第37話 [大地を泳ぐ蛇]-②
レビューありがとうございます!(10/12)
堅苦しいタイトルにも関わらずお読みいただき、いつもありがとうございます。二章も佳境ですので是非最後までお付き合いください!
目が痛み、涙が滲む。目を閉じて魔力を感じる。
そしてレゾンは見た。砂埃のベールの奥に建つ、尖塔——。それは螺旋階段のようなシルエットを持っていて……。否。それは階段ではない。
蛇だ。
「イレーナさんっ!! 頼む、塔を——壊してくれ!!」
「塔ですって……!? ——キュミル、合わせなさい! 私の鎌を通して!」
「っ」
キュミルが砂埃を止め、イレーナの鎌を通す隙間を作る——しかし、キュミルの魔法は風に流されてしまって形にならなかった。厚い砂の霞は、旋風も巻き起こしていた。たったそれだけのことで、キュミルの魔法が安定しない。
「キュミル!」
「ごめんっ……!」
万策尽きたシィアたちが固唾を呑んで空を見上げる。上空で、二者の大魔獣が対峙する——。
無数の糸が陽光で煌めき、砂の間に星のように見える。それは美しい光景だった——直後、塔がバラバラに砕け散る。しかしその直前、蛇はその体をしならせ、空へと飛び上がっていた。
エルメはその接近にも冷静だった。
エルメは急旋回、その動きに同調するかのように、糸が蛇を縛り上げていく。翼のない動物が空中にいるとき、その体は無防備になる——エルメは蛇が何か仕掛ける前に、その状況に追い込もうとしたのだ。
「あ——!」
誰かが悲鳴を呑む。
蛇は体に砂を纏っていた。砂は——エルメの糸よりも鋭い。相殺される。
そして砕け散ったはずの塔が瞬く間に再建される。いや、噴き上げるようにして弾け、蛇はそれを一瞬の踏み台にした。魔力の爆風がレゾンの息を奪う。
「うそ——」
口を閉じた蛇の牙が、エルメの翼を掠ったように見えた。
蛇の体はそのまま落下し——砂に迎えられたが——さらにエルメの魔法によって強く地面に激突し、明らかにのたうった。
「っ追撃!」
霞はほとんど晴れていた。その隙にシィアの反撃が始まる。しかしレゾンはエルメを見ていた。
ただの魔力と、魔法になった魔力には違いがある。魔法同士にも個性がある。エルメの魔法と蛇の魔法は違う——。
「エルメ……まさか……」
蛇の牙が掠った翼。そこにエルメのものではない魔力がある。あれは——毒では。その時、エルメの飛行が初めてふらついたように見えた。彼女はすぐに持ち直したが、その一瞬は衝撃的だった。
「ッさっきの牙の接触! あれは——毒だ! エルメが毒をくらった!」
「何」ジグマが弾かれたようにエルメを見る。「重症か」
「分からない。だが……」
「毒が魔力なら、くらってすぐならキュミルが応急処置できる。だが、今空からエルメがいなくなったら……」
レゾンはぐっと拳を握り締めた——エルメはこの作戦の要であり、目的でもある。エルメに何かあれば本末転倒だ。
「……キュミルの戦力が一瞬抜けることについては?」
「キュミルだけならまだ……どうにかなる。僕がその間少し頑張ればいい。蛇も大分弱ってる」
「なら、俺が連れて行く」
宣言したレゾンに、キュミルは呆けた声を出した。
「〈幻鎧〉。[風を切る大燕]だ」
「ちょっ——」
レゾンはキュミルに手を伸ばした。腕に羽根が生える感覚が気持ち悪いが、もう気にしないことにしている。使えるものは全て使う。必ず[大地を泳ぐ蛇]を倒し、シィアをエルメごとまとめて〈昇梯〉させるために!
「……お手柔らかにねっ……」
「そんなこと言ってる場合じゃない。失礼する」
「っ」
顔を引き攣らせながら手をとったキュミルを両腕でしっかり掴み、レゾンは地を垂直に蹴った。初めての〈幻鎧〉の成功体験がエルメとの追いかけっこであり、[絡め取る荊豆樹]の枝の間を縫う戦闘を経験したレゾンにとって、これは簡単な復習の動作だった。
景色が縦のストライプになる。全身の肌を刃物のような風が撫ぜ、耳がゴウという音に覆われる。
「むりむりむりむりむり——」
「リュキアッ! エルメの背中を貸してくれ! 毒を治しに来た!!」
空中で魔法を止め、落下し始める直前に、レゾンは全力で叫んだ。すかさずリュキアがエルメに触れて指示を出し、レゾンとキュミルはその背にふわりと掬われる。
「はあっ——」
「助かった、リュキア。用が済んだらすぐ降りる——キュミル、さあ」
「ちょっと待って、ちょっと待ってったら」
キュミルはレゾンの胴に皺がつくほどしがみつきながら、エルメの背中に立って〈幻鎧〉を展開し直した。リュキアが驚いた顔のままこちらを見ている。
「やっぱり毒だったの。……ありがとう」
「当然の判断だ。しばらく飛びづらくなるかもしれないが……」
「大丈夫」リュキアは言って、レゾンに微笑んだ。レゾンは嬉しくて微笑み返した。
「——でも——」
「でも?」
「……いや、何でもない」
「どうした」
リュキアの顔が曇って、エルメを横目で見る。おおよそ戦場でしていい表情ではなかった。レゾンは不安になって食い下がる。
「どうしたんだ。まさかもう何か致命的な症状が?」
「……違う」
「じゃあ何だ」
伝達不足は命取りだ。一人ではどうにもならなくても、話せば何とかなることだってある。
リュキアは言った。風に攫われそうな声だった。
「——。……エルメが……、撤退を指示しろと言ってるの」
「撤退……?」
レゾンは——愕然とした。〈昇梯〉を前にして、巨大な冀石を与えてくれるであろう魔獣を目前にして、撤退? まだ味方は戦えているのに?
