第32話 戦闘準備!
間もなく一行は、一羽の美しい駝鳥と出会った。彼女は、先頭に出たリュキアが首にかかったエルメの羽根飾りを掲げると、傅くように啼きながら一度頭を下げ、そしてゆっくりと歩み寄ってきた。レゾンはその様子を遠巻きに注視していた。恐ろしいという気持ち半分と、もう半分は、神聖にすら感じるものへの畏敬だった。
「ガヴォン。私はエルメのパートナー、リュキア」
リュキアはそう人間の言葉・キィル訛りのユンカ語で言う。通じるのだろうかとレゾンは怪訝に思ったが、リュキアは大真面目に続けた。
「エルメはこれから、[大地を泳ぐ蛇]を狩りに行く。力を貸して欲しい」
しかし無策ではなかった。リュキアはどこからか、[大地を泳ぐ蛇]のものと思われる鱗を一片持ち出した。今のレゾンには分かるが、〈幻鎧〉を得るために飲むのが生き血であるように、本体がまだ死んでいない魔獣の体の魔力は魔法の情報を帯びている。[大地を泳ぐ蛇]が強大な魔獣であり、まだ生きていることが、すぐに伝わる。リュキアは羽根飾りをそれに重ねた。そして手を差し出す。ジェスチャー。
駝鳥は少しの間それを見つめて、首を不規則に動かしていたが、やがて理解したのか、細長い首を丸めて自らのふわふわした大きな羽根を抜き取り、リュキアに渡した。
「これは——」
リュキアが受け取った羽根をしげしげと見つめると、駝鳥の血管が淡く光りだし、羽根がふわりと持ち上がった。そして——シュッ、と風を切り裂いて飛び、一直線に木に突き刺さる。
「!」
直後、羽根の軸に織り込まれている魔力が活性化し——瞬時に爆発的な火力が出て、木を綺麗に貫いた。
「おお!」
「なるほど、この羽根で矢を作れってことか。これで幻鎧士以外も戦える!」
リュキアは微笑んで、エルメにするのと同じように駝鳥の背を優しく撫でた。
「ありがとう。あなたたちも……望む生を謳歌できますように」
祈りの言葉。本物だ。
一行は駝鳥から十分な量の羽根を受け取り、リュキアが対価にエルメの羽根を一枚手に取った。駝鳥は既にエルメの羽根をその胸に着けていたが、それを取り替えてやる。「あれは何を?」とトウェンに訊くと、「あれに魔力を通すとエルメに伝わるようになってるんだ」と彼は答えた。エルメが彼女らを助けるためのアラートというわけか。
イグロスの矢を作る手伝いをして怒られた記憶を思い出しながら、レゾンはリュキアから目が離せなかった。彼女と自分とエルメがいれば、人類は新たな一歩を踏み出せる。その予感は確信に近かった。
エルメのところに戻ると、キュミルはその背に一番に飛び乗った。
「よーし、それじゃ、また〈幻鎧〉探しだね。こんな早く新しいのを探すなんて……先々代が〈幻鎧〉初めて見つけてはしゃいで大失敗した時以来じゃない?」
「シィアは先々代からそんな感じなのか。……先々代……、キィル族は第31階層にいる頃か?」
「げえっ、何で知ってんの? キモ!」
「キィル族がギラムに合流したのが半世紀前の話だからな。分かるさ、俺は記録を読んだんだから」
「シィアはその頃、母集団から分派したんだよ。それがレゾン君の言うキィル族かはおれ達には何とも言えないけども」とトウェン。「何か揉め事があったらしい。自由にやりたいメンバーがシィアと名乗って、気ままな旅を始めたんだ」
その揉め事というのは、もしかすると都市に合流するかどうかという話かもしれないな、とレゾンは思った。思ったが言わなかった。確証のないことをわざわざ言う必要はない。
「——歴史の話を聞くのは好きだ。他にも何かないのか?」
「えー、あたし分かんない」
「そう言われてみると、受け継いでいるのは技術の話ばかりだ。おれより年上に聞いたほうがいいかもしれない」
歴史を継承する文化はないのか。残念だ。……トウェンの歳は三十代前半くらいか? それより上のシィアとはまだ打ち解けていない。今後の課題である。
一行は再び空を飛んだ。エルメは眼下を見下ろし、時には魔法を使って地上の魔物を刺激した。魔法の種類を見ているのだ。
「蛇対策にあと必要なのは、行動範囲を制限することか」
「そうだね。いいのが見つかるかな」
エルメはまたしばらく飛んだ。[導灯の大樹]の間隔一つ分は移動しているように感じる。目を瞑ると、自分の中にいる大燕が、エルメと共に飛んで喜んでいるような気がした。レゾンはずっとその感覚に体を明け渡した。大燕への罪滅ぼしのつもりだった。
「いいのがいた?」
イレーナのその声で目が覚めた。エルメは魔力の集まる一点を中心として旋回を始めていた。エルメが何か言い、リュキアがそれを翻訳する。
