第36話 [大地を泳ぐ蛇]-①
エルメや幻鎧士の魔力は先んじて察知され[大地を泳ぐ蛇]に警戒されかねない。エルメは蛇に気付かれないギリギリのところで一度止まって、バルターとジグマを降ろした。
レゾンは遠くの魔力の気配の動きを、じっと感覚を凝らして見守った。ジグマの魔法が展開していくのが分かる……。
「バルターさんは成功したみたいだ。ジグマが作業に入ってる」
と報告すると、リュキアは表情を変えないまま頷いて、
「ジグマの魔法が半分に達したらみんなを荊豆樹の上に下ろす。エルメと私は包囲網の穴を塞ぐように立ち回るわ。戦闘に入ったら——あとは手筈通り」
「おう!」
「……シィアには……鬨とかはないのか」レゾンは訊いてみる。
「なにそれ?」
「強敵と戦う前に、みんなで声を上げたり」
「声を? 敵を刺激するだけじゃん」
「そうなりかねないと言えばそうなんだが……」
自分はいいが、こうやってぬるっと普段の様子のまま戦いが始まると調子が出ないギラム人はたくさんいるだろうな、とレゾンは思った。何もない代わりに一人で深呼吸をし、精神状態を落ち着かせる。
「……よし」
気を引き締める。死地へ赴く緊張感が背骨をまっすぐに吊る。短剣の柄に手を置くとスッと気持ちが冴えた。
しばらくすると、エルメが翼を広げた。ジグマの魔法の展開が進捗したのだ。
「行きましょう」
リュキアが淡々と言う。エルメが空へと飛び立つ。浮遊感に襲われる体をエルメの魔法が包んでくれる。
砂煙の向こうに、自然ではあり得ない真円を描いて立ち並ぶ荊豆樹の壁が見えた。地中深くまで杭を打つように根が張っており、蛇を閉じ込める大きな檻として容赦なく顕現している。
「……あいつ、『僕は嫌だ』とか言ってたくせに、なんだあの魔力量は」
「ジグくんは元々幻鎧士になれない体質で、それを戦わなくていいって喜んでたんだけど、甘党すぎてアレ噛んでるうちに魔力適性が上がったみたいでね」
「そりゃそうだ」
納得した。やはり「嗜好品だっつの」というのはかなり苦しかったわけだ。
「魔力の経口補給が得意だから、一時的に魔力量を上げられるの」
「……何で戦うのが嫌いなんだ、あいつは」
「さあね? 面倒なんじゃない。ま、あたしが守ってあげるからいいけどね。——まだ蛇は動いてないの?」
「ああ。バルターさんの魔法が良い」
「みんな、降りて。いつでも牽制できるように」
「よっしゃ、やるぞ!」
幻鎧士以外のシィアは弓矢を持って、低空を飛ぶエルメの上から糸を伝って荊豆樹へと降りた。ジグマは相変わらずソデルの根を咥えながら、ゆっくりと包囲網の端を歩いて荊豆樹の林を伸ばしていく。
「ジグくん大丈夫ー? まだ歩ける?」
「これが終わったら座る」
「ほいよー」
レゾン・イレーナ・キュミルの三人はまとまってエルメの対角に待機。樹の棘に引っかからないように樹の上に足を下ろす。
「バルちんは?」
「——そろそろ限界かもっ!」
バルターは明るい声で叫んだが、本当に限界が近いのだろうことは地中の魔力の蠢き方で分かった。……蛇が幻惑に気付いて覚醒しかけている。
レゾンは荊豆樹の包囲網の形を描いた布を取り出して、方角を合わせて掲げた。今、蛇は中央にいるが、ここから地中を移動した時に場所を伝えるのがレゾンの役目だった。
「……始まる」
レゾンは魔力を活性にして、砂に隠れた蛇の体をはっきりと透視した。近くに立っているだけで酔いそうなほどの圧倒的な魔力量。
「来るぞ。備えろ……!」
レゾンは鋭く叫び、地図の中心を差す指に力を込めた。直後、なめらかな砂漠が液体のように波打ち始める。[大地を泳ぐ蛇]が——起きた! キュミルとイレーナがレゾンの両隣に立って、不敵に笑う。
「はいはーい! 〈幻鎧〉、[氷を生む精霊]!」
「〈幻鎧〉、[鎌を研ぐ蟷螂]——」
「矢を番えろオ!」
「バルター、よくやった! 君は一旦壁の外で休め!」
「サンキュージグマ!」
キュミルの背に翅が顕現し、蟷螂が鎌を研ぐ怪音が頭上で響く——バルターはエルメの糸に釣られて脱出し、ジグマの包囲網が完成していない部分をエルメの糸が編み繋ぐ。
「派手に仕掛けるわよ——!」
鎌が振り下ろされ、衝撃と風圧で砂海が裂ける。美しい白蛇の巨躯が露出する。
「叩き込めエッ!!」
——すかさず集中攻撃。
再び潜ろうとした蛇の動きをキュミルの氷が阻害し、エルメの糸と駝鳥の羽根矢が降り注ぐ。細くも力強い魔法が四方八方から炸裂し、蛇はシュルシュルと音を立てて大きく身を捩った。
イレーナも続けざまに攻撃。二本の鎌は確実に蛇の体を捉えて、その鱗の体に——傷をつけた! 白い体に二筋の赤い線が走る。その傷口を追撃。
「いいぞ、いいぞ、いいぞ——」
それは別の誰かの言葉だったが、レゾンも強く、繰り返し頷いていた。蛇は確実にダメージを受けている! あの大魔獣が!
