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階層紀元7世紀 流砂のテーゼ  作者: 三科享史
第二章 流砂のテーゼ
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第33話 適材適所!

「え、レゾンくん——」

「——〈幻鎧〉、[風を切る大燕《カッカス・フォン・ドルン》]!」


 レゾンの腕に羽根が浮かぶ。夢の続きで見た光景だったが、もう大丈夫だ。大燕とは和解した。

 レゾンの体は空を切った。魔法を纏っていない、ただの短剣を握る手が、久しぶりの感覚に熱くなっている。

 大燕の魔法は使用者にかかるものであって、触れられて無効化されたとしても剣の切れ味に影響はない。つまりこれは、レゾンにとっては最も戦いやすい状況だった。


「——ッ!!」


 とはいえいきなりの実戦の感覚に全身が慄く。レゾンはその緊張を、恐怖を、慎重さを全て剣の切っ先に集めて、空中で構えた。

 シッ——、と鋭く息を呑み、己の体を斜め上へと跳ね上げる。[絡め取る荊豆樹《メーシューク・アウドラ》]は理解不能のうちに枝を斬り落とされ、バキバキと音を立てながら、樹木としては異常な速度で体を再構築していく。だが、遅い。

 空中で身を翻し、再び跳ぶ。地に足をつく暇はない。ついた瞬間、人間の体が衝撃でひしゃげかねなかった。だが着地のことを考える必要はそもそもないのである。大燕は飛び続ける。縦横無尽に、枝の間のすれすれをぬって。逸る心臓のリズムは徐々に落ち着いていく。感覚は、掴んだ。

 駆ける。斬る。駆ける。斬る。駆ける。重力を無視して、空を舞う。手に馴染んだ刃が敵の体を削いでいく。


「レゾン。エルメが手助けするわ、合わせて」


 そのリュキアの声が降ってきた時、レゾンは不思議な感覚に陥った。敵の魔力、己の魔力、そして——空から走る美しい糸の形をした魔法。それらがキラキラと瞬いて、自分の汗が飛ぶ光景と重なる。


「!」


 エルメの糸は斬撃を終えたレゾンの脚を優しく捕まえて、ふわりと回すようにして姿勢を整えた。空中で無理な姿勢から魔法を使っていたのを見ていたのだ。


「ありがとう、エルメ」


 後でちゃんと伝えよう。今は、この手助けを最大限活かす! レゾンは空中を蹴って、一段と速度を上げた。


「ひゅ〜、いいねーっ、レゾンくん! 動けんじゃん!」

「私(あたし)の見せ場も残しなさいよ」

「もちろんだ、イレーナさん」


 やっぱり彼女らも、イグロスと同じように囃し立ててくるのか。レゾンは明るく応えながら、ジグマの呆れたでかいため息が聞こえるようだった。

 ——そうだ、ジグマ。彼が幻鎧士になるための段取りを組まなくてはならないのだった。


「なあ、これ、どこまでやればいい!?」レゾンは一度空中でエルメの糸に捕まって止まり、問うた。

「——回復の仕方に傾向がある」と、心底怠そうにジグマ。「君がどこに現れるか分からねえから、幹を守るように枝を生やしてやがるんだ。おかげで近寄れねえ」

「わ、悪い」

「敵は上空にいると思わせろ。魔法は枝の表面か? 常に全ての魔力が活性なのか? 教えろ」

「ああ、……そうだな、枝と、それから地面に広がってる。地に足をついても影響を受けるかもしれない」

「フン、僕はただの人間だから関係ねえな」


 ……皮肉か? レゾンは肩を竦めた。皮肉だとしても、ただの事実だから構わないが。


「今のところだが、魔法は常時展開されてるように見える。消耗で状況が変わるかどうかという話なら、魔法植物の特性として常時展開は標準的にあり得る。だが同時に——」

「話が長え。——君が削って弱らせて、根本の守りを薄くした後——僕が降りて脂を舐める。その後キュミルの出力を全開にして幹から根の内側を凍結させて、イレーナでとどめだ」

