる。数秒間睨み合った後、レゾンは舌打ちをし、同時にリュキアは素気なく前へ向き直った。


「——クソ野郎。絶対——絶対に——〈昇梯(メタナスタシス)〉させてやる!! クソッ!!」

「それはあなたが決められる運命じゃないわ」

「もう、何熱くなってるの、レゾンくん! 本人がいいって言ってるんだからいいじゃん! 早く下に戻ろ? ね?」

「『本人がいいって言ってる』? ——それで——第33階層で——どれだけの命が失われたと思ってるんだ! 五千だぞ! あんたらに分かるか! 俺の愛(かな)しみが……!!」

「いい加減にして! 戻るよ! ごめんねリュキア、わたしが伝えとくから!」

「キュミル!!」

「ひー、怖っ」


 キュミルはレゾンの腕を掴んで引いて、あれだけ怖がっていた空中に身を投じた。

 レゾンは浮遊感の中で、ギリギリと歯を食い縛った。

 エルメが〈昇梯(メタナスタシス)〉できるかどうかは、“海”の裁量にかかっているところが大きい。それは人の意志の力ではどうにもならないかもしれない。だがリュキアは違う。リュキアに必要なのは、手のひらで握り締められる小さな冀石、そして〈昇梯(メタナスタシス)〉の魔法を使うという選択、それだけだった。


「死なせるか……死なせてたまるか——!!」


 その正義の宣誓が怨嗟のようであるのは、生き残ろうとしない者たちの自業自得であった。少なくともレゾンはそう思っていた。

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