「キュミル! 解除するわよ。蟷螂の魔力をお使いなさい!」
「ありがと、イレーナさん!」
蟷螂の鎌が解け、魔力に還り——それをキュミルが捉えた。べきべきと巨大な氷が生まれる。
「いけっ——!」
大質量の氷塊が、蛇の頭蓋を打つ。鱗の擦れるシャ——ッという音の連なりが甲高い悲鳴のように聞こえた。レゾンは手に汗を握って、瞬きも忘れてその戦場を見ていた。
「っ」
蛇の魔力の気配がぐんと強くなり、周囲の砂が持ち上がる。砂に触れたエルメの糸はぷつりと切れてしまった。砂に浸透した蛇の魔法の仕業だ。
「潜るぞ! 見失うなよ!」
「ああ」
とぷん、と蛇が姿を消す。レゾンは頷く動作も惜しんで魔法に集中し、光として感じられる魔力の形を追った。蛇は砂中を泳ぎ、ジグマの荊豆樹の包囲網に気付いてぐるぐると回っている。
「速い。位置は分かるが……。もう仕掛けるのか?」
「仕掛ける。俺らにはエルメがついてんだぜ」
「了解」
レゾンは蛇の動きを地図上でなぞり——蛇が内周を回りきり反転しようとしたところで声を上げた。
「今だ!!」
再びイレーナの斬撃。
「!」
しかし今回は、最初の奇襲のようにはいかなかった。砂が硬化しているのか——イレーナの鎌が地面を切り裂くが、亀裂が入っただけで、蛇は姿を見せない。しかし座標の情報を受け取ったエルメが垂直に糸を通す。その攻撃の雨を受けてようやく、蛇は地表へと出てきた。全身が活性魔力の光を帯びているのがレゾン以外にも分かるだろう。
「お怒りだ」
「地表に留めるぞ! なるべく——」
その時だった、レゾンは、砂の一部分に魔力が凝縮されてゆくのを捉えた。
「!! 危ない——こっちに攻撃が来る!」
「まじかっ」
「みんな、僕の樹の陰に隠れろ!」
ジグマがすぐに指示し、シィアはそれに従う。レゾンも荊豆樹の外側に身を隠した。次の瞬間——砂の塊はまるで高速の波のように襲い来て——荊豆樹の枝に勢いよくぶつかり……魔法を解かれて失速し、ただの砂となってサラサラと枝の隙間に崩れた。レゾンはごくりと唾を飲んだ。ベルメト山から見下ろした〈大浸食〉の光景を思い出した……。
「チッ。予想通り面倒な相手だな。だが——戦える」
ジグマは噛み切ったソデルを放り捨てて、新しいものを咥えた。いや——皮を削いだのを呑み込んだ。血を増やすのに近い行為なのだろうが、体には悪そうだ。
「ジグマ、気をつけろ、まだ何か来るぞ。細かいのが」
「僕は頑丈に荊豆樹を作るだけだ、気をつけようがない。キュミル!」
「いっそがしいなあ、もう!」
キュミルは翅の羽ばたきによる上昇(飛べるのか!)を利用してひょいひょいと荊豆樹の上に再び登り、身を乗り出して次の攻撃を準備する蛇を覗き込んだ。レゾンも近くに登ったが、木登りの経験の差か、何回か棘が刺さって「いて」と声が出た。
「危なかったら俺が助ける。安心して」
「きゃっ、レゾンくん優しー♪」
蛇がうねるように動くと、砂の波はその何倍もの大きさになって、そしてその中から礫を飛ばした。蛇は魔力頼りの広範攻撃が効かないとみて、早くも攻撃方法を切り替えてきたらしい。
「細かいのは得意だよ」
キュミルは笑った——礫の半分はエルメが上空から貫いて砕いた。キュミルはその魔力を奪って、もう半分の礫を割り砕く。凄まじい魔力制御だ。
エルメの攻撃はその間にも蛇を翻弄していた。一方的に見えるのは、蛇の攻撃の射程が縦方向に短いからだ。翼と反重力の魔法を持つエルメは例外的な存在であり、本来魔力には“海”からの強い引力がかかる。魔法で高高度にいるエルメを攻撃するのは、大魔獣であればあるほど困難なことだった。
「エルメ……」
レゾンは祈るように彼女の名を口にした。リュキアがその背にいる。
蛇の血が流れるほどレゾンの戦闘意識は高まっていくが、とても短剣で戦える相手ではない。そんなことは分かっているが……もどかしい。
第33階層の猪でも、脳天をぶち抜いた上に全身に矢と剣で傷を与えて尚危険だったのだ。こちらが押しているとはいえ、この蛇があの程度のダメージでくたばるわけがない。
「礫が止んできたよ。次の攻撃が来る」
「ああ。今度は……、また広範囲に魔力を浸透させてる? 何をする気だ」
大波を防がれたことで、蛇は荊豆樹の魔法を見抜いているはずだ。では……。
「!」
「わっ」
レゾンは反射的に、キュミルの顔を服の布で覆った。もう片手で自分の口布を上げる。
「ちょっと、何?」
「——霞だ。吸わないほうがいい」
レゾンは顔を顰めながら答えた。
今度の砂は細かいままだ。普通の砂漠の砂よりも、あるいはもっと小さいかもしれない。それは風に乗って広がり、荊豆樹の枝の間を抜けていった。
「チッ! クソ、砂で何も見えやがらねえ。レゾン、中はどうなってる!」
「あいつは——俺たちを黙らせる方法が欲しかったんだ」
「それって」
「狙うのは当然——」
「……エルメか!?」