エルメは気高い魔獣だ。“海” から生まれた魔法生物でありながらその胎へ戻らず〈昇梯〉することを選ぼうとしている、尊敬すべき生命だ。それが——理解ある仲間を持ちながら、諦める?
そんなことは許されない。
「駄目だ! 魔獣の回復力は高い——人間よりも遥かに。シィアであるあんたの方が知ってるだろう。俺たちは今、蛇を殺さなきゃいけないんだ! エルメのために!」
「ええ——分かってる……分かってるわ。……私にも、なぜエルメがそんなことを言い出したのか分からない。シィアはみんな本気で、エルメと一緒にいたいから戦ってくれているのに」
「あんたも分からないのか。……エルメほどの魔獣の直感だ、無下にはできないが……」
「今、説得してる。……でも本当に危なかったら、あなたがみんなを撤退させて。いい? 地上への指示は遅れるかもしれない」
「……ああ、もちろん、シィアが一人でも欠けるようなことがあれば本末転倒だ。だが……」
「——いいわね」
リュキアは有無を言わせない口調で言った。レゾンは、己の理想論の限界を感じざるを得なかった。
無力感。ベルメト山にいる時に〈大浸食〉が始まった時と、同じ。だが……時には引き際を見極めなければならない。レゾンにはそれができる。できるのだ……。
「……分かった」
レゾンは頷いた。頷いてしまったが、それは正しかった。リュキアは息を吐いて、
「——大丈夫。シィアがみんな〈昇梯〉しても、私はずっとエルメのそばにいるから」
「……え」
は?
「エルメは孤独にはならない。私も。私たちはそれだけで幸せなの。それに加えて、みんなが私たちのために戦ってくれた。この事実だけでもう十分」
……は?
「だから何かあれば、すぐに撤退してくれて構わない。シィアのみんなも、分かっていると思うから」
「何を。……お前が死ぬことを?」
「死なない。この階層で、エルメと共に生きるのよ」
「それを死ぬって言うんだ——お前——、天空都市はっ? 地上にいれば生きても死んでも“海”に呑まれて終わりだ、墓が欲しいって言ったのはお前だろ?」
「夢を語っただけよ」
「立派な思想だった」
「死んだ後のことは分からない。それよりも、生きているエルメと離れ離れになって一人にする方が、残酷よ」
「お前は——つまり——エルメへの執着に殺される」
「言い方」
「間違ってない」
「エルメを一人にしろって言うの」
「ああ」
「最低」
パシンッ……と、乾いた音と、鋭い痛みが走った。頬に。
「…………」
「————」
レゾンは醒めきった表情で、リュキアを見下ろした。理想を共有したと思っていた相手と結んだ視線は、リュキアのそれは冷たく、レゾンのそれは身を焦がすほど熱かった。
「ちょ、ちょっと。喧嘩してる場合じゃないでしょ」
処置を終えたらしいキュミルが慌てて間に入ってくる。数秒間睨み合った後、レゾンは舌打ちをし、同時にリュキアは素気なく前へ向き直った。
「——クソ野郎。絶対——絶対に——〈昇梯〉させてやる!! クソッ!!」
「それはあなたが決められる運命じゃないわ」
「もう、何熱くなってるの、レゾンくん! 本人がいいって言ってるんだからいいじゃん! 早く下に戻ろ? ね?」
「『本人がいいって言ってる』? ——それで——第33階層で——どれだけの命が失われたと思ってるんだ! 五千だぞ! あんたらに分かるか! 俺の愛しみが……!!」
「いい加減にして! 戻るよ! ごめんねリュキア、わたしが伝えとくから!」
「キュミル!!」
「ひー、怖っ」
キュミルはレゾンの腕を掴んで引いて、あれだけ怖がっていた空中に身を投じた。
レゾンは浮遊感の中で、ギリギリと歯を食い縛った。
エルメが〈昇梯〉できるかどうかは、“海”の裁量にかかっているところが大きい。それは人の意志の力ではどうにもならないかもしれない。だがリュキアは違う。リュキアに必要なのは、手のひらで握り締められる小さな冀石、そして〈昇梯〉の魔法を使うという選択、それだけだった。
「死なせるか……死なせてたまるか——!!」
その正義の宣誓が怨嗟のようであるのは、生き残ろうとしない者たちの自業自得であった。少なくともレゾンはそう思っていた。




