第16話 強き者たち
「ところで……、今はどこに向かってるんだ」
束陽と砂煙以外変わり映えのしない景色に不安になって、レゾンはトウェンにそう問うた。彼らが進路を迷っている素振りは全くない。決まったルートがあるのだろうか。
「次の魔物を探してるんだ。とはいえこの階層ではそれぞれの魔物が強い分、なかなか出会えないから、ほとんど散歩みたいなものだけども」
「…………」
魔力の気配を見つけたら言おうか、と提案したくなるのをぐっと堪える。彼らにとってレゾンはまだ素性の知れない余所者なのだから、余計なことを言わない方がいい。魔力の気配が分かると主張する人間など、怪しすぎる。
「この砂漠はどこまで続くんだ?」
「エルメが言うには、第34階層は三分の一以上が砂漠地帯だよ」とトウェン。「それでもきみは運が良かった。残った場所は魔獣同士の激戦区だからね。見つかればまず生き残れない」
「三分の一か……。強大な魔獣が多いことと砂漠が広いことは無関係じゃないだろうな」
「おや、鋭い。水と魔力は抱き合わせのものだからね」
鋭い、と思ったのはレゾンの方も同じだった。レゾンの手を凍らせた時のキュミルの反応から、幻鎧士がレゾンと同じ感覚を持っているわけではないことは確認済みだ。それでも彼らは魔獣の強さと砂漠との関係を確信している。それはかなりの考察の深度によるものだろう。
すると、キュミルが振り返って、
「トウェンさん、やっぱりこの人元々この階層にいたんじゃないの?」
「キュミル、〈昇梯〉直後だと判断したきみ自身の力を信頼できないのかい?」
「でも、間違ってたら……」
「彼を引き入れたのはおれなんだ、きみが心配する必要はないよ」
レゾンに対する不信感を拭えないらしい彼女に、トウェンはそう優しく微笑む。トウェンのその余裕はどこから来るものなのだろう、とレゾンはまた訝しむ。〈幻鎧〉の力、神鳥と呼ばれる魔鳥エルメとの同盟、それともレゾンが知らない秘密がまだあるのかもしれない。シィア族は——普通ではない。
「[導灯の大樹]から各階層に水と魔力が供給されるってことが分かってるんだから、砂漠ができる理由の推測はそう難しくない。……[導灯の大樹]に近づくと緑が多くなったりはするのか?」
「残念ながら、そういうわけでもない。大樹の樹液は採れるけども」
「そんなのは魔力濃度が高過ぎて使い物にならないだろ」レゾンは苦笑して続ける。「ということはやっぱり、[導灯の大樹]の枝は地中に広がってるんだろうな。砂漠が広がっているからこそそう思える。俺の知る限り、誰もそれを見たことはないけど……」
「呑み込みが早いね。推測も鮮やかだ。〈大浸食〉の説明もすらすらで論理的だったし、きみは元いたところでブレイン役だったんじゃないかい? だからこそ生き残った——」
「それほどじゃない」
レゾンはそう自嘲した。本当にレゾンがブレイン役として認められていれば、都市の運命は全く違っていただろう。
自嘲ついでに、レゾンは本命の話題に切り込む。
「——分からないことの方が多いさ。例えばその、〈幻鎧〉とか」
「ああ、そうだろうね」
「人間が魔法を使えるなんて考えたこともなかった。そもそも魔力中毒にならないのか? どうやって魔法が使えるレベルの魔力量を受け入れてるんだ?」
じっ……と魔力の気配に意識を凝らしてキュミルを見ると、彼女は露骨に嫌そうな顔をした。
「きみの言う通り、〈幻鎧〉は一朝一夕で使えるようになるものじゃない。おれ達はみんなその前に訓練をしているんだ。さっき、きみは[導灯の大樹]の樹液は使い物にならないと言ったけども」
「?」嫌な予感がする。
「傷口を作って、そこに樹液を塗って治すんだ。そうすると魔力中毒にはなるけども、魔力の許容量が増えていく」
「は……⁉︎」
は⁉︎ と、心の中でもう一度叫ぶ。素っ頓狂な大声を出してドン引きしたレゾンに、キュミルは一瞬ぽかんとして、その後にやにやと馬鹿にしたように口角を上げた。
苛つくが、仕方ないだろう、彼らはレゾンが魔力に対していかに潔癖かを知らないのだ。ギラムでもその神経質ぶりは聖人君子レゾン・オベスムの唯一の欠点だったので、対策はこっそりやっていたが……。
彼らと出会った以上〈幻鎧〉の力を手に入れないわけにはいかないだろうと思っていたが、もしかすると、レゾンには全く才能がないんだろうか。
「それで……魔力が増えたら……魔法が使えるようになるのか」辛うじて話を続ける。
「いや、そこから魔獣の生き血を飲むんだ。魔法植物なら脂だね」
レゾンは泣きたくなった。そんなことできるわけがない……!
