第19話 野良犬と野犬
最近、早く読んでほしくて毎日投稿になっちゃってます。ただ、後々更新頻度低くなったら申し訳ないので、ご意見がなければ隔日程度に戻します。
結局、この日に魔物を見つけることはできなかった。一日歩き回っても魔力の気配すらないのは奇妙だった。〈幻鎧〉の出番はなかったが、シィア族たちは十分に熟練した狩りの技を見せてくれた。彼らの接し方に壁は感じず、あるのはただ強者の余裕だった。
「ふう……」
体力が回復したそばから砂漠に慣れた彼らについて歩き、あらゆる手伝いに奔走して、すっかり疲れ果ててしまった。天幕の中、粗めの砂に敷いた厚手の絨毯の感触が心地良い。こういうものは全て彼らのうちの誰かが丁寧に、時間をかけて作ったのだ……。
外からは焚き火の音と、だらだらと続く談笑が聞こえる。人目がなくなると、突然、まるで体感する時間が跳躍したかのように感じた。ついさっきまでイグロス、リエネ、テミテミと森を歩いていたような気がする。自分が本当に同じ自分なのか、さえ疑わしい。
「……。——」
寂しいような気がしたが、誰かの名前が口につくわけでもない。強いて言うならこうだ。ギラムよ、俺の愛を失ってどう感じた? ……死者は決して応えない。
「——悪巧みはしてねえようだな」
そう言っていきなり入ってきたのは、折々口を挟んでくるあの青髪の青年だった。彼はぼうっと宙を見つめるレゾンを一瞥すると、少し間を空けた隣にドカっと座って大きな布を広げた。気になって視線を向けるが「見るな」と一蹴される。ちらりと見えてしまった端の記号のようなもので、それが地図だと分かった。きっと貴重なものだ。なぜわざわざレゾンの目の前で、見られたくないそれを広げるんだろう?
そうぼんやり彼の考えを推し量ろうとしていると、彼はすぐにそれを閉じた。
「悪意はないんだろうな」
「……俺のことか?」
「ああ」
「俺にとってあんたたちは、救世主でしかないよ」
言うと、彼はすげなく鼻で笑った。彼がまた植物を咥え、地図を畳む間、沈黙が続く。レゾンは初めて自分から彼に話しかけた。
「あんたに『シィアには馴染めないタイプだ』って言われた時はどうなるかと思ったけど……みんな優しくていい人で助かった。何より楽しそうで良い。あんた達のためなら何でもできそうだ」
自分が都市の代表者ではなく、たった一人の生き残りなのだということを意識した時、レゾンは存在意義を見失ったような絶望に襲われた。だが今はシィア族のために動くことで、自分の精神を支えられているような気がする。
この青年はそれを疎ましく思っているようだが。
「——君には秘密があるみたいだが、思えば君は最初に、僕の前で一つ口を滑らせていた」
「……?」
唐突の指摘に、レゾンは心臓が嫌に跳ねるのを感じた。秘密というと、まだ話していない“海”のことだろうか。彼と最初に話した時はまだ〈幻鎧〉の話になっていなかったから、本当に何か口を滑らせていたかもしれない。しかし何をどう話すべきか、自分の中でまだ整理がついていなかった。彼は言う。
「〈大浸食〉の間隔のこと。君は『丁度それを調べていた』とか何とか言ったな」
「あ」言った。
「今なら多少無理な予想もできる。君は第33階層の〈大浸食〉を予見していたんだろ、違うか?」
レゾンは隠すことを諦めて、「そうだよ」と肯いた。彼は特に驚いた様子もなく、続ける。
「やっぱりな。トウェンに〈大浸食〉の話をした時の君の落ち着きは妙だった。君は〈大浸食〉が近いことを知っていて——都市ギラムとやらを救おうとしたが、救えなかった、そうだろ」
「……。その通りだ」
「シィアは君が幻鎧士になることを望んでいる。君が残り何を隠していようが、それはアイツらの興味の対象だ、君のその立場は揺らがない。だが、別の危険はある」
武力、以外の部分、ということか。……どういう人間かを見抜かれている。
「はっきり言うぜ、シィアが〈昇梯〉してねえ理由は、いずれ聞くことになるだろうが、百パーセント君の想像の範疇外だ。シィアが〈昇梯〉するための冀石は足りてる」
「そう……なのか」
「僕らは既に君の警告を了解した。判断するのは僕ら自身だ。だから、都市ギラムとやらにしたみたいに僕らの〈昇梯〉を急かすようなことはするな。口にも出すな。分かったか」
「——、何で……?」
本質を暴かれているという確信、そして的確にそれに蓋をする忠告に、レゾンは思わず目を見開いた。
生命の命題、〈昇梯〉——それから目を背ける人々をレゾンは見てきて、救おうとして、憎んだ。シィア族の人々までもを憎みたくはなかった。
彼はレゾンと対話する気はあまりないようで、咥えた草を味わうと、マイペースに違う話を始める。いや、彼の中では繋がっているのだろうか?
「君がシィアに馴染めないと言ったこと。君は案外大丈夫だと思ったらしいが、僕に言わせればより確信が深まったというところだ。君はシィアにはなれない——今だって君はただの犬だ。王室育ちで一匹じゃ生きていけない、健気な、犬だ。ああ、魔獣でもあったな……だからみんな、君で遊んでるんだ」
「…………」そんなつもりじゃない、とは、言えない。レゾンはその立場に自ら甘んじている。その方が、上手くいくと思ったから。
「あまり調子に乗るなよ、見苦しいから。教えてやろうか」彼は続ける。「——君、僕の名前を知ってるか?」
「え?」
知らなかった。レゾンはまたもや変わった議題についていけなかった。だが、チェックメイトと言わんばかりの彼の態度に、何か取り返しのつかないことをしてしまったのだということだけは分かって、血の気が引く。
「君はそれを訊かなかった。そういうことだ。君には役割があるが——僕は期待していない」
「! 待っ……」
彼は——名前の分からない彼は——そう言って有無を言わさず立ち上がって行ってしまった。レゾンは取り残されて、ぺろんと元通りに直った入口の布を見つめることしかできなかった。
それは、冷たい牢で大したわけもなく鞭を振るう男を止めた伯父が、こちらを見もせず何も言わないままに去って行ってしまった後の静寂に似ていた。レゾンは再び、あの空間に立ち戻る……。




