第31話 天啓はここに
「ここで一旦降りる。エルメは他の魔物を驚かせてしまうから、ここからはエルメ以外で動く」
「どこを目指すんだ?」
「同盟の子のところ。力を貸してくれるって」
エルメが降下を始め、体を浮遊感が襲う。怖くはなかった。
地上に降りると、ジグマたちが地面に簡易的な地図を描いて、エルメが嘴でうねる線を引き、その先の一点を嘴でつついた。そこに行けということだろう。ジグマはすぐに了解した。その線は、遠くの魔力の気配から最大距離を保つように引かれていた。
魔力適性のある半分のシィアたちは、ぞろぞろと慣れた様子で森を進む。レゾンがギラムの仲間に無条件で与えたかった敵位置の把握という恩恵を、シィアは当然のように享受していた。レゾンとエルメがそれぞれ築いた信頼関係の違いである。……悔しい。いや、シィアの性質を無視するのはさすがにアンフェアだ。
時々果実や小道に惹かれて道を逸れる者もいたが、必ず一人にはならないことが徹底されていた。彼らのことだから明文化されたルールではないのだろうが。
レゾンは第33階層の森をかなり歩いてきたが、この場所はそのどれもと雰囲気が違った。森と言っても砂漠と隣接した地域である。適応した僅かな種の草木が並んでおり、土は乾いている。狩人をやっていてよかった、と心から思った。おかげでシィアの足についていける。
シィアの隊列は横には伸びたが縦には伸びなかった。レゾンは森にあるものよりもシィアの動きが興味深かったので、最後尾を歩いていた。するとリュキアと距離が近くなる。……彼女との関係は難しい。海神の寵愛と敵対、それからジグマの忠告がある。トウェンにも言った通り、レゾンの思考はほとんどが元を辿ると〈昇梯〉に行き着くので、リュキアとの間に話題にするべきことが見つからなかった。
「——あなた」
すると向こうから話しかけてきたので、レゾンは「うん?」と努めて平静に応じる。ジグマには……彼らも喋っている。ぎりぎり聞こえないか。
「さっき、聞こえていたわ。都市で、政治をしていたって」
「あ、ああ。気を悪くしたか」
「いいえ。ただ、気になったの。どういう条件で政治が必要になるの?」
「……難しい質問だな」
何より質問の意図が分からなかった。レゾンは少し困った顔をして首を傾げてみせた。
「政治っていうのは、要するにルール作りだ。二人の狩人が狩りが終わった後の取り分の割合を予め決めておくことだって政治と言える。だから人数じゃない。意識するべきは何のために作るかだ。多くは——弱者を守るために求められる」
「弱者?」
「ああ」
例えば、貧乏でも飢え死にしないこと。例えば、狩りに長けていない民族にも冀石を分配すること。例えば、毎日目の前の生活に必死な市民も〈大浸食〉という大きな運命から逃れられること。
「シィアが政治をしていないように見えるのは、弱者がいないからだな。……あんたたちには、本当に、ないのか。仲間が罪を犯したらどうする」
「ミスは罪じゃない。もし故意なら、それは元々仲間じゃなかったってことよ。仲間以外のことはどうでもいい」
「…………」
冷たい、とレゾンは思った。だが純度を保つためには圧倒的に正しい。
「そのやり方でギスギスしないのは奇跡的だ。シィアの在り方は俺にとって政治よりよほど難解だよ」
「そう? 楽だと思うけど。正直でいればいいだけだもの」
「正直、か」
「それで、つまり、弱者がいたら政治が必要ってこと?」
「……俺の見解としては、端的に言うとそうなるな。端的に言うとだ、誤解しないで欲しい。——どうしてそんなことを気にするんだ?」
問うと、リュキアはすう、と少し息を吸って、沈黙した。「正直」な彼女の、気持ちのこもった沈黙だった。
「——。エルメと〈昇梯〉できたら、夢があるの」
「夢?」
「……お墓を作りたい」
レゾンは予想外の言葉に面食らった。墓——ギラムの礎剣の周りに広がる墓地の光景を思い出す。石碑、石彫、模造花、階級によって形式が分かれてはいたが、都市人はもれなく全員、あの場所に眠ってきた。
「シィアは……どうやって死者を弔うんだ?」
「死者が身につけていたもの、それか髪の毛や骨を近しい者で分配して、あとは死体を燃やして、残ったものを死んだ場所に埋める。でも……それじゃ、みんなは〈大浸食〉が起きたら“海”に呑まれてしまう」
「————」
「でも。エルメがいれば——空に街を作れる。天空都市を」
「……っ!!」
レゾンは衝撃を受けた。足が止まっていた。生まれて初めての情動が全身を貫いた。
彼女が持っている構想は、都市ギラムで聞いたどんな論よりもレゾンの理想と合致していた。つまり、空に都市を浮かばせ、それごと〈昇梯〉する——。
「それは……すごい。冀石の必要量は増えるかもしれないが、〈昇梯〉によって失われるものがない。普通は〈昇梯〉先の地形が分からないから、街は放棄するんだが……それなら空だと決まってる、空には何も障害物がない。それに普段も——強い魔獣ほど“ 海” の引力を受けるから、地上に拠点を構えるのはどうしても危険だ。空に住めば——」
「——みんなとずっと一緒にいられる」
リュキアとレゾンの考え方には温度差があった。しかし求めることが重なっていることを、恐らくリュキアの方も感じ取った。
「っリュキア! ——あんたは最高だ。天空都市構想、必ず実現させよう……!」
レゾンは今にもリュキアの手を取って跪いてキスしそうなほどの勢いで言った。初めてだった——存続について、他の人間の口から素晴らしい意見を聞くことができたのは!
リュキアはポカンとして、それから少し首を傾げた。
「……そんな風に言われるとは思わなかった」
「言うに決まってる。あんたは今、階層世界の都市哲学の限界を突破したんだ! 政治が不安なら俺に任せてくれ。ギラムでは失敗してしまったが……それは〈昇梯〉のことでやり方を間違えたからだ。それ以外ではむしろ評価されていたくらいだ。自信がある」
レゾン・オベスムは優秀な参謀だった。執政官ジェイニスがわざわざレゾン・オベスムの最期に同席し、「これがなければ優秀な若者に違いないのに、なんと惜しい」と言ったのは、レゾン・オベスムが高い評価を得ていたことの裏返しだった。
やり直せるならやり直したい。だが今はこれからのことを考えたい。これからのこととは——この天空都市構想のことだ。レゾンは天啓を受けた気分だった。レゾンの目には、太陽のような輝きを持つ髪を靡かせるリュキアが天空神の使いであるように見えた。
「……。よく分からないけど。あなたが“海”の使者じゃないことは、よく分かったわ。もしそうだったら、そんなこと言うはずないもの」
「ありがとう。——今は[大地を泳ぐ蛇]との戦いに集中しよう、ああ、それでいい」
「そうね」
レゾンは大きく頷いて、息を整えた。心臓が活発に動いていた。第33階層で〈大浸食〉の訪れを“海”に予告された時以来ずっと下火になっていた、巨大な野心の炎が、今、ようやく再び燃え上がった。