「……シィア族の人口が少ないのはそのせいか?」
「はあ? 失礼すぎ」
「あはは、意外と大丈夫なものだよ。キュミルにだってできた」
野心と本能が鬩ぎ合う。思わず頭を抱えた。魔法という強大な力を手に入れる方法を知って、試さないわけにはいかない……だが……。
「きみもやってみるかい?」
「……。い、いいのか?」遠慮したいという気持ちが消えないまま吃る。
「無理しなくていいけどね。そこまでしても、〈幻鎧〉を実際に使えるまで適性があるのは半分くらいなんだ。もしきみがシィアに何かしたいと思ってくれているなら、幻鎧士になれる頭数になってくれるといいなと思って」
「えー、そこまでする? 出会ってばっかりなのに」
「キュミルだって楽になるだろう?」
そのためならレゾンに力を与えてしまっても構わないと? つくづくこの男はお人好しだな、とレゾンはありがたく思いつつ、先に不審なところを洗っていく。
「半分……か。火力を見た感じ、十分に思えるけど」
「実は、今幻鎧士と言えるのは四人だけなんだ。もうすぐ三人になる」とトウェンは打ち明ける。「魔法を使う能力は四ヶ月程度で体内からなくなってしまう。だからいつも〈幻鎧〉に相応しい魔物を求めて歩き回って、ひと月に一人を目安に幻鎧士になるんだけども、適性があっても、幻鎧士の期間を経ると他の魔物の魔力に対応し辛くなるんだ。得意な魔法の種類が決まってしまう、って言うと分かりやすいかな。そうすると、タイプが全く違う〈幻鎧〉は体に毒なだけになる」
「へえ……」
キュミルの言葉を借りると、魔力に「癖」がついてしまうということだろう。
「エルメの情報網があるとはいえ、条件に合う魔物を狙ったタイミングで狩るのは難しい。そこで、真っ新なきみはどうかなって」
なるほど……絶対的に強く思えた〈幻鎧〉にも、そんな弱点があるとは。
トウェンのこれはただのお人好しではなく、シィア族自身の未来のための賭けなのだ。悪人でないなら耐えて役に立ってみせろとばかりの。その方が理解しやすくてありがたい。
レゾンは都市ギラムにそう思っていたように、シィア族にももちろん存続してほしくて、その強さに愛情を覚え始めていた。彼らの助けになれるのなら、当然なりたい。建前の言葉ではなくそう思う。
「——やるよ」
「そうこなくちゃ」
「えーっホントに大丈夫? さっきすごい青い顔してたよ?」
「ハハ……驚いただけだよ」レゾンは強がった。「——俺たちは魔物の返り血を浴びることも嫌ったし、どうにかすれば魔法の力が我が物になるかもしれないなんて絶対に考えなかった。魔物、魔力、魔法、そういったものは海神に関連するとされて、天空神信仰のもとでは邪のものだった。それは見つからないわけだ」
……ただ、とレゾンは頭の中で鳴る警鐘を止めきれないまま考える。レゾンの体質は普通ではない。彼女らは魔力の気配を感じ取れないまま〈幻鎧〉を獲得している。レゾンが同じように傷口に[導灯の大樹]の樹液を塗り込んだ時、それがどう影響するのか……。予想することはできなかった。
「ところで——生き血を飲まないといけないってことは、あんた達は……精霊と戦ったのか」
「キュミルの〈幻鎧〉のことだね。そうだよ」
「精霊なんて、都市ギラムに伝わる英雄たちの伝記の中でも一度しか出てこないが……実在したんだな。強かったか」
精霊は小さな体ながら竜に匹敵するほどの膨大な魔力を操ることができるといい、伝記の中に登場した[光を食む精霊]は討伐方法不明のままだった。つまりレゾンの認識としては、寓話的な存在、あるいは数々の偉業を成し遂げた英雄ですら倒せなかった相手ということになる。
「階層の端を見に行った時に遭ったんだ。おれ達もあの時初めて見たよ。魔獣や魔法生物は他で実在する普通の動植物に近い姿をしているけども、あれは完全に想像上の生物のようだった」
「階層の端……。興味深い」
「手強かったけど、[氷を生む精霊]の魔法は『漂う魔力を氷に変換する』というものだからね。丁度その時は炎の魔法を使える〈幻鎧〉が安定していたから、あとは物理で何とかなったんだよ」
「……すごいな。やっぱり、魔法がこちら側にもあるっていうのは」
レゾンは狩人だ。魔物に対して人間がどれほど矮小な存在であるか、嫌というほど理解している。
その物差しをもってして、シィア族三十八名の戦闘能力は——もしかしたら飛竜に匹敵するほどかもしれない。正確な評価としてそう思った。それがどれだけ異常なことか。
「幻鎧士が一人いるだけで、できることは全く変わってくる。あまり真似はしにくい獲得方法だけどね。——きみは耐えられるかな。次の休憩の時にやってみようか」
「ああ。だが、本当に独断で始めて大丈夫なのか」
「大丈夫だよ」
そうは言われても、レゾンには後で他の者に糾弾されるビジョンしか見えなかった。しかしトウェンの発言は近くにいる者に確実に聞こえていて、それで皆何も言わないので、それが彼らの性格なのだとそのまま理解する他なかった。