「了解!」


 レゾンは正確な情報共有の重要性を主張したかったが、ジグマの作戦は正確だったので問題がなかった。

 レゾンは伸びてきた枝を跳んで躱して、再び荊豆樹に肉薄。死の予感を弄ぶようにすれすれを踏んで離れる。再生が徐々に遅くなっているのを感じる。なるほど厄介な魔物だが、大燕の魔法、幻鎧士二名に神鳥(エルメ)という味方がいれば怖くはない。


「よし。次だ」


 レゾンは平常な声で呟いて、幹に深く斬りかかった。荊豆樹が悲鳴を上げるように全身から細かい枝の再生を暴発させる。そんなことに意味はほとんどない。


「十分だ、レゾン君! 一度大きく避けて!」


 トウェンの声に従って、垂らされたエルメの糸を掴む。上空に捲り上げられて、レゾンはぽすっとエルメの背に降ろされた。トウェンはすぐにレゾンの全身に怪我がないかを見ると、ほっとしたように頷いた。


「ジグマは」

「もう降りたよ。遠くから……エルメの糸に守られてね。きみみたいな無茶はしてない」

「無茶、だったか」

「……きみは本当に」


 トウェンは呆れてため息を吐いたが、安心して笑ってもいた。そう、心配は必要ない。レゾンは誰より命の価値を分かっているのだから。


「おっ、ジグマが飲むぞ」


 面白がるようなその声が聞こえて、レゾンも眼下に視線をやる。

 普段人間を見つけると襲ってくる魔物だが、魔力飛び交う戦闘時には、非魔法生物は魔物から見て透明の存在になる。シィアはそれをよく理解していた。ジグマは普段と変らない足取りで根本に近づくと、幹に垂れた脂を布ですくって、舐めた。彼は即座に頭を振って、


「——苦(にげ)えッ! クソッ……!! 死ね!!」

「アッハハハ! ジグくん酷(ひっど)い顔!」

「もういい、さっさとトドメを刺せ! グッ……」

「レゾンくん、きみの最後の仕事だ。彼を回収してきてくれないかな。副作用で動けなくなっているかも」

「任せてくれ」


 レゾンは再び下へ降りて、エルメの糸に触れて危なげなく着地する。鳥の飛ぶ高さから飛び降りるなど、少し前の自分なら考えられないことだったが、もう慣れて板についてきた。


「ジグマ! 大丈夫か?」

「ハア——ッ、ハ——ッ、……っ」


 ジグマは膝を崩して蹲り、荒い息をしていた。顔じゅうから汗がだらだらと吹き出て、服の布をびしょ濡れにしている。手はガクガクと震えて寒そうに見えた。


「大丈夫じゃないな」

「……っこういう、もんだ。〈幻鎧〉は……」

「喋らなくていい」


 シィアはこれに慣れているかもしれないが、レゾンは慣れていないので放っておけるわけがない。一刻も早く安全な場所に連れて行かなければ。この気難しい男に最大限配慮しつつ片手で抱え上げる。ジグマの腹は薄かったが、多分全部が筋肉なのだろう、ずっしりと重かった。


「エルメ」


 糸が降りてくる。レゾンはそれに手を絡めて再び上へ退避。大燕の魔法を使えばすぐだがジグマの体に負担をかけることになるのでやめだ。ジグマは白い顔で、レゾンに嫌味を言う余裕もなく藻掻いていた。


「本当に大丈夫か……」


 やっぱりシィアのやることはイカれている。レゾンはエルメの背に戻ってそっとジグマを下ろしながら、仲間の苦しむ姿に全く動じていないシィアの面々を見て一人肩を竦めた。


「不適合の反応もないし、放っといてもよさそうだね」とキュミル。

「じゃ、本物にはさよならをしないと」


 イレーナが鎌を再び研ぐ。トドメを刺す、横薙ぎの一撃の構え。


「いくわよ、キュミル」

「せーのっ……。うわっ、根深い!」


 軽い掛け声。重たい魔力の波動。レゾンの幾度もの攻撃で弱った荊豆樹の幹に冷気が迸り——魔法が偏った隙に、二本の鎌が滑り込む。


「これを喰らいたくなかったんでしょう? ——存分に味わいなさいな!」


 荊豆樹の魔法が分断される。勝利の瞬間、イレーナは肩を上下させて大声で爽快に笑った。斬られた部分から幹がずれ、自然にはあり得ない大木がゆっくりと頭を傾げる。そして——ズドォンと重たい音を轟かせて倒れた。