「うん、とってもいいのがいるって。——魔法植物だって」
「お」
「それじゃ、新しい幻鎧士は——」
レゾンはみんなの顔を見た。幻鎧士になるには三つの条件がある。魔力適性があること、以前の〈幻鎧〉の魔法が抜けきっていること、そして、魔法と相性がいいこと。合致する者はいるのか——。
「——……」
シィアのみんなは黙っていた。黙って……ジグマを見ていた。
「僕は嫌だ」
ジグマは言った。
「いや、ジグくんでしょ」
とキュミルはすかさず、じとりとした目で言う。
「ジグマだろ」「ジグマだな」「ジグマしかいない」
どうやら全会一致で——候補者は一人に絞られているらしい。
レゾンは意外な気持ちでジグマを見た。いや、意外でもないか。この男は戦闘行為が嫌いだが、それは性格か思想に過ぎない。この男の肉体は常に魔力濃度の高い謎の根っこを咥えていて、甘味中毒のイカれた舌だからという理由ではあっても、事実魔力適性は耕されている。
「……魔法の内容次第では——」
ジグマがそう言った時、エルメが、彼に向かって頷くような仕草をした。それはレゾンの目にも、シィアへの同調に見えた。ジグマは折れた。シィアは個人のやりたいことを妨げないが、集団への貢献をサボることは許されない。同情の余地はない。
さて、そうと決まればあとは眼下の魔法植物を狩るだけである。レゾンはエルメの魔法を信じて少し身を乗り出し、その姿を見てみた。乾いた土地に立つ、一本の太すぎる樹——。枝は踊り狂うように自由に広がっていて、これまでの獲物であろう動物たちが絡め取られ、棘に貫かれて樹を飾っていた。第33階層にいた頃のレゾンなら、近づこうともしなかっただろう。しかし今はワクワクして堪らなかった。
「今回は私からいくわよ。——〈幻鎧〉、[鎌を研ぐ蟷螂]!」
エルメの背の上で立ち上がったイレーナが、そう高らかに言って鎌を出現させる。
「ちょっと、姉さん——」
「突っ込みなさい、エルメ——!」
ほとんど高笑いのようなその叫びと共に、エルメは本当に急降下した。シィアが歓声ともつかない悲鳴を上げる。同じく突然の恐怖体験に身を低くして耐えながら、レゾンは少し笑ってしまった。背後では鎌の研がれる音。
「はっ!」
振り下ろされる。細かい枝が斬り飛ばされ、太い幹には裂けたような傷が入った。……しかし想像していたほどのダメージには到底届かない。
「何よ、手応えないわね」
「変だね。……魔力もらうよっ。エルメ、合わせて!」
キュミルが言って、魔力を集めて結晶化させる。エルメは糸を紡いで、枝を両側に掻き分けて射線を作った。
「やっ!」
中くらいの氷柱がシュン、っと慣れた感覚で飛ばされる。それは呆気なく木の幹に傷をつけた。——しかしそれを前提としていたかのように、魔法植物の荊豆樹はバキバキバキ! と物凄い音を立てて再生する。
「はやっ! もうほぼ効いてないじゃん!」
「魔力を奪われてる!」レゾンは叫んだ。「吸収した魔力を使って再生してるんだ! [氷を生む精霊]は攻撃じゃなくて……今自由な魔力を取り上げる方が重要だ!」
「なるほどね。じゃあ——」
「分かったわ」
「慣れないけどっ!」
言葉にするまでもなく、キュミルの翅が輝きを強める。そしてエルメが旋回するのに合わせて——その下の空間に、静止した雨粒のような細かいキラキラが無数に生まれていった。それはまるで逆さに降る雪のようにゆっくりと上方へと昇っていく。
「もう一丁——!」
逆上る結晶の隙間を再びイレーナが鎌を振るう。斬撃。
傷は——同じくらいだ。しかし再生は遅い。内部の魔力を治療に回しているからだ。
「鎌が通らないの、魔法のせいだよね。前のは物体を脆くする魔法だったけど——今回は魔法が分解されてるんでしょ! イレーナさんのもただの鎌になっちゃってたんだ! エルメの反重力もダメかも!」
「針鼴よかだいぶ厄介じゃねえか」
「同時に全部ぶつけたらキャパオーバーになってくれないかなあ?」
「どうだろう、このまま空から安定して戦えそうだから、狙えると思うけど……」
魔法植物——[絡め取る荊豆樹]と呼ぼう——の枝は成長に少し時間がかかる。エルメが戦闘機動をとる必要のない安全距離を確保できること、それ自体はよかったが……。
「待て」レゾンは口を挟んだ。「——そういうことなら俺に任せてくれ」
視線が集まる。
「おい、君、まさか……」
「ふ」
レゾンは腰に手をやり、剣を抜いてみせた。笑みがこぼれる。立ち上がって、エルメの背から片足を踏み外す。ぞくりと恐怖が背筋を律した。
「やってみる。背中に当ててくれるなよ」