 エルメは戦闘開始前から変わらない余裕の飛行で降下した。ギラムの狩猟部隊では、魔法植物は魔獣とは違って移動しないことが多いため、発見後の対応は殺すか地図上にマークして近づかないよう喚起するかのどちらかだった。故にレゾンはこれほど成長した魔法植物を見たことがなかった。太い幹が折れて、辛うじて首の皮一枚繋がったあたりに、魔物と同じ色の冀石ができ始めている。


「魔力量だけは立派ね。〈幻鎧〉の分を抜かれても、冀石は小さくない」

「それだけこの樹に挑んで殺された魔物が多いってことでしょう。いいことじゃない、リュキア」

「ええ」


 切り株の上にエルメは趾を下ろして、魔法の糸でするすると冀石を取り上げると、リュキアの手の中に落とした。リュキアの手は指が細くて小さく、冀石を美しく飾るための台座のようだった。

 ようやく成功の実感が湧いてきた。レゾンがシィアの狩りに同行するのは二度目だったが、針鼴の時は手放しに成功とは言えない最後だった。今回こそは大成功だ。幻鎧士とエルメの誰が欠けてもこうはいかなかった。


「レゾン」リュキアが少し微笑んで視線をこちらへ向けた。「あなたの身のこなしは見事だった。なかなかあそこまで躊躇なく動ける狩人はいない。大燕(カッカス)もきっと楽しんでいたわ」

「そうか? ……ありがとう。そうだといいな」


 大燕もきっと楽しんでいた——か。レゾンは心の中でもう一度彼女の言葉を繰り返して、ほっと息を吐いた。それは今のレゾンにとって一番ありがたい言葉だった。


「……君ら、仲良くなったのか?」


 蹲ってシィアたちに雑に背を撫でられながら、ジグマは辛うじて顔を上げて意外そうに呟いた。

 ジグマは——レゾンが名前を訊かなかったことを指摘した時、「君には役割があるが——僕は期待していない」と言った。彼は、あるいはシィアはあの時既に、リュキアに〈昇梯(メタナスタシス)〉を考えさせるトリガーをレゾンに引かせることになると確信していたのだ。そしてジグマが期待していないと言ったのは、レゾンのコミュニケーションの方法がシィアのそれとはズレていて、リュキアの神経を必要以上に刺激するかもしれなかったからだろう。

 しかしレゾンはリュキアとエルメの敵ではないし、リュキアの思想は素晴らしい。ジグマの忠告は役に立ったが、もう必要ないかもしれない。


「仲良く……? そこまでじゃないけど。まあ、信用はしてもいいんじゃない」

「君がそこまで言うか。……どうだかな」

「ハハ……」


 まあ、好かれてはいないのかもしれないが。今はそれでいい。話はエルメごと〈昇梯(メタナスタシス)〉してからだ。


「——[大地を泳ぐ蛇《ネルフェ・ローレ・ドーレ》]と戦うための最低限の条件は揃ったわ。消耗したくないし、日が暮れる前に砂漠へ戻りましょう」

「クソ……ハードスケジュールだ。貧乏クジだ」


 ジグマはそうぼやいて、激励として背中を叩かれて「オエッ」と呻いた勢いで拳を握り込みそいつの腿を殴った。「ッテエ!」と潰れた叫び声が上がる。……可哀想だが、シィアに仲間への思いやりがないなんてわけはない。レゾンは心の中で、みんなと一緒にジグマの背を思いっきり叩いた。


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